これで A の特定分野において A が素晴らしいというのはあり得ると思いますが、大半の人は (B の方がおいしい料理を作れるなら) B に軍配を上げてしまうんじゃないでしょうか。
で、「大局的に」A の方が勝利だと思いますか。B の方が勝利だと思いますか。
音楽の符号化に関してはおそらく A の方が有用でしょう。しかし人々に対して直接的な幸せを与える意味では、おそらく B の方が有用でしょう。
>A「mp3 における音響心理モデルの計算において、より効率的かつ効果のある計算結果を出せる式を作る勝負だ」 >B「いや、それよりもおいしい料理の作りあいで勝負しましょうよ。そっちの方が一般的ですし」 >これで A の特定分野において A が素晴らしいというのはあり得ると思いますが、大半の人は (B の方がおいしい料理を作れるなら) B に軍配を上げてしまうんじゃないでしょうか。 >で、「大局的に」A の方が勝利だと思いますか。B の方が勝利だと思いますか。 >音楽の符号化に関してはおそらく A の方が有用でしょう。しかし人々に対して直接的な幸せを与える意味では、おそらく B の方が有用でしょう。
>音楽の符号化に関してはおそらく A の方が有用でしょう。しかし人々に対して直接的な幸せを与える意味では、おそらく B の方が有用でしょう。
これは、「特定分野に真剣に訓練をした結果、別領域で勝負されて敗北する」典型例になってますね。
暗にBの勝利を示唆している様に感じられますが、「音声符号化」に未熟なBが勝利するのは、「真剣に訓練した者が勝利する」を否定してませんか?
いえ、まったく。B の方が勝利するように感じられたとしたら私の書き方の問題です。
ここから「音楽の符号化に限らない数学系の問題領域」であっても、おそらく A の方が能力は高いでしょう。
一方、B は栄養学などについて一般の人より詳しい可能性があります。
わざとさほど難しくなさそうなレベルで B を設定したのは、必ずしも専門家が自分の専門分野のみで勝負できる訳ではないということと、そんな風に勝負の領域を簡単に変えられるような話である事自体が、別に A も B もその勝負自体がどうでも良かったりしないでしょうか。
全年齢を対象としたゲームで「大人が子供に教えを乞う状況」や「大人が子供に負ける状況」は、そういったどうでもいいレベルにしか見えない、ということです。
その時間帯だと (スコア:2)
下手すりゃ日本で言うサラリーマン的な人はオンラインゲームは土日に限定される感じでしょうか。
出来たとしても帰ってから1~2時間プレイするのが精一杯ですね。
深夜のプレイを禁止するというよりは連続でプレイが出来ないような仕組みの方がいいのかな~とも思ったりします。
FF14にある疲労度みたいな感じでしょうか。(まぁFF14の疲労度も微妙ではありますが)
まぁ廃人なら複数アカウントで意味ないのかもしれないですが。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:1)
賭博類 (競馬等の日本で認められている物以外、たとえばラスベガスで遊ぶ、なども含む) はあなたの基準では「ゲーム」に含まれるのでしょうか。
ポーカーなどは大人になってからでないとまともに楽しめない「ゲーム」であるとも思えます。
海外を挙げずとも、日本でも将棋や囲碁などは昔から大人も子供も (むしろ大人の方が多いような……) 楽しむゲームではないでしょうか。クロスワードパズルなどもやはりゲームに入りますよね。
「サラリーマンになってゲームしてる事」って、そんなに否定されるような事でしょうか?
大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
「サラリーマンになっても、子供/学生向けの商品やサービスを購入する事」は、否定されるべきじゃないかと思います。
その理由は、市場が画一化してしまうからです。
もう既に起こっている感が在りますが、「子供には売れない」製品市場への新規参入者が減少し、一方で全年齢対象市場が広がるので、多数の製品が「子供向け」化します。
個人の時間は有限なので、子供向け製品で消耗した時間分、大人向け製品の使用頻度が下がって、市場が縮小し、利益が見込めないから新製品が出ず、更に市場が縮小する悪循環を招きます。
結果、市場が子供向け製品だけになり、大人向け製品が無
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Re: (スコア:1)
ゲームは娯楽商品の一種でしかありませんし、大人向けと「している」商品が無かろうと、どうせ別に娯楽を見つけられますよ。
また、市場原理としても供給側は選択と集中が行われるのは確かですが、「それしかない」状況というのはほぼ考えなくても問題ありません。どうせ差別化のためにも供給者側としては異なる方向、異なる商品を出してきますから。
Re: (スコア:1)
>また、市場原理としても供給側は選択と集中が行われるのは確かですが、「それしかない」状況というのはほぼ考えなくても問題ありません。
>どうせ差別化のためにも供給者側としては異なる方向、異なる商品を出してきますから。
実際には、そんな現象が起こってません。
一時期、DSで脳トレや実用系ゲームがブームになりましたが、すぐに失速しました。
理由は、パイが小さくてすぐに一巡した後の売り上げが無くなった為です。
また、パイが小さいので、薄っぺらいコンテンツしか出せません。
好例がエロゲで、全年齢対象と比べて、システム的に貧弱なものしか存在しません。
>また、
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Re: (スコア:1)
