また、DOS 時代であるというのが微妙な点です。
当時小学生以下などの子供が気軽に PC を利用できる時代ではなく、元々ある程度高い年齢 (高校生以上~社会人) を想定している点があります。
このため、制作側の想定年齢層が基本的にやや高めに設定されていたり、ストレートに子供向けとして出てくるゲームが少なかったという点が多いです。
ところで経営系のゲームは極めて昔から出ていますし FC 時代から株式投資類なども存在しますね。
ただしこの手の物を「大人向け」と感じたことは一度もありません。コンシューマー機用、PC 用を問わず。
大戦略、Master of Monsters、信長の野望、天舞、雀豪、Wizardry、Ultima、Might and Magic、Civilization、Europa Universalis、Age of Empires ……といった辺りなどをやっていますが、いずれも「大人向け」と感じたことはありません。ただし「児童向け」と思ったこともありません。
これで A の特定分野において A が素晴らしいというのはあり得ると思いますが、大半の人は (B の方がおいしい料理を作れるなら) B に軍配を上げてしまうんじゃないでしょうか。
で、「大局的に」A の方が勝利だと思いますか。B の方が勝利だと思いますか。
音楽の符号化に関してはおそらく A の方が有用でしょう。しかし人々に対して直接的な幸せを与える意味では、おそらく B の方が有用でしょう。
>A「mp3 における音響心理モデルの計算において、より効率的かつ効果のある計算結果を出せる式を作る勝負だ」 >B「いや、それよりもおいしい料理の作りあいで勝負しましょうよ。そっちの方が一般的ですし」 >これで A の特定分野において A が素晴らしいというのはあり得ると思いますが、大半の人は (B の方がおいしい料理を作れるなら) B に軍配を上げてしまうんじゃないでしょうか。 >で、「大局的に」A の方が勝利だと思いますか。B の方が勝利だと思いますか。 >音楽の符号化に関してはおそらく A の方が有用でしょう。しかし人々に対して直接的な幸せを与える意味では、おそらく B の方が有用でしょう。
>音楽の符号化に関してはおそらく A の方が有用でしょう。しかし人々に対して直接的な幸せを与える意味では、おそらく B の方が有用でしょう。
これは、「特定分野に真剣に訓練をした結果、別領域で勝負されて敗北する」典型例になってますね。
暗にBの勝利を示唆している様に感じられますが、「音声符号化」に未熟なBが勝利するのは、「真剣に訓練した者が勝利する」を否定してませんか?
いえ、まったく。B の方が勝利するように感じられたとしたら私の書き方の問題です。
ここから「音楽の符号化に限らない数学系の問題領域」であっても、おそらく A の方が能力は高いでしょう。
一方、B は栄養学などについて一般の人より詳しい可能性があります。
わざとさほど難しくなさそうなレベルで B を設定したのは、必ずしも専門家が自分の専門分野のみで勝負できる訳ではないということと、そんな風に勝負の領域を簡単に変えられるような話である事自体が、別に A も B もその勝負自体がどうでも良かったりしないでしょうか。
全年齢を対象としたゲームで「大人が子供に教えを乞う状況」や「大人が子供に負ける状況」は、そういったどうでもいいレベルにしか見えない、ということです。
その時間帯だと (スコア:2)
下手すりゃ日本で言うサラリーマン的な人はオンラインゲームは土日に限定される感じでしょうか。
出来たとしても帰ってから1~2時間プレイするのが精一杯ですね。
深夜のプレイを禁止するというよりは連続でプレイが出来ないような仕組みの方がいいのかな~とも思ったりします。
FF14にある疲労度みたいな感じでしょうか。(まぁFF14の疲労度も微妙ではありますが)
まぁ廃人なら複数アカウントで意味ないのかもしれないですが。
Re: (スコア:0)
Re:その時間帯だと (スコア:1)
賭博類 (競馬等の日本で認められている物以外、たとえばラスベガスで遊ぶ、なども含む) はあなたの基準では「ゲーム」に含まれるのでしょうか。
ポーカーなどは大人になってからでないとまともに楽しめない「ゲーム」であるとも思えます。
海外を挙げずとも、日本でも将棋や囲碁などは昔から大人も子供も (むしろ大人の方が多いような……) 楽しむゲームではないでしょうか。クロスワードパズルなどもやはりゲームに入りますよね。
「サラリーマンになってゲームしてる事」って、そんなに否定されるような事でしょうか?
大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
「サラリーマンになっても、子供/学生向けの商品やサービスを購入する事」は、否定されるべきじゃないかと思います。
その理由は、市場が画一化してしまうからです。
もう既に起こっている感が在りますが、「子供には売れない」製品市場への新規参入者が減少し、一方で全年齢対象市場が広がるので、多数の製品が「子供向け」化します。
個人の時間は有限なので、子供向け製品で消耗した時間分、大人向け製品の使用頻度が下がって、市場が縮小し、利益が見込めないから新製品が出ず、更に市場が縮小する悪循環を招きます。
結果、市場が子供向け製品だけになり、大人向け製品が無くなると、購入したくても出来ない状況になってしまい、これが、大人の児童化を招くように思われるからです。
例に挙げている、ポーカーや将棋・囲碁等は、果たして、現在の若いサラリーマンに支持されているのでしょうか?
私見ですが、この手の「大人向け」ゲームは、既に高齢化しており、若い社会人が子供向けゲームで遊んでいるのが実態で在る様な気がします。
(20代の人々に将棋・囲碁・麻雀のルールを知っているかアンケートを取れば判明するでしょうが)
大人の児童化を防ぐなら、「サラリーマンになって全年齢対象ゲーム何かするんじゃない」と否定するのは、それなりに効果が在ると思います。
ここで重要なのは「ゲーム」を対象年齢を指定せずに一セグメントに纏めてしまうのが、一番の問題で在る点です。
で、現状では、ゲーム≒全年齢対象ゲームなので、「サラリーマンになってゲーム何かするんじゃない」と拡大化した主張は、社会の健全性を守るためには有効ではないかと個人的に思います。
-- Buy It When You Found It --
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
ゲームは娯楽商品の一種でしかありませんし、大人向けと「している」商品が無かろうと、どうせ別に娯楽を見つけられますよ。
また、市場原理としても供給側は選択と集中が行われるのは確かですが、「それしかない」状況というのはほぼ考えなくても問題ありません。どうせ差別化のためにも供給者側としては異なる方向、異なる商品を出してきますから。
小説や漫画も娯楽商品の一種ですが、これらと共通する批判する人にありがちな偏りを感じます。触れずに印象と想像だけで批判していないでしょうか。
パッと見が似たようなものだから、自分が知っている一つの面からすべてを判断しがちという感じがします。
ゲーム機で遊んでいる姿だけを見たり、小説や漫画を読んでいる姿だけを見たりして判断していませんか。
また、子供向けとされるものを大人になってから改めて触れてみることで新たな発見がある、子供の頃にはできなかった異なる解釈ができる、というのは良くある話ですね。
こうしたことに負の側面しかない、と考えているのでしょうか。
そもそも娯楽としては「子供向け」「大人向け」「高年齢層向け」などというものは元々存在しないものを、区別しやすいように、さも存在するかのように作り上げているだけではないでしょうか。
「子供では理解することができない複雑であったり、さまざまな経験を要求するものを大人向けとしてカテゴライズしてきた」「大人ではこの程度の "子供だまし" では充足感を得られないため子供向けとカテゴライズしてきた」という程度の話ではないでしょうか。
なお、将棋や囲碁、麻雀などの娯楽が高年齢化しているかという点については疑問です。狭い範囲ですが私の周囲で言うと、私自身はこの手のゲームは小学生の頃 (20 年以上前ですね) から知っていますが、当時でも同年代の友人と遊んでいましたし、現在 10 代、20 代の人とも一緒にプレイしています。
昔とは違って集まらなくてもネット上で一緒にプレイできますので、あるゲームで知り合った人からメンツが足りない時にオンラインの麻雀ゲームに呼び出され、Skype でだべりながらオンラインで卓を囲むなんてのはちょこちょこありますよ。
私見に対して私見で返すこととなりますが、「大人になったらゲームなんてしてないで」というのは、社会人になって忙しくなってくるのだから遊んでいる暇はないだろうとか、勤労に対する美徳という点が逆方向に働いた結果、非生産行為に対して嫌悪感を感じているだけではないでしょうか。
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
>また、市場原理としても供給側は選択と集中が行われるのは確かですが、「それしかない」状況というのはほぼ考えなくても問題ありません。
>どうせ差別化のためにも供給者側としては異なる方向、異なる商品を出してきますから。
実際には、そんな現象が起こってません。
一時期、DSで脳トレや実用系ゲームがブームになりましたが、すぐに失速しました。
理由は、パイが小さくてすぐに一巡した後の売り上げが無くなった為です。
また、パイが小さいので、薄っぺらいコンテンツしか出せません。
好例がエロゲで、全年齢対象と比べて、システム的に貧弱なものしか存在しません。
>また、子供向けとされるものを大人になってから改めて触れてみることで新たな発見がある、子供の頃にはできなかった異なる解釈ができる、というのは良くある話ですね。
>こうしたことに負の側面しかない、と考えているのでしょうか。
それを言い訳にして、「成人向け」が出ないなら、負の側面しかないでしょう。
全年齢対象にすると、多数の制限が掛かるので、表現の幅がどうしても小さくなります。
例として、血飛沫の場合、出すと暴力的になって、レーティングが上がるか販売不能になります。
販売側にとって、これは致命的なので、演出を抑えざるを得ず、不足する演出効果を追加するためにシステムデザインを変更する事になります。
例えば、キャラを人ではなくロボットにして、部品が飛び散るなら、同等演出をレーティングを上げずに可能になります。
結果、ゲームとしては、当然別物になります。
で、これを本来の成人向けにしたバージョンが発売されるかと云うと、コスト的に全く見合わないので出ない事になります。
システムデザインがロボット物に変更されてるから、開発リソースは新作並みに必要な癖に、見かけのゲーム性が同等で「キャラを入れ替えただけ」に見えるから、パイの小ささを考えても利益が余り見込めない上に、全年齢版の販売数がその分減るので、営業的に出せない理屈になります。
結果、「大人でも楽しめるように作って有る」と言いつつ、製品の画一化に帰着します。
そして、本当に大人ならでの遊び方が在るかと云うと、大いに疑問です。
と云うのは、「子供でも楽しめる」機能を大人が使う事が可能だからです。
>「子供では理解することができない複雑であったり、さまざまな経験を要求するものを大人向けとしてカテゴライズしてきた」
>「大人ではこの程度の "子供だまし" では充足感を得られないため子供向けとカテゴライズしてきた」という程度の話ではないでしょうか。
