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>問題作成者の意図で決められる国語の問題に疑問がわいて、いやになります。
国語の問題は、文章の論理を問う物だと思いますが・・・。数学の問題が「意図」を持って作られるのと同様です。
# 「感覚を問われる」と勘違いしている奴は100点取れない。# というか、そんな主観的なものが試験されるわけないだろw
実際のところは、文章の論理ではなく出題者の主観をエスパーするゲームになってますけどねー。少なくとも物語文を用いた国語の試験においては、正答として用意された解答が(たとえ出題者の私論だったとしても)絶対とみなされるシステムです。
で、おそらく、元コメでは論理的に出題者の主観をエスパーすることを「文章の論理を問う物」と書いているのだと思いますが、実際の思考対象は文章の論理ではなく出題者の論理ですので、「出題者の論理を問う物」と表現した方が正確かと思います。
少なくとも物語文を用いた国語の試験においては、正答として用意された解答が(たとえ出題者の私論だったとしても)絶対とみなされるシステムです。
いや、良くこう言うこと言う人いますけど、まともな国語教師であれば、設問者の主観ではなく、客観的に間違いようのない設問が作れます。
例えば設問で「この一節で、主人公A君はBの行動についてどの様に感じたか、xx行目以降の文章を元に答えなさい」とあって、xx行目以降の文章が「A君は(Bに)泣きながら『そんなんじゃない』と叫んだ。」という物であれば、少なくとも「不愉快に感じた」「嫌だと思った」「B君は嘘つきだと思った」というような解
> まともな国語教師であれば、設問者の主観ではなく、> 客観的に間違いようのない設問が作れます。
具体例は分かりやすいですが、完全に論点がずれていますよ。私がしているのはシステムの話です。まともな教師が良問を作っても、まともでない教師が愚問を作っても、試験というシステム自体には影響しません。また、客観性については、
> 例えば設問で> ...> 著者が一文字に込めた意味を掴み取るのが現代文の醍醐味ではないかと。
このような展開自体が設問者の解釈によっているので、あまり期待できないかと。
で、
> 少なくとも物語文を用いた国語の試験においては、
具体例は分かりやすいですが、完全に論点がずれていますよ。私がしているのはシステムの話です。まともな教師が良問を作っても、まともでない教師が愚問を作っても、試験というシステム自体には影響しません。
えええ。そんなちゃぶ台返し。ちなみに私は#1783803のACさんでは有りません。
> 試験においては、正答として用意された解答が> 絶対とみなされるシステムです。でして、設問者の主観に解答者を従わせるのが試験というシステムなのでそれ自体には文句はないのですが、
> 試験においては、正答として用意された解答が> 絶対とみなされるシステムです。
でして、設問者の主観に解答者を従わせるのが試験というシステムなのでそれ自体には文句はないのですが、
はいここ間違いですね。決して現代文の試験は「設問者の主観に回答者を従わせる」システムとは、なっていません。きわめて客観的に、日本語の文法から「理論的に」唯一の解
いや、そんな分かりやすく煽られても……。話にならなそうなので私の負けでいいです。はあ。
お疲れ様。(^^;
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学校の成績は賢さではない (スコア:1)
そして、単純な計算や公式を暗記する数学が馬鹿らしくなってやらなくなります。
(回答にアルゴリズムを書いたりして)
丸暗記の要求される歴史とか地理とかも、いやになります。
作者も不正解の問題作成者の意図で決められる国語の問題に疑問がわいて、いやになります。
賢くなった結果、成績が下がったもので、憂えることはありません。
かえって、賢い人がプロレタリアートとして現場に出るのは好ましいことなのです。
Re: (スコア:0)
>問題作成者の意図で決められる国語の問題に疑問がわいて、いやになります。
国語の問題は、文章の論理を問う物だと思いますが・・・。
数学の問題が「意図」を持って作られるのと同様です。
# 「感覚を問われる」と勘違いしている奴は100点取れない。
# というか、そんな主観的なものが試験されるわけないだろw
Re: (スコア:1)
実際のところは、文章の論理ではなく出題者の主観をエスパーするゲームになってますけどねー。少なくとも物語文を用いた国語の試験においては、正答として用意された解答が(たとえ出題者の私論だったとしても)絶対とみなされるシステムです。
で、おそらく、元コメでは論理的に出題者の主観をエスパーすることを「文章の論理を問う物」と書いているのだと思いますが、実際の思考対象は文章の論理ではなく出題者の論理ですので、「出題者の論理を問う物」と表現した方が正確かと思います。
Re: (スコア:1, すばらしい洞察)
少なくとも物語文を用いた国語の試験においては、正答として用意された解答が(たとえ出題者の私論だったとしても)絶対とみなされるシステムです。
いや、良くこう言うこと言う人いますけど、まともな国語教師であれば、設問者の主観ではなく、客観的に間違いようのない設問が作れます。
例えば設問で
「この一節で、主人公A君はBの行動についてどの様に感じたか、xx行目以降の文章を元に答えなさい」
とあって、xx行目以降の文章が
「A君は(Bに)泣きながら『そんなんじゃない』と叫んだ。」
という物であれば、少なくとも「不愉快に感じた」「嫌だと思った」「B君は嘘つきだと思った」というような解
Re: (スコア:1)
> まともな国語教師であれば、設問者の主観ではなく、
> 客観的に間違いようのない設問が作れます。
具体例は分かりやすいですが、完全に論点がずれていますよ。私がしているのはシステムの話です。まともな教師が良問を作っても、まともでない教師が愚問を作っても、試験というシステム自体には影響しません。また、客観性については、
> 例えば設問で
> ...
> 著者が一文字に込めた意味を掴み取るのが現代文の醍醐味ではないかと。
このような展開自体が設問者の解釈によっているので、あまり期待できないかと。
で、
> 少なくとも物語文を用いた国語の試験においては、
Re: (スコア:0)
えええ。そんなちゃぶ台返し。
ちなみに私は#1783803のACさんでは有りません。
はいここ間違いですね。
決して現代文の試験は「設問者の主観に回答者を従わせる」システムとは、なっていません。きわめて客観的に、日本語の文法から「理論的に」唯一の解
Re:学校の成績は賢さではない (スコア:0, フレームのもと)
いや、そんな分かりやすく煽られても……。
話にならなそうなので私の負けでいいです。はあ。
Re: (スコア:0)
お疲れ様。(^^;