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他の場所でどれだけ「セイギノミカタ」できるのか考えてみればわかるよ。
警察で「悪のふり」をするのと、民間でできる範囲の「正義の味方」、どちらがストレスが溜まらないんでしょうねぇ。あと、別に日本に拘る必要はないという条件を忘れていると思います。
以上の事から、正義の味方をできる場所って結構あるとおもう。
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私は「後藤隊長がそこにいる他にない」とは思わないのだけれど、「後藤隊長が『そこにいる他にない』と信じた」というのはその通りだと思います。なぜそう信じたのかって事ですね、結局。
日本に拘る必要はないってのは違うと思います。後藤隊長の趣味はあくまで「正義が成されている状態を保持する事」であって、「自身が正義を成す事」ではありません。自身が正義を成すのであれば、それこそ内海課長と同様に海外だろうが企業だろうが裏社会だろうが何処でも可能ですが、後藤隊長はそうではありません。後藤隊長の趣味が満たされるには後藤隊長自身が「正義の成された結果」を正しく認識できる必要があり、それを外国で満たせるかと言うと無理じゃないかと。と言うか、後藤隊長の趣味が満たされた状態ってあの特車二課の緩い日常そのものじゃないかなぁ、と思うのですが。
後藤隊長の趣味が満たされるには後藤隊長自身が「正義の成された結果」を正しく認識できる必要があり、それを外国で満たせるかと言うと無理じゃないかと。
「無理だ」と思う理由はなぜ?
少なくとも私の経験で言えば、日本であろうが外国であろうが、この辺りが「無理」だというほど世の中の正義は多様性はないし、一方でその微妙な差が問題になるほど世の中は正義で満ち溢れてはいません。ですので、「正義がなされた」事に関する認識の相違が問題になるほど、ギリギリの選択ばかりが続くような状態になるとは思えない。
一方で。例えば言語とか風習に関して言えば…カミソリ後藤と言われるほどの人が、たかが外国語の一つや二つで困るとは思えない。見知らぬ地に行った場合の、現地や現場に溶け込むのに必要なレベルの言語習得に必要な時間は、普通の人でも6ヶ月程度ですので、後藤隊長クラスなら3ヶ月必要ないんじゃないかと。# 日本には「商社」という恐ろしい組織があってな、粗奴らが 1950年代後半から活躍してくれたお陰で、# この手の研究データは結構溜まっておるのじゃよ。
最後に、インターポールとかいくらでも受け皿はありそうだ。
こう考えると、「無理じゃない」と思えるんですよね。
「無理だ」と思う理由はとりもなおさず、後藤隊長が「日本の警察官だから」としか言いようがありません。ここら辺、説明が難しいのですが。
彼は警察組織内にそれなりの人脈があり、裏を返せば知り合いが一定数居る訳です。本編中でも「みんなで幸せになろうよ」と言っていたり部下のフォローを意外ときめ細かく行っている事から推察する限り、彼の趣味の対象には「みんな」が含まれており、その「みんな」と関係のない場所での活動が彼の趣味と合致するかと言えば、合致しない気がします。インターポールが具体的にどの様な活動を行っているか詳しく知らないため、もしかしたらインターポールであれば目的を果たせるのかも知れませんが。最初から後藤隊長が国際的な視野での活動を行っていたのなら、外国での活動も全く問題無かったと思いますが、彼はそれなりの年数を警察官として奉職しており、良くも悪くも「日本の警察官」としてのルーツが出来ています。それを切り離した活動が彼の趣味を満たせるかと言えば、無理じゃないかなぁ、と言うのが私の考えです。
後藤隊長がどこに居たいか(「居なければならないか」ではなく)は、正義感や趣味だけで決まるものではないと思います。映画(特にパト2)で色濃く演出されていますが、後藤隊長もおやっさんも、「(イタリア的な文脈での)ファミリー」を強く意識させる部分があります。人のネットワークが強い部分も含めて、後藤隊長は「人の間にいるモノ」として描かれているのではないでしょうか。
内海さんは、あくまで「機能を愛するモノ(の中に垣間見える『人間』像も含む)」として描かれているように思います。バドへの態度もそうですが、熊耳さんに対する屈折した感情も。
# ああ、我慢してたのに読み返したくなってきた‥‥‥。愛蔵版大人買いしてしまおうか。
人のネットワークが強い部分も含めて、後藤隊長は「人の間にいるモノ」として描かれているのではないでしょうか。
それはその通りですが、一方において彼は 左遷 されているわけですよ。
この場合の左遷というのは「それまでの人間と、仕事の上でのコミュニケーションがしにくい状態を作るために、今までの仕事場から遠く離れた場所に、全く違う種類の業務に、追いやられること」です。だって切れるんだもの、後藤さん。そのままの影響力を駆使されると困るんですよ、偉い人達は。だから、影響力を断つ必要があった。つまり、彼は特車二課にはほとんどネットワークを持っていなかった。一から作り直しているわけです。
パトレイバーのストーリーが終わったあとに、後藤隊長に動けと言われたら動かないだろう、というのはおっしゃる通りで、説明がつきます。特車二課第二小隊は彼が作った、彼のホームグラウンドです。
でも、パトレイバーのストーリーの前に彼があそこにいることを選んだ理由はなにか? という説明にはなっていないんですね、その着眼点は。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
後藤隊長はそこに居る他にないんだよ。 (スコア:1)
他の場所でどれだけ「セイギノミカタ」できるのか考えてみればわかるよ。
Re:後藤隊長はそこに居る他にないんだよ。 (スコア:1)
警察で「悪のふり」をするのと、民間でできる範囲の「正義の味方」、どちらがストレスが溜まらないんでしょうねぇ。あと、別に日本に拘る必要はないという条件を忘れていると思います。
以上の事から、正義の味方をできる場所って結構あるとおもう。
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私は「後藤隊長がそこにいる他にない」とは思わないのだけれど、「後藤隊長が『そこにいる他にない』と信じた」というのはその通りだと思います。なぜそう信じたのかって事ですね、結局。
fjの教祖様
Re:後藤隊長はそこに居る他にないんだよ。 (スコア:1)
日本に拘る必要はないってのは違うと思います。
後藤隊長の趣味はあくまで「正義が成されている状態を保持する事」であって、「自身が正義を成す事」ではありません。
自身が正義を成すのであれば、それこそ内海課長と同様に海外だろうが企業だろうが裏社会だろうが何処でも可能ですが、後藤隊長はそうではありません。
後藤隊長の趣味が満たされるには後藤隊長自身が「正義の成された結果」を正しく認識できる必要があり、それを外国で満たせるかと言うと無理じゃないかと。
と言うか、後藤隊長の趣味が満たされた状態ってあの特車二課の緩い日常そのものじゃないかなぁ、と思うのですが。
Re:後藤隊長はそこに居る他にないんだよ。 (スコア:1)
「無理だ」と思う理由はなぜ?