そうでは無いです。
例えば、クリアするのに深い戦略性が必須のゲームだと、子供にはクリア不能な「クソゲー」になります。
子供でもクリア可能に出来る難易度設定だと、「縛りプレイ」をしないと大人向け難易度になりません。
そして、「縛りプレイ」は、コアなプレーヤ以外は行いません。人間は楽に出来る方法を知っていれば、そちらを使うのが普通だからです。
又、「子供騙し」でも、初体験だと大人も十分に楽しめてしまいます。
で、問題としたいのは、初見の楽しさの奥に、大人向けの深い楽しみが用意されているか、又、それにプレーヤが気付くかと云う点です。
これが十分に用意されていれば、全年齢対応で画一化されても、余り問題にならないと思います。
従来の、トランプや囲碁・将棋等には、確かに存在していました。
が、ゲームソフトとして供給する場合、恐らく期待出来ないです。
と云うのも、同一ソフトで延々楽しまれると、新ソフトが売れないからです。
総売り上げ本数減を単価増で補う事も、単に「高価」と言う理由で敬遠されるので困難です。
結果、初見だけ楽しめる、薄くて安価な製品群でゲーム市場が埋め尽くされる事になります。
実際に、この現象は起こりつつあり、ゲームメーカが懸念しています。
で、個人的に一番問題視したいのは、「大人も子供も同じゲームを同じ様に遊んでいる」状況です。
これは、「子供と比べて余暇が少ないと思われる大人が、子供と同じ事をしていて良いのか?」と云う問題提起でも在ります。
無論、大人には「仕事」と云う、子供とは別の生産行為を行っているので、単純には否定出来ないです。
が、もしも、その「仕事」に因って十分な社会経験が得られないなら、「大人の成長」が見込めません。
つまり、「作業としての仕事は出来るけれど精神的には子供のまま」な大人が量産される事を危惧してます。
>私見に対して私見で返すこととなりますが、「大人になったらゲームなんてしてないで」というのは、社会人になって忙しくなってくるのだから遊んでいる暇はないだろうとか、勤労に対する美徳という点が逆方向に働いた結果、非生産行為に対して嫌悪感を感じているだけではないでしょうか。
従来の感覚では、正にその通りだったと思います。
そして、それを否定するのも妥当な主張だと感じます。
ですが、私が言いたいのは、上記視点で考えた新しい感覚で、敢えて「大人になったらゲームをするな」と云う主張が「有り」じゃないかと云う事です。
但し、肯定するのは「『するな』と主張する事」だけです。
実際に大人がゲームをする行為自体は否定しません。
-- Buy It When You Found It --
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
その傾向が強いのは否めませんが、それは提供する娯楽の目的物が異なるから、という点が大きく関わっていませんか。
ゲーム自体の楽しさを得る目的で作成されているものと、ゲームの形態を取っているだけに過ぎず、実際はゲームに含まれるコンテンツを提供する目的で作成されているものの違いでしょう。
実際、「とにかくすごいことをやってみたい」というとんがった方向性で作られているものでは、顔認識や特殊コントローラーの追加など、一般向けではやりづらい方向で様々にシステムを作りこんでいませんか。
これは元々一般向けとして出すゲームを想定しており、それだけのコストを投入する事を前提とした開発を行っているからですね。
利益の最大化という点から「エロゲの一般向け版」は実際に販売されていますし、それなりの売り上げを出しているように思います。
難易度設定を変えられる SLG は普通に多数あるかと思いますが。信長の野望でも Civilization でもいいですが、大抵の SLG などはそのようになっていますね。
そうした難易度設定の変更により不慣れな人でも慣れた人でも楽しめるように作る、というのはバランス調整に時間をかける必要が出てくるため、そうした点でコストをかけられない、つまり妥協した結果としてそのようになっていると考える方が自然でしょう。
特にコンシューマー機向けでプログラムのアップデートにより難易度調整を行う事ができないようなものについては、事前のバランス調整にコストがかかりますので。
「たっぷり楽しんでもらい、自社の次の作品も買ってもらう」事ができるならそれはそれで良いことですし、端的に言えば「自社の次の作品が出るまでやり続けてくれる」程度であれば十分な訳です。下手に他のメーカーの作品に金を使われたりせず、次回作を買うお金を残してくれる方が助かります。
次の作品が出てもひたすら前の作品をやり続け新作を買ってくれないという状況が発生するほどであれば問題ですが、普通そこまで気に入っているなら次回作も買いますし、それほどやりこんだゲームと同じメーカーの作品であれば別系統の物でも購入時に選択する可能性が上がるでしょう。
複雑化しすぎたシステム、高難易度化しすぎたゲームに対する反動という点を忘れているように思いますが……。
また、生活スタイルの変化から「ちょっとした時間を潰せるゲーム」といった消費の仕方も少なくなく、こうした部分のパイの広がりを狙って製品が集中した結果でしょう。
それと、企業視点が強すぎるように思います。広告もなく CGI や Flash などでゲームができるサイトなどもあります。こうしたものも「一般向けに提供されているゲーム」ですし、利益が絡まない分野で作られているものの場合「薄くて安価な製品群で埋め尽くされている」状況とはまだまだ遠いように思います。
もっとも商業ベースではない分作りこみの甘さなどがあり、そういう意味では質が高くないものも多いですが。
一連のコメントを見ると、「ゲーム」に対する「大人がゲームをする行為を否定する」ではなく、「国内商業ゲーム市場」に対する「大人がゲームをする行為を否定する」となっているように見えます。
それはそれで一つの主張とは思いますが、海外のゲームもプレイする身としては違和感を強く感じざるを得ない部分が多いですね。
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
>実際、「とにかくすごいことをやってみたい」というとんがった方向性で作られているものでは、顔認識や特殊コントローラーの追加など、一般向けではやりづらい方向で様々にシステムを作りこんでいませんか。
正直、話題作りの為で「作りこんで」はいないと思いますが。
単に、実験室レベルの要素技術を実装しただけに見えます。
これは個人の憶測ですが、何処かの大学に研究依頼したのをそのまま乗っけたんじゃないかと。
>利益の最大化という点から「エロゲの一般向け版」は実際に販売されていますし、それなりの売り上げを出しているように思います。
これは、概ね、単なるプラットフォーム変更ですね。
それに、エロゲの全年齢化は行われても、逆の、全年齢版の成人向け化は、極稀な例外以外行われていません。
で、そもそもの個人的懸念は、タイトルに在る「大人の児童化」です。
これが、子供も大人も同一コンテンツで遊ぶ事で加速するのではないかと考えてます。
//単に個人的な杞憂で在る可能性も十分に有るのを承知で
で、その回避には、大人向けと子供向けで製品をセグメント分けする必要が在るのでは無いかと。
その為の一歩として、「サラリーマンがゲームなんかするじゃない」と云う主張を認めるのが効果的ではないかという考えです。
>それはそれで一つの主張とは思いますが、海外のゲームもプレイする身としては違和感を強く感じざるを得ない部分が多いですね。
海外ゲームは、レーティングとセグメント分けがそれなりに機能していると感じます。
なので、問題は国産ゲームが主な対象です。
そして、国産ゲームで大人が児童化するならば、それは日本人にだけ起こると云う嬉しくない事態に陥ります。
ま、ACが指摘したとおり、かなり電波が入ってますから、気にする必要は無いとも思われます。
でも、「大人がゲームべきじゃない」と言う主張を無条件に否定するのも、思考停止した危険な考えかと。
-- Buy It When You Found It --
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
パイの大きいコンシューマー機市場や携帯ゲーム機市場などの場合、そういうものを乗っける余地はありませんから。
「成人向け化」は、このコンテキストでは「CERO レーティング Z 化」「難易度のバランスをさまざまな経験を積んだ大人を想定したものとする」という話だと思います。前者は基本的に必要ない (残虐化、狂暴化等は本質ではなく表現方法の変更であり、特に必要がなければ最初から on/off 可能なものとして出しているため。イースシリーズなどは血飛沫 on/off オプションなどが存在します) 場合が極めて多く、後者は先のコメント通り、調整可能であればやはり最初から対応しているため、必要がなければあまり出ません。
なお、パズル系では問題の高難易度化が施されたコンテンツは存在します (数独の難易度が高い問題、フラッピーなどでの高レベル面など) し、それが収益に繋がると判断された場合には行っていますね。
海外のゲームが国内に入ってくる際、必ず移植や販売を行うメーカーによりフィルターがかかります。このためそうしたものが目立たないという点に尽きるかと思います。
「日本ではほとんど好まれない」バスケットやアメフトなどのゲームはアメリカ辺りでは非常に多く出ているわけですが、シンプルなスポーツゲームの場合、それこそあなたの言われている「大人の児童化を促進する」ようなレベルのゲームではないでしょうか。
また、では大人がこうしたスポーツをするのは「大人の児童化を避ける」という観点から望ましいのでしょうか。望ましくないのでしょうか。
コンピューターゲームで行うか実際に体を動かすかの差はあるものの、本気でプロを目指さない人が気軽に遊ぶことはそんなに望ましくない事でしょうか。
ゲーム会社が社員を養っていくために収益を確保する必要がある、という点からパイの最大化を目指した結果としての広範な対象をユーザーとして取り込めるゲームを作成する、という姿勢がある以上、あなたが危惧している点が解消されることはないように思います。
業界が成熟したために発生しやすい事象であるとは思いますが、ボリュームがあり楽しみ甲斐のあるコンテンツがまったく売れないという訳ではありませんし、そういう傾向が強くなった中でもモンハンや世界樹の迷宮といった「売れる」新作シリーズが出てきている現状を考えても、そこまで絶望視するような状況ではないようにも思えます。
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
>パイの大きいコンシューマー機市場や携帯ゲーム機市場などの場合、そういうものを乗っける余地はありませんから。
いや、「作り込み」の問題です。
例えば、ラブプラス辺りは、トンでもない人員を投入して作りこんでます。
実験室レベルのものをポン付けしたんじゃ、マス市場には受け入れられないんですよ。
>イースシリーズなどは血飛沫 on/off オプションなどが存在します) 場合が極めて多く、後者は先のコメント通り、調整可能であればやはり最初から対応しているため、必要がなければあまり出ません。
これは、今度はシステムレベルの調整の話ですね。
血飛沫のon/offで、ゲーム性が変らないなら、見掛け倒しです。
返り血や血痕で戦闘が不利になるとかの、血飛沫が前提のゲームデザインに変化したりはしないですよね?
