sitosiのコメント: Re:そもそも日本ではワープロ(専用機)が流行った試しはない (スコア 4, 参考になる) 233
結果、日本でワープロが売れるのは連文節変換プログラムの誕生を待つ必要があり、つまりマイコンどころかPCの方が先だったので専用機は全く流行らなかった
いやいやいや。日本語文書作成は当初はワープロ専用機の方が断然優れて高機能でしたよ。PC のワープロソフトは当初は単に「何とかパソコン上でもワープロ機能を実装しました」という程度だったはず。だからワープロ専用機が爆発的に売れたんで、「専用機は全く流行らなかった」というのは事実ではない。PC のワープロ機能が少しずつ注目されるようになったのは、PC-98 上で「一太郎」が走るようになってからではなかったかしら? それだって、当初はワープロ専用機に比べると競争にならなかったと記憶しています。あくまでも「当初」ね。だから PC ワープロソフトに対してワープロ専用機の方が優れていて、圧勝していた時期は5~10年間位はあったんじゃないかしら?(一般向けワープロ専用機が登場したのは 1979年、ワープロ専用機の家庭普及率が最高に達したのが 1998年、パソコンの売り上げがワープロ専用機を逆転したのが 1999年、最後のワープロ専用機が発売されたのが 2000年。)当初は「キヤノワード」や JDL の「文作くん」なんかは高機能高価格のデスクトップ機でしたが、1980年代半ばから小型のタイプライター型のワープロが登場し始め、各社色々出していますが、東芝が出した Rupo が登場してから一気に家庭用ワープロの普及が進んだように記憶しております。
それでもPC-98が50万とかしていた時代は廉価版としての価値はあったかもしれないが、
「PC-98が50万とかしていた時代」に「キヤノワード80」は150万位してました(各種オプションを漬けての値段です)。当時としては珍しい白い背景に黒文字で表示する Mac のような画面で、スキャナや作図機能も付いておりました。「文作くん」とどちらにするか悩んだのですが、結局、ハードディスクを内蔵していた「キヤノワード80」にしました(1985年だったと記憶しております)。非常に重宝しましたし、稼いでくれましたが、パソコン (MS-DOS) に乗り換えた時に外字が全滅し、それ以来外字は絶対に使わない派になり、Unicode 登場に感涙した者です。