少なくとも私の経験で言えば、日本であろうが外国であろうが、この辺りが「無理」だというほど世の中の正義は多様性はないし、一方でその微妙な差が問題になるほど世の中は正義で満ち溢れてはいません。ですので、「正義がなされた」事に関する認識の相違が問題になるほど、ギリギリの選択ばかりが続くような状態になるとは思えない。
一方で。例えば言語とか風習に関して言えば…カミソリ後藤と言われるほどの人が、たかが外国語の一つや二つで困るとは思えない。見知らぬ地に行った場合の、現地や現場に溶け込むのに必要なレベルの言語習得に必要な時間は、普通の人でも6ヶ月程度ですので、後藤隊長クラスなら3ヶ月必要ないんじゃないかと。
# 日本には「商社」という恐ろしい組織があってな、粗奴らが 1950年代後半から活躍してくれたお陰で、
# この手の研究データは結構溜まっておるのじゃよ。
最後に、インターポールとかいくらでも受け皿はありそうだ。
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こう考えると、「無理じゃない」と思えるんですよね。
fjの教祖様
Re:後藤隊長はそこに居る他にないんだよ。 (スコア:1)
「無理だ」と思う理由はとりもなおさず、後藤隊長が「日本の警察官だから」としか言いようがありません。ここら辺、説明が難しいのですが。
彼は警察組織内にそれなりの人脈があり、裏を返せば知り合いが一定数居る訳です。
本編中でも「みんなで幸せになろうよ」と言っていたり部下のフォローを意外ときめ細かく行っている事から推察する限り、彼の趣味の対象には「みんな」が含まれており、その「みんな」と関係のない場所での活動が彼の趣味と合致するかと言えば、合致しない気がします。インターポールが具体的にどの様な活動を行っているか詳しく知らないため、もしかしたらインターポールであれば目的を果たせるのかも知れませんが。
最初から後藤隊長が国際的な視野での活動を行っていたのなら、外国での活動も全く問題無かったと思いますが、彼はそれなりの年数を警察官として奉職しており、良くも悪くも「日本の警察官」としてのルーツが出来ています。それを切り離した活動が彼の趣味を満たせるかと言えば、無理じゃないかなぁ、と言うのが私の考えです。
人間、としての後藤隊長 (スコア:1)
後藤隊長がどこに居たいか(「居なければならないか」ではなく)は、正義感や趣味だけで決まるものではないと思います。
映画(特にパト2)で色濃く演出されていますが、後藤隊長もおやっさんも、「(イタリア的な文脈での)ファミリー」を強く意識させる部分があります。人のネットワークが強い部分も含めて、後藤隊長は「人の間にいるモノ」として描かれているのではないでしょうか。
内海さんは、あくまで「機能を愛するモノ(の中に垣間見える『人間』像も含む)」として描かれているように思います。バドへの態度もそうですが、熊耳さんに対する屈折した感情も。
# ああ、我慢してたのに読み返したくなってきた‥‥‥。愛蔵版大人買いしてしまおうか。
Re:人間、としての後藤隊長 (スコア:1)
それはその通りですが、一方において彼は 左遷 されているわけですよ。
この場合の左遷というのは「それまでの人間と、仕事の上でのコミュニケーションがしにくい状態を作るために、今までの仕事場から遠く離れた場所に、全く違う種類の業務に、追いやられること」です。だって切れるんだもの、後藤さん。そのままの影響力を駆使されると困るんですよ、偉い人達は。だから、影響力を断つ必要があった。
つまり、彼は特車二課にはほとんどネットワークを持っていなかった。一から作り直しているわけです。
パトレイバーのストーリーが終わったあとに、後藤隊長に動けと言われたら動かないだろう、というのはおっしゃる通りで、説明がつきます。特車二課第二小隊は彼が作った、彼のホームグラウンドです。
でも、パトレイバーのストーリーの前に彼があそこにいることを選んだ理由はなにか? という説明にはなっていないんですね、その着眼点は。
fjの教祖様
Re:後藤隊長はそこに居る他にないんだよ。 (スコア:1)
その意味で完璧だった幌場の犯罪を未然に防いだ後藤隊長ってのは、エクセレントな作品だと思います。