また、「調整可能」も、実態は、敵が固くなるだけ等の本質的には変らないのが一般的じゃないです?
それも、ゲーム操作さえ向上すれば、子供でもクリア出来てしまう様な程度の変化しかないと思うのですが。
「大人は凄げぇ」と思わせるだけの調整が施されているゲームって在るでしょうか?
>「日本ではほとんど好まれない」バスケットやアメフトなどのゲームはアメリカ辺りでは非常に多く出ているわけですが、
ゲーム本体がどうなっているかは知りませんが、アメフトやバスケは、実は非常に戦略性の高いスポーツですよ。
特にアメフトは、初期配置の時点で全選手の行動がほぼ確定していて、それをトレース出来るか否かを問うスポーツだったりします。
DOS時代のアメフトゲームしか経験がありませんが、そのゲームでは、選手を操作するのではなく、作戦を決め、その遂行能力を上げる練習メニューを設定するゲームでした。
当然ですが、子供なんて眼中に無い、完全大人向けのゲームです。
>モンハンや世界樹の迷宮といった「売れる」新作シリーズが出てきている現状を考えても、
個人的には、モンハンが一番、大人を児童化させるゲームだと感じてます。
ゲーム内で、大人と子供が同等に勝負出来るシステムじゃ駄目なんです。
まして、ゲーム操作に慣れた子供が大人に操作を教えるようじゃ、話になりません。
そう云う点では、RMTありのゲームなんかが、比較的差別化可能な部類です。
「金に物を言わせて大人ってずるい」と言わせれば、確実に差別化出来ているかなと。
時間に余裕の有る子供や学生が時間で稼いだ「強さ」を、時間の無いサラリーマンがRMTアイテムで粉砕するのが在る意味理想的な状況の様な気がします。
尤も、現状の実態は、子供からも搾取するシステムになって居る様なので、現状のRMTを認めるものでは在りません。
-- Buy It When You Found It --
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
単に「想定層に受け入れてもらえるように作りこみを行っている事」を指しているに過ぎません。
ラブプラスが持つ本質的なゲーム性の深みを広げるようなゲームシステムの作り込みに繋がっているものかどうかという点を評価した場合に、投入された「トンでもない人員」のどれだけが益となったでしょうか。
投入された人員 = 作り込みの良さが直結しないという点については、ことゲームに限らない話です。
なお、ここで指摘したいのは「そういう遊び心を持った作り手に付いてこれるニッチな層を対象とした製品」をコンシューマー機市場や携帯ゲーム機市場に持ち込むのは非常に困難である、という点です。
昔の FC 時代とかであればまだしも、DS に外付けキーボードを付けるような形でプチコンが作られていたら、果たして製品化は可能だったでしょうか。
外部からのコード読み込み手段として使わない形としての外部接続機器だけなら可能だったかもしれませんが、価格面や持ち運びの面、在庫的な問題等から商業製品として出すことに大きな壁ができたでしょう。
ゲームデザインにまったく変化がないものの「on になるだけで CERO レーティングが変化する」要因の一つです。
以上のように先にコメントされている訳です。そこでゲームデザインが全く変更しない/する必要がないものも市場に普通に存在している点は無視ですか? ということです。
ここは「ゲームの本質」について考えてみたほうがよろしいかと思われます。単純に、BIWYFI さんの言う「大人向けのゲーム」という定義が不明すぎるのですよ。
また、一連の話の中でも「児童向け」「大人向け」「一般向け」「成人向け」などがかなりあいまいに利用されていますので。
おそらくは「さまざまな知識を前提条件とし、かつ長い経験を積んだ人ほど熟達して行き強くなれる」系統の、ゲーム内ではなくプレイヤー本人の熟達を重要視するようなものなどを主に「大人向け」としているのではないかと感じます。どうでしょうか。
だとすると、これは「大人向け」の定義としては極めて弱く、むしろ不適切であるレベルになります。「熟達者すげぇ」にしかなりません。
ここで話しているのはスポーツ本来のゲーム性ではなく、スポーツゲームにカテゴライズされるゲームの方です。
そうした系統は「サカつく」などと同系統のゲームで、通常は経営シミュレーション系に入りますし一般的にはスポーツゲームには分類されません。
また、DOS 時代であるというのが微妙な点です。
当時小学生以下などの子供が気軽に PC を利用できる時代ではなく、元々ある程度高い年齢 (高校生以上~社会人) を想定している点があります。
このため、制作側の想定年齢層が基本的にやや高めに設定されていたり、ストレートに子供向けとして出てくるゲームが少なかったという点が多いです。
ところで経営系のゲームは極めて昔から出ていますし FC 時代から株式投資類なども存在しますね。
ただしこの手の物を「大人向け」と感じたことは一度もありません。コンシューマー機用、PC 用を問わず。
大戦略、Master of Monsters、信長の野望、天舞、雀豪、Wizardry、Ultima、Might and Magic、Civilization、Europa Universalis、Age of Empires ……といった辺りなどをやっていますが、いずれも「大人向け」と感じたことはありません。ただし「児童向け」と思ったこともありません。
BIWYFI さん的に「これは大人向けだ」と思えるようなゲームをいくつか挙げて頂いて、どのような点が「大人向けだ」と言っているのかを明らかにしてもらった方が話は簡単でしょうね。
そのゲームに熟達した人が新たに始める人に指導する……という単純な話に何か問題がありますか?
奨励会に入ったプロ棋士を目指す子供が手慰み程度に将棋を指す大人を負かすなんてのは普通の話ですし、感想戦もこの場合子供の方がまともにできると考えられます。
しかし、こういう状況があることを指摘して「将棋は大人がやらない方がいい」とは思いませんし、大人が遊んでも恥ずかしくないゲームだと思います。
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
>ラブプラスが持つ本質的なゲーム性の深みを広げるようなゲームシステムの作り込みに繋がっているものかどうかという点を評価した場合に、投入された「トンでもない人員」のどれだけが益となったでしょうか。
これについては、ラブプラスの作り込みを過小評価していると思います。
URLは失念しましたが、製作秘話的なゲーム記事で、意外なまでの努力に感嘆しました。
(ご希望であれば、URLを探してみますが)
>投入された人員 = 作り込みの良さが直結しないという点については、ことゲームに限らない話です。
この指摘は的外れです。
当方の意図は、貴殿の「成人向けにもシステムを作り込んでいる」と言う主張に対する、「そもそも成人用には作り込むだけの予算が無い」事を示す反論ですので。
>なお、ここで指摘したいのは「そういう遊び心を持った作り手に付いてこれるニッチな層を対象とした製品」をコンシューマー機市場や携帯ゲーム機市場に持ち込むのは非常に困難である、という点です。
こちらについても、論点がずれてます。
採用技術と対象年齢には、直接的な関係が在るとは言えません。
>以上のように先にコメントされている訳です。そこでゲームデザインが全く変更しない/する必要がないものも市場に普通に存在している点は無視ですか? ということです。
無視ではなく、その存在を積極的に否定してます。
問題にしているのは、「同一製品が全年齢対象である」事です。
当方の主張は、「製品の画一化が大人の児童化の要因になると思われるので、製品レベルでセグメント化されるべきである」なので、小手先の調整で全年齢化されるのは、尤も忌諱する現象です。
>おそらくは「さまざまな知識を前提条件とし、かつ長い経験を積んだ人ほど熟達して行き強くなれる」系統の、ゲーム内ではなくプレイヤー本人の熟達を重要視するようなものなどを主に「大人向け」としているのではないかと感じます。どうでしょうか。
だとすると、これは「大人向け」の定義としては極めて弱く、むしろ不適切であるレベルになります。「熟達者すげぇ」にしかなりません。
当方は、この種のゲームを「大人向け」とは考えていません。
想定しているのは、「ゲーム外知識」で、そのゲームの初心者が熟練者に勝利出来る種類の物です。
その中には、RMTアイテムでやりこんだ相手を倒す種類のものも含みます。と云うのは、RMTに要する現金は、ゲーム外知識で取得した物だからです。
やり込む事で得られるゲーム内知識なら、大人と子供に大きな差異は出ません。
社会経験に因って培われた「ゲーム外知識」が重要となるゲームが大人向けじゃないでしょうか?
