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超人的な力を得た場合、大多数は悪の道を進む」記事へのコメント

  • 民主主義の原理の大半は人間の力が、ほぼ互角であることに由来すると思う。ならば、百人力の人間が普通の人間と対等でよいはずがない。ディズニーか、なにかのなかであるような場面、イワシとサメが友達になるような場面をまじめに実現すべきだ、と思うようなものだと思う。ゴキブリと人間が対等な友達になるべきだと真剣に考えているのなら、かなり変わっている、というべきではないだろうか?自分は今日、食べた米粒一粒一粒の命に対して物思いにふけったりはしないし、目の前に飛んできた蚊を殺すべきかどうかで悩んだりはしない。「力」とはそんなものだと思う。力もない、考えもしない、騒ぎ立てるだけの大衆を喜ばせるために、超人が苦労するような内容を見ると、「ああ、また民主主義の宣伝か」とうんざりしてくる。超人には超人に見合った権利を与えることこそ善だと思う。超人に一般人と同じ権利しか与えないため超人が反乱を起こしたとすれば、悪いのは一般人だと思う。超人と超人を戦わせて漁夫の利を得よう、などと思う一般人こそ最も悪人なのではないか?
    • いい論考ですね。漁夫の利狙いの町人根性への嫌悪感、私も同感です。

      蛇足を承知であえてコメントさせて頂きますと、私なら
      「人間の力が、ほぼ互角」のところを「命を一個しか持てないという点では、究極的には万人が互角である。
      また、人間が振るえる広義の暴力に関しても、観察する人間の数を増やしてマクロに見ると、
      暴力量は人数に比例してくるので、大雑把には一人当たりの暴力量もほぼ互角と見なして差し支えない」と言いたいです。

      広義の暴力とは、例えばお金の力は暴力的だと言えるだろうし、女の涙や赤ん坊の鳴き声だって暴力的だ、って話。
      それらを互いにぶつけ合って、「自分を餓死と不慮死から遠ざけようとする」のが、実世界の政治だと。

      民主主義とは、この広義の暴力を使った内戦の一形態であり、
      その中でも最も文明的(流血が少ないので、野蛮でない)もの、
      なんじゃないかと私は(兵頭軍学を学んだ末に)考えています。

      そして民主主義が内戦の一形態である以上、本来そこにはある種の侠気が要求される。
      # 侠気を持たないものは、同等の扱いを受ける資格が無い、と言ってもいい。

      町人根性のどこが(武侠市民の根性と違って)よろしくないかと言うと、
      広義でない、狭義の暴力(本当の、拳や剣やマスケット銃や
      This is My Rifle, there are many like it but this one is mine! を使った)
      を全く他人任せにして、
      つまり強い誰かの影に隠れることで「自分を餓死と不慮死から遠ざけよう」とする所が、
      その「強い誰か」から見て「守るに値する姿をしているか?」と自分を客観的に見る力すら失うほどに
      堕落している、その様が、裸の王さまっぽくて、ヘドが出るなぁと。

      え、外してる? ごめんね!(><

      親コメント

アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い

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