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大学の経済的問題なんかを度外視するんだったら、
> 講義にでない学生が増え > 代返と、ノートを取らない学生が増える罠 ↓ そういう学生が一杯ドロップアウトして 大学の学生の質が向上し (学ぶためのものとしての)講義に向ける目が厳しくなり (教育という観点から)dullな教官が淘汰され 大学全体の質が向上する罠
というのが politically correct でしょう。日本の学生の場合、 講義に出て来なくて、追試もダメダメでも、単位あげられない って言うと逆ギレする(しばしばその親まで!)、ってケースが 結構あったりするけど。そもそも、日本の大学の講義がつまら ない、ということを言う人がしばしばいるけれど、その論拠は 一体どこにあるんでしょうか。ぜひ教えていただきたいなぁ。
日本の大学が実社会から遊離してどんどんエキセントリックに成ってるのを、まず如何にかしないと駄目でしょ。
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚
仮に日本でやったら (スコア:2, すばらしい洞察)
代返と、ノートを取らない学生が増える罠
単位を取るためだけってつまらないですよね。
講義自体をもっと面白くするにはどうしたらいいのでしょうか。
Re:仮に日本でやったら (スコア:1)
大学の経済的問題なんかを度外視するんだったら、
> 講義にでない学生が増え
> 代返と、ノートを取らない学生が増える罠
↓
そういう学生が一杯ドロップアウトして
大学の学生の質が向上し
(学ぶためのものとしての)講義に向ける目が厳しくなり
(教育という観点から)dullな教官が淘汰され
大学全体の質が向上する罠
というのが politically correct でしょう。日本の学生の場合、 講義に出て来なくて、追試もダメダメでも、単位あげられない って言うと逆ギレする(しばしばその親まで!)、ってケースが 結構あったりするけど。そもそも、日本の大学の講義がつまら ない、ということを言う人がしばしばいるけれど、その論拠は 一体どこにあるんでしょうか。ぜひ教えていただきたいなぁ。
Re:仮に日本でやったら (スコア:1)
論拠としては弱いですが、日本の大学の講義が面白かったといっているヒトにはあまり会ったことがありません。一方で、面白くなかったといっているヒトはたくさんいます。
Re:仮に日本でやったら (スコア:1)
# どっちも所属してた学科の先生じゃないや……
-- 哀れな日本人専用(sorry Japanese only) --
Re:仮に日本でやったら (スコア:0)
一方、小針あきひろ(漢字忘れた)氏の書いた本ってとても面白かったので、もぐりで講義を受けにいったけど、あれくらいつまらない講義もなかったな。活字
Re:仮に日本でやったら (スコア:1)
つまり,講義の問題というよりは受講者側の問題だと思います.
# 期待はずれの講義ってのもありますが.
Re:仮に日本でやったら (スコア:0)
#おもしろいとは言ってないに4単位
Re:仮に日本でやったら (スコア:0)
つまらない講義 (スコア:0)
・テキスト以上のことを質問すると質問内容でなく質問したことを怒る教授(簡単な質問にはにこやかに答える)
私が通う大学にはこの手の教授が山のようにいますが、聞いていてつまらないです。
自分でテキスト読んでた方がマシ。
Re:仮に日本でやったら(激しくオフトピ) (スコア:0)
「どこの大学を出たか」ではなく「大学でどれほど学び・考えたか」を企業の採用基準にすればよさげ。
旧帝大でても猫を殺して人生あぼーんする馬鹿 [srad.jp]も居る時代ですから。
…ってネタは置いといても、日本の大学が
大学生としては (スコア:3, 参考になる)
# その人と同じ大学に通っているけど。
# 大学に合格することってのは、その大学の先生が最低限求めている
# 学力を持っているかどうか?という選別に過ぎないので、
# 人格とかそういった考慮に入っていないことで「○○大学でても」と
# いう議論は無意味だと思う。
# もちろん人格とかが必要なのは事実だよ。
# でも、それは*大学*とは関係ないよね。
で、僕は九大の話しか知らないのですが、九大は講義の選択範囲が非常に狭いと思います。
つまり、卒業に必要な講義が必須の授業として取らなきゃいけなくて、必須の授業は一人の先生の「その」講義を取らないといけないわけです。
留学生の人の話を聞くと、向こうは複数の授業から選択できて、しかも、学生の量とかでも評価がきまるらしいです。
日本方式の利点は、コースの中で選択するものがないから、卒業生の知識は最低限が保証されるってことだと理解してます。
海外(米国)方式の利点は、好きな授業を学生が選べるから、よい先生を選んで受けることができるってことでしょう。
日本の場合、まじめに講義をしているんだろうけど、講義方法について「研究」をしている先生は少ないように感じます。
「講義」に関しても教官に競争意識を出させないと、おもしろい講義ってのは生まれないんじゃないかなぁ?
教官の評価基準を複数もたせるようにしないといかなかったり、大変だろうけど。
最後にひとこと
> 社会人学生を受け入れる一方で、ヤル気の無い学生はさっさと切る。
> それくらいはやらないと。
大学生は夢(とやる気)を持って入学してきて、一年前期が終わるころに現実を知るような気がしますが、どう思いますか?
# さ、論文検索しよーっと。
KaI
Re:仮に日本でやったら(激しくオフトピ) (スコア:0)
Re:仮に日本でやったら(激しくオフトピ) (スコア:0)
躍起になっており、かつ、企業もそうですから
無理でしょうね。
やる気のあるということが価値感からはずれている
ことから何とかしないと ノーベル賞なんて今後でなく
なるでしょうね。
--
田中さんと同じ会社なので AC