>そうした系統は「サカつく」などと同系統のゲームで、通常は経営シミュレーション系に入りますし一般的にはスポーツゲームには分類されません。
最近の海外のスポーツゲームには疎いのですが、実際にプレーヤになって操作する種類が、現状で多数派なのでしょうか?
これは私見ですが、実際に一プレーヤになっても、ゲームとしては全然面白くないと思います。
実際の競技では、単一プレーヤの役割はひたすら地味なものであり、また、プレーヤ視点ではゲーム全体が見えないので、一層つまらない、子供騙しの様なものしか出来ないと予想されるのですが。
>BIWYFI さん的に「これは大人向けだ」と思えるようなゲームをいくつか挙げて頂いて、どのような点が「大人向けだ」と言っているのかを明らかにしてもらった方が話は簡単でしょうね。
一般向けゲームでは思いつきません。
強いて上げるなら、未成年厳禁のギャンブルです。
尚、同一機器を使用していても、リアルマネーの掛からない物は対象としません。これは、一般的にも、別物扱いされてますから、個人の独断で排除している訳でありません。
で、個人的はギャンブルを推奨するつもりは無いので、「現状では大人向けゲームは無い」と云うのが結論です。
同時に、これが「大人はゲームなんてするもんじゃない」と云う主張を肯定する理由でも在ります。
>そのゲームに熟達した人が新たに始める人に指導する……という単純な話に何か問題がありますか?
「大人と子供の立場の逆転」に問題を感じます。
力関係が逆転すると、大人が子供を指導することは不可能になります。大局的は由々しき事態ではないですか?
>奨励会に入ったプロ棋士を目指す子供が手慰み程度に将棋を指す大人を負かすなんてのは普通の話ですし、感想戦もこの場合子供の方がまともにできると考えられます。
将棋の奨励会については、より上位の大人が確定的に存在するので、支障は無いと思います。
例外的に「弱い大人」が発生するのは、一般的な事象であり、総体として「子供は大人に敵わない」状況が社会的に必要なのです。
これが、逆に、一般的に「子供の方が大人より強い」状況では、上記の通り危惧するべき状態だと感じます。
そして、現状の市販ゲームでは、その傾向がかなり強いのではないかと云うのが個人的予想です。
これを打破する解としての提案が、「子供では大人に勝てないゲーム」と云うセグメントを作成する事なのです。
その為には、「単一製品で市場が埋まる」のは大いに困ります。
また、単一製品で市場が埋まっている現状では、「大人はゲームなんてしない」と風潮で、勝負を回避するのが消極的な対処だと思ってます。
尚、微小領域で逆転する事については、特に問題視するつもりは有りません。
問題としているのは、大局の全体的な風潮についてです。
-- Buy It When You Found It --
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
確かに過小評価しているかもしれませんが、基本的な面を単純化すると一般的なアドベンチャーゲームにミニゲームを付け加えたギャルゲーです。
「シナリオや演出によってプレイヤーをうまく惹きこむこと」に関しての努力は半端ないと思っていますが、「アドベンチャーゲームにミニゲームを付け加えたギャルゲー」という点について、基本的なゲームシステムの作り込みという部分はどうでしょうか。
その点を言っているつもりですし、本質的なゲーム性とはそちらを指していると考えます。
なお、アドベンチャーゲームにカテゴライズされるゲームはシナリオで魅せることが極めて重要であり、ギャルゲーは女性キャラの魅力を最大化することが重要なポイントです。
いずれもシステムに乗っかるコンテンツであり、コンテンツとしてのゲームシステムという部分に関して深く作り込む必要性はほぼありません。大量に投入された人員は、この「ゲームシステムと言う部分」にどれだけ貢献したのでしょうか。コンテンツの演出に投入されたのではありませんか?
確かに成人向けでは作り込むだけの予算が得られない場合が多いでしょう。
しかしそれは別に成人向けだからではありませんよ。初動 (初週売上本数) が数百本レベルの一般向けゲームとかいうものも普通にありますし、逆に基本的には成人向けゲームを作っていながら自社ビルを建ててしまうようなアリスソフトの例もありますね。
いえ、その……ギャンブルは賭け事という意味しかありません。
賭け事一般であればすべて含むということであれば、オイチョカブや麻雀、それこそ将棋などでもすべて当てはまることになります。
また、その基準では独立した収入を得ることが難しい子供を単に排除しているだけにすぎませんし、大半の存在しているギャンブル的なゲームは「社会経験なんてほぼ意味がない」ものが大半です。
社会経験の意味がある、と言っても高い確率で一般社会における社会経験ではなく、ギャンブルの世界における社会経験ですね。
それは単純に経験の肯定であり、つまり「熟達した人が新たに始める人に指導する」という点となんら差がありません。
そして、社会経験というのは結局各人により差があり、一般化できるようなものではありません。
畑違いの社会経験は有利にも不利にも働きますし、企業による文化の違いにより差が出るものもありますね。
リアルマネーが関わる辺りの話で、つまり「プレイヤーがリスクを感じることができる」あたりなども要件として感じているのではないかと思いましたが、最重要となる点、試合としてのゲームではなく、遊戯としてのゲーム、つまり娯楽としてのゲームの存在を忘れているように思えます。
ストレス解消や気分転換、暇つぶしなど何でもいい訳ですが、そういう行為を行う事自体を大人に許容させない考えになっていないでしょうか。
サッカーでも野球でもそうですが、プロスポーツとして行われる一方、単に体を動かしたり遊んだりする場合にも行われます。
プロスポーツ選手であっても、例えばプロ野球選手が軽く遊ぼうとフットサルをしていたりしたら、この場合はプロスポーツ選手であっても経験が未熟なアマチュアである可能性は極めて高いでしょう。こうした「遊び」すら否定していないでしょうか。
総体として「未熟な人は経験者に敵わない」ということですよね。そこで求められている経験を「社会経験」としたい、と。
「自分 (大人) が得意とするフィールドに持ち込むことで、相手 (子供) に勝ちたい」というようにしか見えません。
プロ選手であっても畑が違えばあっさり子供に負けるのは極めて良くあることです。微小領域でもなんでもありません。
「亀の甲より歳の功」もいいですが、「老いては子に従え」でもいいんじゃないでしょうか。大人が "あらゆる面で常に" 子供に勝つ必要なんてありません。
それは単に「子供には勝てないのが悔しいので、大人のプライドを保てる領域をゲームの世界にも欲しい」というだけでしょうか。
それと、単純な話ですが「畑が違う社会経験しか積んでいない大人」にとっては、そのゲームは面白いと思えるものになるのでしょうか。
面白くないだろうから作られない、面白くなりようがないから作られない、作ったとしても売れないのが目に見えているので作られない。そういう物のように思えます。
最後に、「真剣に訓練を積んだ人が未熟な人に勝つ」のが基本的な話です。
現存のゲームであっても「より真剣に取り組んだ人」の方が強いというだけに過ぎませんし、それがたまたま子供に多いというだけでしょう。
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
>「シナリオや演出によってプレイヤーをうまく惹きこむこと」に関しての努力は半端ないと思っていますが、「アドベンチャーゲームにミニゲームを付け加えたギャルゲー」という点について、基本的なゲームシステムの作り込みという部分はどうでしょうか。
>その点を言っているつもりですし、本質的なゲーム性とはそちらを指していると考えます。
まずは、こちら [4gamer.net]を御覧になってから、「作り込み」の評価をして頂きたいかと。
あと、ラブプラスは「作り込み」の例であって、単にシステム面での作り込みのつもりではないです。
元々は、「新システムで作り込んだエロゲーが在る」に対して、「こんなのは『作り込みじゃない』」と云う反論ですから。
ついでに言うと、ゲームのエンジン部分を持って「システム」と考えるのは短絡的かと思います。
ゲームは総体で評価するべきであって、キャラ・シナリオ・演出の全体を「システム」と捉えるのが妥当じゃないでしょうか?
例えば、LAMPサーバ単体を持って来ただけでは「システム構築」とはなりませんよね?
//余談:単なるゲームルールを「○○システム」と呼称するゲーム用語には辟易してる
>また、その基準では独立した収入を得ることが難しい子供を単に排除しているだけにすぎませんし、大半の存在しているギャンブル的なゲームは「社会経験なんてほぼ意味がない」ものが大半です。
>社会経験の意味がある、と言っても高い確率で一般社会における社会経験ではなく、ギャンブルの世界における社会経験ですね。
確かに、例としては、余り相応しくなかったかも知れないですね。
「大人向けゲームは存在しない」と言い切るのが妥当な気がしてきました。
>>社会経験に因って培われた「ゲーム外知識」が重要となるゲームが大人向けじゃないでしょうか?
