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人間対コンピューターのチェス対決から「知識」の本質に迫る」記事へのコメント

  •  『「知識」とは何か?』って言葉遊びは置いておくとして、今までの常識or数学的アプローチ以外の、新たなアプローチなり、アルゴリズム等が見つかると良いですね。

     個人的には、チェスと言うルールの有るゲームでの話なんで、人間が負けたからと言って、コンピュータに「知識」が有るとは思いませんが。
    #単に、人間の思考を超えるパターンを、力技
    • どこまでやったら『知能』と呼べるかに対して、「程度の問題」と答えることが、知能の本質をついていると思います。
      つまり知能というのは、対象物の属性じゃなくて観察者の主観で決まるんですよ。

      極端な話、人の行動と自分の趣が合わなければ
      「あいつはバカだ」(さすがに知能がないとまでは言わないが)で片付けられ
      • by Anonymous Coward on 2002年10月25日 14時55分 (#189579)
        元記事では、研究しているのは認知心理学者ですね。認知心理学では主観なんて言葉で逃げたりはしないはずです。

        そして心理学者は、自分たちが「知能」の本質を捉えることが出来ていなくて、知能の定義すらままならないことを自覚しています。その証拠に 知能を定義しようと様々な試みをあげく、「知能とは知能テストで測定されたものである」というヤケクソというか自虐的な定義を提案せざるを得ない不甲斐なさを嘆くことすらあります。

        チェスの対戦を元になんらかの突破口が得られれば良いですね。
        親コメント
        • 確かに、観察者の「主観」と言い切るのは、いき過ぎだったかもしれません。

          知能の判断は、対象物自体の属性(内部プロセスが「高級」かどうか)ではなく、観察される行為の結果に依存する

          ―ぐらいが妥当でしょうか。まさに

          > 「知能とは知能テストで測定されたものである」

          ということだと思います。身体性認知科学では、嘆くどころかこれをよりどころにしていますね。
          で、じゃあ多くの人が見て公平な知能テストを用意できるのか、というところが研究のミソなんでしょう。
          親コメント

弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家

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