>それは単純に経験の肯定であり、つまり「熟達した人が新たに始める人に指導する」という点となんら差がありません。
ここで重視しているのは「ゲーム外知識」です。
熟練者が初心者に行う指導は「ゲーム内知識」の領域に留まるので、決定的な際が生じます。
>ストレス解消や気分転換、暇つぶしなど何でもいい訳ですが、そういう行為を行う事自体を大人に許容させない考えになっていないでしょうか。
元の発言は、個人的に「真の大人向けゲームが存在しない」と感じているから、「大人はゲームをするべきじゃない」と云う発言を肯定するべきじゃないかと云う意図で行いました。
これは、「大人と子供が同じ土俵で勝負する事」が「大人の児童化を招くのではないか」と云う危惧に起因するものです。
つまり、「ストレス解消や気分転換等を子供向けゲームで行うな」と言いたいだけで、大人の遊戯を全否定する意図は有りません。
>プロ選手であっても畑が違えばあっさり子供に負けるのは極めて良くあることです。微小領域でもなんでもありません。
「微小領域」の解釈違いですね。ここでは、マクロに対するミクロとしての「微小領域」を意図してます。
>「亀の甲より歳の功」もいいですが、「老いては子に従え」でもいいんじゃないでしょうか。大人が "あらゆる面で常に" 子供に勝つ必要なんてありません。
「あらゆる面で常に」とは言ってません。それでは「微小領域」を除外してしまいます。
総体的にと云うのは、全領域に対する積分的な意味合いであり、局所的に子供が大人に勝つ領域が在ったとしても、全体としては大人が勝つ領域の方が多いから、「一般論として『大人が子供に勝つ』が成立する」と云う事です。
これを言い換えると、「特定領域で子供に敗北しても、領域を変更すれば大人が勝利出来る可能性が非常に高い」と云う事で、一般的に成立している条件だと思います。
で、これが、ゲームを意図的に敵視する理由でもあります。
単一ゲームに特定すると、勝利出来る領域への変更が不可能である為、「子供が大人に勝つ」が一般化してしまいます。
ここで危惧しているのは、「一般化」であり、特定領域での子供の大人への勝利ではありません。
実際、昔から、「子供の遊び」全般で、大人が子供に勝利出来ない状況は、ごく普通に有ります。
でも、力関係が逆転しないのは、「子供の遊び」として領域を分離し、大人は積極的に参戦しないからで、戦術的な敗北を戦略的に回避して勝利している訳です。
>それは単に「子供には勝てないのが悔しいので、大人のプライドを保てる領域をゲームの世界にも欲しい」というだけでしょうか。
「悔しいから」では無く、大人の尊厳を保つ為に必要では無いかと云う意味です。
また、大人の尊厳を保つ必要が在る理由は、「将来の目標を明示する」為です。
「子供のままでも大人に勝利出来る」状況が一般化すれば、向上心を持って大人になる必然性が無くなります。この状態で成人する事が、即ち「大人の児童化」です。
実際問題としては、既に起こっていて、手遅れになって居る感も在りますが。
>それと、単純な話ですが「畑が違う社会経験しか積んでいない大人」にとっては、そのゲームは面白いと思えるものになるのでしょうか。
>面白くないだろうから作られない、面白くなりようがないから作られない、作ったとしても売れないのが目に見えているので作られない。そういう物のように思えます。
これについては、概ね肯定します。
一方で、「それで良いのか?」と云う疑問も持ってます。
この状況が打破出来るか否かは不明ですが、現状のゲームを肯定していては、打破を試みるアプローチすら行われない様に思われます。
それ故の、「『大人はゲームなんてしない』を肯定すべき」と云う発言になります。
>最後に、「真剣に訓練を積んだ人が未熟な人に勝つ」のが基本的な話です。
>現存のゲームであっても「より真剣に取り組んだ人」の方が強いというだけに過ぎませんし、それがたまたま子供に多いというだけでしょう。
これは、極端に単純化されたゲームでの話ですね。
現実社会は、「特定領域に真剣に訓練を積んだ結果、別領域で勝負されて、未熟な人に大局的に負ける」のが実態です。
そして、それを回避する手段は、「苦手領域で勝負しない」で有り、実際に回避可能な領域が多数存在するのが現実です。
ゲームでも、苦手領域で初心者にあっさり敗北する事態は、稀では無いと思います。
一方で、ゲームシステム上の不備で所謂「強キャラ」が存在し、装備の画一化が起こるのが通常です。
そして、本来は多様性の在る筈のゲームが単純なパワーゲームに成り下がるのが常態じゃないでしょうか?
また、ゲームシステム上、「苦手領域での勝負の回避」が不可能な物が一般的かと思います。
この「多様性を維持出来ない」ゲームシステムが「子供向け」と感じる最大の要素です。
現実世界での問題領域の多様性と比較して、現状の市販ゲームは、余りにも多様性が不足しているというのが個人的感想です。
そして、「画一化」の回避手段が「ゲームをしない」に繋がります。
そもそも、「同じゲーム」で「全員が真剣に訓練を積んで強い」必要性は皆無ですよね?
でも、現状のゲーム市場では、それを強要されている様な気がします。
-- Buy It When You Found It --
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
完全に新しいフィーチャー (特にハード) を取り込んだりする余地はコンシューマー向けゲームでは難しいですよね、という点について「ラブプラスの作り込みはすごい」と言われているので、「いやだから結局ゲームの演出の作り込みの話をされても……」としか言えません。
LAMP で構成された「システム」の上に「アプリケーション」を載せることで、全体を「システム」と呼ぶのは一般的な「システム構築」ですが、これはアプリケーションによりビジネス等で求められているシステムを作り上げる事から、それが「システム」と呼ばれるだけにすぎません。
たとえそれがシステムと呼ばれようと、LAMP で構成された「システム」が「システムではなくなる」事はありません。
その上で言うと、ゲームシステムの上に乗っているコンテンツ全体を指して「システム」と呼ぶことは十分に成立すると思いますが、通常作品総体としての「ゲーム」と呼ぶかと思います。また、全体を指して「ゲームシステム」と呼ぶのは非常に違和感が大きいです。
昔からシステムが比較的単純であっても楽しめる定番ゲームにクイズがあります。
これは通常問題はゲームの外の知識に依存するものを出題する事が多いですが、この場合でも「熟練者が初心者に行う指導」は「ゲーム内知識」の領域に留まるのでしょうか。
「大人の児童化を招く恐れがある」というのは、「子供と同じ土俵で遊ぶことで侮られやすくなり、大人としての威厳を保ちにくくなる」という点を問題としているからではないでしょうか。
はっきり言って「そんなどうでもいいことで失われるようなら、元々その人に大人としての威厳なんてない」「もっと言えば人としての威厳がない」というだけでしょう。
子供に侮られているのは大人全般ではなく、そういう大人ですよ。
そうですか? 「楽しい」から参加する。「楽しくない」から参加しない。それだけだと思いますが。
結果はどうであれ、子供や孫と遊ぶのが楽しいから「一緒に遊ぶ」というだけではないですか?
また、それで子供の方が勝ったからといって力関係が逆転するようなことはありません。
何よりも、元々敬意を払われていない存在なのではないでしょうか。
そんな「遊びで勝った負けた」のような小さなことで保たれる大人の尊厳って、元がよほどどうにもならないレベルだとしか思えませんが……。
私の父は休みのたびに遊んでばかりいる姿を見てきたように思いますし、ドラクエシリーズなんかは全部やってる位ですが、子供の頃でも、また、今も様々な面で敵わないと思っています。
結局、子供にしっかりと「すごいところを見せていた」からではないでしょうか。
世の中には反面教師と言う言葉もありますけどね。
敬意をもって接する大人に出会う事が出来たかとか、そういう面に尽きるように思います。
商業的な意味で言えば「そんな売れないと分かっているものを作る」例はほぼありませんし、たとえ試みられたとしても、「そんな存在を発掘し、見つけ出す」のはよほどのゲーム好き以外ありえないとしか思えません。
ここに何か矛盾を感じませんか?
「大局的に未熟な人が勝つ」現実ってどこにあるんでしょうか。だったら大企業なんて存在し得ないのではないでしょうか。
とっくに未熟なプレイヤーである新興企業群にあっという間に食われて潰されますよね。
そんな「強キャラが存在する」とか「装備の画一化が起こる」ような特定領域のゲームだけを見て言っているからではないでしょうか。
マリオブラザーズなら「みんなが使う強キャラ」はマリオですか?
Wizardry #1 のように、一年以上かけてゲームバランスの調整を行うような時代ではない、というのが最大の理由ではあると思いますが、ガンパレードマーチのように作り込まれ、自分の好みの装備で戦い方を追及していくことができるゲームなどもありますね。
また、MO や MMO のゲームは、下手をすると「ゲーム自体がおまけ」であったりする場合も多くあります。重要なのは「友達と遊ぶこと」であって「その世界で強くなる事」を目的とする人など一握りだったりしますので。
だからこそ、パワーゲームだろうがそれなりに楽しめれば結構どうでもいい話で、重要なのは「一緒に遊びたいと思える人と時間を共有する事」です。日本ではなぜ PK や PvP が好まれないか、という点も一考に値するでしょう。
そういう楽しみ方を考慮せず、ただゲームシステムだけを見たとしても意味はないでしょうね。
ゲームで「勝つ」事しか目的としていないように受け取るから、ではないでしょうか。
mabinogi のようなゲームの場合、非戦闘を貫いてアルバイトをしたり羊の毛を刈り、糸を作ったり布を作ったり……などからもすべて経験値を得ることができ、レベルを上げていく事も出来ます。
レベルを上げるという観点の場合、戦闘をした方が圧倒的に簡単に上げられますが、「そういう生活ができる」上に「成立させることができる」ようになっています。
その上で、強さを求めたいなら求める事ができるし、一流の楽師を目指すこともできるようになっています。さらに言えば、何かを目指す必要もありません。
こうしたものも「現状のゲーム市場」に存在しているものなのですが、どこが「全員が真剣に訓練を積んで強い」事を強要されているのでしょうか。
そういうゲームしか見ていないから、ではないでしょうか。
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
そういえば、主張についてこの部分についての矛盾をしっかりと指摘し忘れていました。ここ、自己否定していませんか。
本当に現実社会において、訓練を積んだ人が大局的には負けるという事は、それすなわち「基本的には未熟な人が勝利を収める事となる」ということです。
それは経験の否定であり、学習の否定であり、努力の否定です。
常に別領域で勝負を挑めば未熟な人が大局的な勝利を収められるのですから、経験など積む必要もないですし、学習する必要も努力する必要もないということですよね。実際に回避可能な領域が多数存在しているのですし。
最終的に勝利を収めるのが、より未熟であるほうが望ましいという事になりますし、それであれば「大人の児童化」は勝利を収めるために最適化された結果と言えるでしょうね。
そんなバカな話はありませんが。
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
>完全に新しいフィーチャー (特にハード) を取り込んだりする余地はコンシューマー向けゲームでは難しいですよね、という点について「ラブプラスの作り込みはすごい」と言われているので、「いやだから結局ゲームの演出の作り込みの話をされても……」としか言えません。
ラブプラスを例に出したのは、「タッチインターフェース」をゲーム内に取り込む「作り込み」の例です。
新しいフィーチャーを実装しただけでは、「作りこむ」とは言えないという意図の反論で、元々の貴殿の発言で、「成人向けゲームで新システムが作りこまれている」に対し、「演出面でも活用した作り込みをしなきゃ、作り込みといえないんじゃない?」と言いたい訳なんですが。
>その上で言うと、ゲームシステムの上に乗っているコンテンツ全体を指して「システム」と呼ぶことは十分に成立すると思いますが、通常作品総体としての「ゲーム」と呼ぶかと思います。また、全体を指して「ゲームシステム」と呼ぶのは非常に違和感が大きいです。
この辺は、感覚の相違と、ゲームの場合は「システム」がメタになっているので、何れをもって「システム」と呼ぶかの相違でしょうか。
個人的には、ゲーム全体を「ゲームシステム」と呼ぶべきじゃ無いと思ってますが、これは、一般的な見解でないのは承知してますので、違和感を持たれる事にも同意します。
只、ゲームの場合は、何かに付けて「システム」が矮小化される傾向が在るので、「ゲーム全体をゲームシステムとして捉える」感覚が必要じゃないかと思います。
例えば、調整ミスによるゲーム世界の崩壊は、システムの破綻と同義です。この感じは理解頂けると思いますが?
>昔からシステムが比較的単純であっても楽しめる定番ゲームにクイズがあります。
好例を出して頂いて有り難いです。
クイズゲームの場合は、設問が妥当なら「大人向けのゲーム」に成り得ると思います。
尤も、現状で主流のクイズゲームの設問設定が大人向けは微妙ですが。
ついでに、
>これは通常問題はゲームの外の知識に依存するものを出題する事が多いですが、この場合でも「熟練者が初心者に行う指導」は「ゲーム内知識」の領域に留まるのでしょうか。
クイズゲームでは、「熟練者が初心者指導する」局面がそれほど無い様に思われますが?
TV番組等では、解説が入りますが、通常のゲームでは、単に次の問題に進むだけじゃないです?
>はっきり言って「そんなどうでもいいことで失われるようなら、元々その人に大人としての威厳なんてない」「もっと言えば人としての威厳がない」というだけでしょう。
>子供に侮られているのは大人全般ではなく、そういう大人ですよ。
問題視しているのは、現状のゲームを肯定すると、そう類の大人が増えるのでは無いかと云う事です。
尤も、そのことには確信は有りませんから、任意で「大人がゲームをする事」自体は否定してません。
積極的に否定しているのは、「『大人はゲームをするな』と言う事を禁止する」事です。
ちなみに、「大人向けゲームが在るから大人もゲームして良い」は、上記の論拠を喪失させ、実効的に禁止する発言だと感じてます。
>また、それで子供の方が勝ったからといって力関係が逆転するようなことはありません。
これは、断言出来るだけの、論拠が存在しないと思いますが?
>何よりも、元々敬意を払われていない存在なのではないでしょうか。
こちらは、鶏と卵の問題で、まず先に敬意を払われるに足るだけの状況を作らないと、当然として、敬意が払われません。
学級崩壊等がその好例ですね。従来なら、「教師である」だけで敬意の対象でしたが、その前提が崩れた結果、発生した現象だったかと思います。
>敬意をもって接する大人に出会う事が出来たかとか、そういう面に尽きるように思います。
その意見には同意します。
が、出会う機会を増やすには、「敬意をもって接する大人」が多数存在する必要が在ります。
これには、総数と一般的傾向が重要なので、マクロ的視点が重要です。
ミクロ的には問題なくても、マクロ的には大問題となる事象は多数在りますから。
>商業的な意味で言えば「そんな売れないと分かっているものを作る」例はほぼありませんし、たとえ試みられたとしても、「そんな存在を発掘し、見つけ出す」のはよほどのゲーム好き以外ありえないとしか思えません。
>ここに何か矛盾を感じませんか?
前提条件が色々と相違していますね。
元々の狙いは、「大人はゲームをするな」を一般化する事で、全年齢対象ゲームの売り上げを落とす事に有ります。
これが成功するなら、「大人専用ゲーム市場」が新規に発生します。
ゲーム市場は現状で飽和状態なので、新規市場の構築には、何らかの手段で既存市場を縮小する必要が在り、その方法としてセグメント分けを提唱している訳です。
また、セグメント化された市場は意外に容易に誕生します。
典型的なのはギャルゲでしょう。社会的には蔑視される傾向が在る中でも、あっさり市場が構築されました。
また、ブームに終わりましたが、脳トレ系の例も在りますし、低価格ゲームは確実に浸透しつつ有ります。
上手く社会的風潮さえ作ってしまえば、既存市場に大穴が開く訳で、決して無理な事ではないと思います。
尤も、既存ゲームメーカが積極的にそれを行う事には余り期待してません。
多分、政権交代と同様の、何らかの「風」が必要でしょう。
>「大局的に未熟な人が勝つ」現実ってどこにあるんでしょうか。
典型例は、「プロになれなかったスポーツ選手」です。
得意競技が業務に無関係なら、その競技の素人に業務成績で負けるのは、ごく一般的なことですよね。
また、どんなに格闘に長けた人でも、素人の銃弾一発で倒されます。
>だったら大企業なんて存在し得ないのではないでしょうか。とっくに未熟なプレイヤーである新興企業群にあっという間に食われて潰されますよね。
実際に、大企業の一部門がベンチャー系出身の企業に買収される事態が発生しているじゃないですか。
一方で、ベンチャー系が「資金」と云う別分野で勝負されて、大企業に吸収されるのもごく普通です。
大企業が存在し得るのは、スケールメリットで別分野からの勝負でも勝利するか、或いは、別分野での勝負を不可能にするかの対策を講じているか、果てには、別分野からの勝負を更に別分野の勝負にすり替えて勝利しているからです。
尤も、企業の場合、「金銭」が、勝負の道具で在ると同時に大局的な勝敗結果でも在ると云う特異性から、「資金勝負」に持ち込む事で大企業に有利な条件が存在するのですが。
>そんな「強キャラが存在する」とか「装備の画一化が起こる」ような特定領域のゲームだけを見て言っているからではないでしょうか。
特定領域では在りますが、同時に「プレーヤ人口が多い」領域での話でもあります。
このスレッドで問題にしているのは一般論であり、現状でプレーヤ人口が少ないゲームについては「例外」として関与しないつもりです。
勿論、プレーヤ人口の少ないゲームの延べプレーヤ数がプレーヤ人口の多いゲームを上回るなら「例外」とはしません。
でも、現状でそんな事は無いですよね?
プレーヤ人口の多いゲームが総プレーヤの多数であり、それが、実質パワーゲームに終始している状況を懸念してます。
>マリオブラザーズなら「みんなが使う強キャラ」はマリオですか?
プレーヤスキルに依存しますが、明らかに「強キャラ」じゃ無いですか。
やり込み目的以外で、チビマリオのままプレイする人も居ないし、常人にはチビマリオじゃクリア不可能なバランスですし。
>mabinogi のようなゲームの場合、非戦闘を貫いてアルバイトをしたり羊の毛を刈り、糸を作ったり布を作ったり……などからもすべて経験値を得ることができ、レベルを上げていく事も出来ます。
で、実際にその様にプレイしている人はどれ位居るのでしょうか?
ざっくりwiki類を見ただけですが、殆どが戦闘コンテンツだし、戦闘無しでは楽しめないように見えます。
それに、戦闘しない経験値やレベルに何の意味が在るのでしょうか?
それ以前の問題として、
>「そういう生活ができる」上に「成立させることができる」ようになっています。
>その上で、強さを求めたいなら求める事ができるし、一流の楽師を目指すこともできるようになっています。さらに言えば、何かを目指す必要もありません。
これって、楽しいんでしょうか?
実際にプレイしていないので分かりませんが、周囲がモンスターを倒してレベル上げで盛り上がってる中で、一流の楽師になったとして、当人が嬉しいか、非常に疑問です。
特に「何も目指さない」じゃ、ゲームが成立してません。単なるコミュニケーションツールの提供でしか無い様に思われます。
そもそも、「ゲーム」の本義からは、勝敗が付く必要が在ります。
そして、「勝てないゲーム」を喜んでプレイする人は居ません。
但し、「勝利」の基準は人様々だし、ルール上の勝利がゲームプレイの勝利に直結するとは言いません。
でも、何らかの形で決着が付き、「勝利感」を味わえるのがゲームの本質かと思います。
だからこそ、一般的にMMOゲームには「戦闘」が用意されているのだし、生産等で遊べる仕組みが有っても、はやり主体が戦闘になるのです。
何らかの戦闘要素を持たせつつ、局地的勝利が大局的勝利に直結しない、多様な戦略性を持ったゲームが大人向けのゲームかと思います。
そして、多様な戦略の選択に於いて、社会経験が有効な道具として使える物が、正に「大人のゲーム」足り得ると思う次第です。
-- Buy It When You Found It --
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
>常に別領域で勝負を挑めば未熟な人が大局的な勝利を収められるのですから、経験など積む必要もないですし、学習する必要も努力する必要もないということですよね。実際に回避可能な領域が多数存在しているのですし。
そんな事は有りません。
まず、特定領域での訓練を積んだ者の勝利は否定していませんから、別領域で勝利を収めるには、自身より相手がその領域で未熟である事が前提となります。つまり別領域での訓練が必須です。
経験・学習・努力を否定するものでは在りません。
全局面で未熟な者は、勝利領域を持たないので、当然、局所的にも大局的にも敗北します。
また、「常に別領域で勝負を挑めば」が根本的に成立しません。後段で「苦手領域での勝負が回避出来る」を肯定しているので、その論法では、勝負そのものが発生しません。
尤も、相手が愚かにも苦手領域での勝負を受けるなら、未熟な者でも勝利出来る事は否定出来ません。
でも、これは、常時とは言いませんが、現実に起こっている事です。
論理的な問題を捉えるなら、「特定領域に真剣に訓練を積んだ者が苦手領域で勝負しなければ大局的にも勝利可能」なので、初段の「大局的敗北」と矛盾する点を突くべきでしょう。
尤も、この問題は、「勝利領域が狭いので『大局的勝利』と言えない」とすれば、(苦しい言い訳ですが)解決されます。
そもそも、「大局的敗北」の回避手段が「苦手領域で勝負しない」だと言っているだけで、未熟な者の大局的勝利を保証しているわけでは在りません。
また、「回避可能な領域が存在する」と主張はしましたが、「常にその領域を選択出来る」事は保証していません。
現実では、闘争領域の選択ミスで敗北する事が多いです。
ちなみに、これは、「常に別領域で勝負を挑めば未熟な人が大局的な勝利を収められる」を否定する、もう一つの論理です。
尤も、「賢明に常に勝利可能な領域での勝負に持ち込めば、未熟でも大局的勝利を得られる」のは事実です。でも、実現困難で有る事は自明でしょう。
本来言いたかったのは、「多数の領域を(訓練に寄って)優位を占める者が勝利する」です。
優位な領域の多寡が本質であり、「特定領域では劣るが、その他の多数の領域で学習し経験を積んだ者が大局的に勝利する」のは、当然の事でしょう。
-- Buy It When You Found It --
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
私自身、努力、根性、勝利! ……ではなく、努力や経験は必ず成果を残すために重要であると考えています。その点でも「大局的に未熟なものが勝利する」という点を自己否定して欲しいがために言いました。
つまり、「未熟なものが勝つ」のではなく、たとえ別の分野でも「習熟した人が勝つのであって、未熟なものは習熟した人には勝てない」のが基本にある、ということです。
その上で、「あらゆる状況において習熟した人に、その分野においては未熟だが他の分野で習熟している人が、そちらの分野に持ち込むことで必ず最終的な (= 大局的な) 勝利を収める」という結論を持ってほしくなくて言いました。
そもそもですね。他の分野に習熟しているとしても「その分野に引き込む交渉」という別分野に秀でているかどうかは別の話であり、別の "自分が得意とする分野" に持ち込むことが出来なければ、それ以前に負けている状況を覆すことはできませんよね。
それはもちろんあり得る話ですし、ままある話です。
しかし、「未熟と見ていた相手に、自分が得意とする分野に勝負を誘導される」状況こそ、交渉に未熟な人ということじゃないでしょうか。
結局ただの専門バカですよね。
一般的には、専門バカでも職人でもいいですが、いずれも「その専門分野ついては秀でていると考えられるが、社会的な面では色々ダメな面が多い」とされる扱いをされますね。
いえ、そもそも「なんでそんな勝負をするのか」と、それを踏まえて「大局とはどういうものか」じゃないでしょうか。
A「mp3 における音響心理モデルの計算において、より効率的かつ効果のある計算結果を出せる式を作る勝負だ」
B「いや、それよりもおいしい料理の作りあいで勝負しましょうよ。そっちの方が一般的ですし」
これで A の特定分野において A が素晴らしいというのはあり得ると思いますが、大半の人は (B の方がおいしい料理を作れるなら) B に軍配を上げてしまうんじゃないでしょうか。
で、「大局的に」A の方が勝利だと思いますか。B の方が勝利だと思いますか。
音楽の符号化に関してはおそらく A の方が有用でしょう。しかし人々に対して直接的な幸せを与える意味では、おそらく B の方が有用でしょう。
その上で、「習熟した人」はどちらで、「未熟な人」はどちらでしょうか。どちらも自身の世界では習熟者であり、一方、相手の世界では未熟者ではないでしょうか。
大人であろうと、そんな点はいくらでもある話ではないでしょうか。
言い訳がすぎます。
「大局的には」というからには、世界の大勢の結果としてはそのようになる、ということであり、それを否定するということは「未熟な人が熟練者に勝利する」のは局所的な状況であり、基本的には熟練者が未熟者に勝利する (= 経験の肯定) ということです。
本来の主張として「大人の児童化」が困ると言いながら「大勢としては未熟者が勝利する」とかいう、意味が分からないことを言ったので、この点を指摘したかっただけですよ。
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
>私自身、努力、根性、勝利! ……ではなく、努力や経験は必ず成果を残すために重要であると考えています。
>その点でも「大局的に未熟なものが勝利する」という点を自己否定して欲しいがために言いました。
んと、単なる揚げ足取りじゃないって事ですね。
「努力や経験が重要」な点には、全く異存は在りません。
でも、短絡的に「努力や経験を積めば勝利出来る」には、個人的に反対です。
特に、「努力や経験が狭い領域に終始するなら、大局的な敗北は避けられない」と云うのが、持論です。
だから、最初の発言時点で「特定領域で訓練を積んだ結果」と限定してます。
>つまり、「未熟なものが勝つ」のではなく、たとえ別の分野でも「習熟した人が勝つのであって、未熟なものは習熟した人には勝てない」のが基本にある、ということです。
この点については、見解は一致していると思いますが?
>その上で、「あらゆる状況において習熟した人に、その分野においては未熟だが他の分野で習熟している人が、
>そちらの分野に持ち込むことで必ず最終的な (= 大局的な) 勝利を収める」という結論を持ってほしくなくて言いました。
前半が解釈困難なのですが?
「あらゆる状況において習熟した人」は、同時に他分野でも秀でている事を意味しないのでしょうか?
あと、後半部分では、残念ながら、それが発生しているのが冷たい現実だと思ってます。
一方、狭い領域に終始するゲーム世界では、「強キャラ」で常時勝利可能な事が多く、その点を問題視しての発言です。
このスレッドは、「ゲーム」に関する物なので、そこから完全に乖離したら議論が破綻する点に留意して下さい。
>しかし、「未熟と見ていた相手に、自分が得意とする分野に勝負を誘導される」状況こそ、交渉に未熟な人ということじゃないでしょうか。
当然そうです。
従って、「交渉術」は、ほぼ全員に要求される一般スキルです。
逆に言えば、交渉スキルの向上を伴わない「努力や経験」は無意味と云う事でも在ります。
>A「mp3 における音響心理モデルの計算において、より効率的かつ効果のある計算結果を出せる式を作る勝負だ」
>B「いや、それよりもおいしい料理の作りあいで勝負しましょうよ。そっちの方が一般的ですし」
>これで A の特定分野において A が素晴らしいというのはあり得ると思いますが、大半の人は (B の方がおいしい料理を作れるなら) B に軍配を上げてしまうんじゃないでしょうか。
>で、「大局的に」A の方が勝利だと思いますか。B の方が勝利だと思いますか。
>音楽の符号化に関してはおそらく A の方が有用でしょう。しかし人々に対して直接的な幸せを与える意味では、おそらく B の方が有用でしょう。
これは、「特定分野に真剣に訓練をした結果、別領域で勝負されて敗北する」典型例になってますね。
暗にBの勝利を示唆している様に感じられますが、「音声符号化」に未熟なBが勝利するのは、「真剣に訓練した者が勝利する」を否定してませんか?
あと、難易度を無視しているのも、この勝負の例の問題です。
「音声符号化に専念しているAより美味しい料理を作る」なら、Bには真剣な訓練は必要ないと思われます。
尚、「大局的な勝者」に対する当方の回答は、「これだけでは不明」です。
もし、この勝負の結果に起因して、AがBの支配下に入るなら、大局的にBがAに勝利したと見做せます。
一方、この勝負の勝敗に関わらず、Aが作ったシステムで利益を得て、Bが経営するレストランを買収すれば、大局的な勝利はAが得たと見るべきです。(これは、更に別領域で大局的に勝利する典型例です)
一般論としては、実効的な支配権を得るのが大局的勝利と考えるのが妥当でしょう。
なので、
>「大局的には」というからには、世界の大勢の結果としてはそのようになる、ということであり、
と云う、「大局的」の解釈に対しては否定します。
また、
>それを否定するということは「未熟な人が熟練者に勝利する」のは局所的な状況であり、基本的には熟練者が未熟者に勝利する (= 経験の肯定) ということです。
と云う単純な解釈に対しても、否定させて頂きます。
「基本的には熟練者が未熟者に勝利する」に異存は在りませんが、現実の勝敗は、局所的な「急所への一撃」で決定する事が多いです。
戦闘に未熟な集団が、戦略に因って勝利した例は数知れません。
結局の所、「大局観」を持つものが勝利すると云うのが妥当でしょう。
で、そもそもの齟齬は、「大局」の理解の相違に在るみたいですね。
当方としては、「大局的勝利」を「最終的勝利」の意としていたのですが、その意図が伝わらず、「大局」=「大勢」と解釈されたのが誤解の原因です。
尤も、未熟な者が大勢で勝利してしまう実例が少なくないのは、困った事ですが、これは、又、別の話として。
-- Buy It When You Found It --
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
人事を尽くして天命を待つの言葉もありますが、人事を尽くさぬものに天命を待つ資格もなければ天命も下りないでしょう。
他力本願は、あくまでも自力ではどうにもならない死後においての他力を願うものですし、ここには自力を尽くさなくていいというニュアンスはありません。
天は自ら助くる者を助く、の言葉も、やはり自助努力があるからこそ助けが得られるという言葉となります。
結局、その意味で自らできる事をせずに物事がすべてうまくいくとは基本的には考えてはいけない、ならない、だと思います。
同時に他分野でも秀でていることは、必ずしも意味しません。
しかし、それまでに積んできた知識や経験が必ずしも無意味となる、とも思いません。
「大局的に未熟な人が勝利する」という場合だと、「あらゆる分野において秀でていなくても大局的な勝利を収められる」という事になりますよ。
いえ、「強キャラで常時勝利可能な事が多く」というのが「ゲーム」の中でも極めて一部の限定的なものを指しているのが問題なのです。
特定のゲームを想定しすぎではないかと。
「ゲーム」と言っても、一般的にはカードゲームやパズル、クイズ、ボードゲーム etc も普通に含まれるでしょう。人によってはスポーツの試合なども「ゲーム」として挙げるでしょうね。
そこで「コンピューターゲーム」の「特定一分野における傾向」をゲーム一般の話のように言われても……ということです。
いえ、まったく。B の方が勝利するように感じられたとしたら私の書き方の問題です。
ここから「音楽の符号化に限らない数学系の問題領域」であっても、おそらく A の方が能力は高いでしょう。
一方、B は栄養学などについて一般の人より詳しい可能性があります。
いずれも専門分野において高い能力を有するかもしれませんが、他の分野ではそう高い能力を期待する人は稀でしょう。
ここで「大局的な勝利」とはどのような状況を指すのでしょうか。
わざとさほど難しくなさそうなレベルで B を設定したのは、必ずしも専門家が自分の専門分野のみで勝負できる訳ではないということと、そんな風に勝負の領域を簡単に変えられるような話である事自体が、別に A も B もその勝負自体がどうでも良かったりしないでしょうか。
全年齢を対象としたゲームで「大人が子供に教えを乞う状況」や「大人が子供に負ける状況」は、そういったどうでもいいレベルにしか見えない、ということです。
A は B の支配下に入る事で、A は毎日おいしい料理を食べながら研究に専念する事ができました。
B は A がバックに付く事で、経営について意識せずに料理に専念することができるようになりました。
のような場合は、どちらが勝利なのでしょうね。もちろん前者の場合であっても、A はそれにより健康面についてよりプラスとなる可能性はあります。B の場合は経済面でのメリットを享受していますね。
どっちも勝っていませんか? どちらかしか勝つことがないというのも、また、どちらも負けというのもあり得るように思います。
また、「大人と子供が一緒に遊ぶことでコミュニケーションを促し、お互いの関係を改善する」といった面はどうでしょうか。
戦術レベルの勝利と戦略レベルの勝利を同列に置かれても……。
歴史上、戦闘に未熟な集団であっても「まともに攻撃もできないどころか隊伍も組めないような」未熟な集団が勝利した例はない、とは言い切りませんが、少なくとも私は知りません。
また、戦略により勝つというのは、まさに「熟練者が未熟者に勝利している」事例でしかありません。
将棋でも効果的に駒を捨てられるようになる事が初心者から抜け出す辺りのラインですが、駒を取られるという戦術的な敗北を罠として使う事で王を詰めるという戦略的な勝利を得る訳です。
現実の勝敗における「局所的な部分への急所への一撃」というのは、この効果的な捨て駒が布石となっている場合は多いですよ。
いえ、最終的な勝利という意味では確かに伝わっているかと思いますよ。
「局所的な勝利を大局的な勝利と言っていないか」と言っているに過ぎません。
戦闘における基本は数ですから、それはそれで間違っていないです。
ただし数を揃えて動かす事は非常に難しいですし、それができるという事はそれだけの力があるという事であり、単に未熟で済ませられる話ではないですね。
軍で言えば兵站が整わなければ大軍は動かせません。
あと、私は「専門バカ」は一般的には社会的に様々な経験を積み成熟した大人だとは思いませんし、BIWYFI さんの言う「未熟な大人」の典型だと思います。
しかしそれはそれでまったく問題ないと思いますし、「専門バカ」が皆無の社会を目指すというのは「会社の言いなりになる奴隷を量産する社会」だと思いますね。
専門バカだけでも困りますが。
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
とりあえず微細な点を話していても話が散っていくだけだと思いますので、根本的な部分に立ち戻って「大人の児童化を避けるために、大人は全年齢向けなどの子供と競合する領域で一緒にゲームをするのは望ましくない」という点について、いくつかの点から「その意見は望ましくない」という点を説明しましょう。
まず、娯楽を提供する作品を作る製作者に対し「お前らがやっている事は世の中にとって有害だ」という主張となっている点。これはいただけないでしょう。
もう一点は「他人の趣味に口を出すような下世話な真似は止めた方がいい」という点。クラシックを好む人に、どんなに自分が好きであろうとデスメタルを強要するような真似はあまりお勧めできませんね。
そして、「だからこそゲームを変えなければならない」という発想はいいと思いますが、その方向性が浄化思想に至っている点が最大の問題でしょう。
過去に行われた浄化思想の発露は、短く見ても数年で、長いスパンでは数百年後での評価として見ると、その尽くが失敗し、マイナス評価を受けています。
昔であれば項羽の行った降兵の虐殺、焚書などがそうでしょう。焚書については近年でも有害図書廃棄運動での白ポストなどが同様の物と言えます。
また、一時的に支持は得られても最終的な評価としては稀代の悪法と呼ばれることとなった禁酒法もあります。
近年のゲームやアニメに対する規制や BIWYFI さんの言う「大人がゲームをするのは望ましくない」説は、これに近い臭いを感じます。
また、娯楽などの「不満の解消やストレスの発散を目的としたもの」に対する規制という共通点が、暴走を呼んだ結果最終的には一般の反発を受けることとなるのではないかと思います。
確かに即時的な効果は得られないでしょうが、取り巻く環境の改善や本体の改善を働き掛ける方が、結果的に有意義だと考えます。
だからこそ反対している、という感じですね。
Re: (スコア:0)
それは年齢が上がると趣味がシフトするという考え方ですね。
一方で「19x0年代生まれに支持される」といった年齢が上がっても特定の世代に根付いたままになるものもあります。だから今後突然2010年代生まれに囲碁や将棋が爆発的に流行ってその世代に定着なんてことが起きる可能性もなきにしもあらずということです。
市場の縮小をお嘆きでしたら、そういったヒットを仕掛けることで商売をしていくことは可能なのではないかと思うんですよ。
Re: (スコア:0)
> 大人向け製品が無くなると、購入したくても出来ない状況になってしまい、これが、大人の児童化を招く
強い電波を検知しました
人生はゲーム (スコア:0, 荒らし)
だから、上手くやりましょう!(走召糸色木亥火暴)
誰が勝ち、誰が負ける。
しかし、誰もがいつでも、
次のサイコロを振るチャンスを求めている。
案外に、ロスチャイルド家とか600年前以前とかの家系の
人たちとか社会的成功者達が口にしているらしい台詞なので(求む出典)
"castigat ridendo mores" "Saxum volutum non obducitur musco"
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
ガキんちょが外で遊ばなくなったとか、
学生が勉強しなくなったとか、
ニートが働かなくなったとかいうならわかるけど、
サラリーマンが仕事外で何やろうと問題ないでしょ?
Re: (スコア:0)