その傾向が強いのは否めませんが、それは提供する娯楽の目的物が異なるから、という点が大きく関わっていませんか。
ゲーム自体の楽しさを得る目的で作成されているものと、ゲームの形態を取っているだけに過ぎず、実際はゲームに含まれるコンテンツを提供する目的で作成されているものの違いでしょう。
実際、「とにかくすごいことをやってみたい」というとんがった方向性で作られているものでは、顔認識や特殊コントローラーの追加など、一般向けではやりづらい方向で様々にシステムを
Re: (スコア:1)
>実際、「とにかくすごいことをやってみたい」というとんがった方向性で作られているものでは、顔認識や特殊コントローラーの追加など、一般向けではやりづらい方向で様々にシステムを作りこんでいませんか。
正直、話題作りの為で「作りこんで」はいないと思いますが。
単に、実験室レベルの要素技術を実装しただけに見えます。
これは個人の憶測ですが、何処かの大学に研究依頼したのをそのまま乗っけたんじゃないかと。
>利益の最大化という点から「エロゲの一般向け版」は実際に販売されていますし、それなりの売り上げを出しているように思います。
これは、概ね、単なるプラットフ
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Re: (スコア:1)
パイの大きいコンシューマー機市場や携帯ゲーム機市場などの場合、そういうものを乗っける余地はありませんから。
「成人向け化」は、このコンテキストでは「CERO レーティング Z 化」「難易度のバランスをさまざまな経験を積んだ大人を想定したものとする」という話だと思います。前者は基本的に必
Re: (スコア:1)
>パイの大きいコンシューマー機市場や携帯ゲーム機市場などの場合、そういうものを乗っける余地はありませんから。
いや、「作り込み」の問題です。
例えば、ラブプラス辺りは、トンでもない人員を投入して作りこんでます。
実験室レベルのものをポン付けしたんじゃ、マス市場には受け入れられないんですよ。
>イースシリーズなどは血飛沫 on/off オプションなどが存在します) 場合が極めて多く、後者は先のコメント通り、調整可能であればやはり最初から対応しているため、必要がなければあまり出ません。
これは、今度はシステムレベルの調整の話ですね。
血飛沫のon/offで、ゲ
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Re: (スコア:1)
単に「想定層に受け入れてもらえるように作りこみを行っている事」を指しているに過ぎません。
ラブプラスが持つ本質的なゲーム性の深みを広げるようなゲームシステムの作り込みに繋がっているものかどうかという点を評価した場合に、投入された「トンでもない人員」のどれだけが益となったでしょうか。
投入された人員 = 作り込みの良さが直結しないという点については、こ
Re: (スコア:1)
>ラブプラスが持つ本質的なゲーム性の深みを広げるようなゲームシステムの作り込みに繋がっているものかどうかという点を評価した場合に、投入された「トンでもない人員」のどれだけが益となったでしょうか。
これについては、ラブプラスの作り込みを過小評価していると思います。
URLは失念しましたが、製作秘話的なゲーム記事で、意外なまでの努力に感嘆しました。
(ご希望であれば、URLを探してみますが)
>投入された人員 = 作り込みの良さが直結しないという点については、ことゲームに限らない話です。
この指摘は的外れです。
当方の意図は、貴殿の「成人向けにもシステ
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Re: (スコア:1)
確かに過小評価しているかもしれませんが、基本的な面を単純化すると一般的なアドベンチャーゲームにミニゲームを付け加えたギャルゲーです。
「シナリオや演出によってプレイヤーをうまく惹きこむこ
Re: (スコア:1)
>「シナリオや演出によってプレイヤーをうまく惹きこむこと」に関しての努力は半端ないと思っていますが、「アドベンチャーゲームにミニゲームを付け加えたギャルゲー」という点について、基本的なゲームシステムの作り込みという部分はどうでしょうか。
>その点を言っているつもりですし、本質的なゲーム性とはそちらを指していると考えます。
まずは、 こちら [4gamer.net]を御覧になってから、「作り込み」の評価をして頂きたいかと。
あと、ラブプラスは「作り込み」の例であって、単にシステム面での作り込みのつもりではないです。
元々は、「新システムで作り込んだエロゲーが在る」に対し
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Re: (スコア:1)
そういえば、主張についてこの部分についての矛盾をしっかりと指摘し忘れていました。ここ、自己否定していませんか。
本当に現実社会において、訓練を積んだ人が大局的には負けるという事は、それすなわち「基本的には未熟な人が勝利を収める事となる」ということです。
それは経験の
Re: (スコア:1)
>常に別領域で勝負を挑めば未熟な人が大局的な勝利を収められるのですから、経験など積む必要もないですし、学習する必要も努力する必要もないということですよね。実際に回避可能な領域が多数存在しているのですし。
そんな事は有りません。
まず、特定領域での訓練を積んだ者の勝利は否定していませんから、別領域で勝利を収めるには、自身より相手がその領域で未熟である事が前提となります。つまり別領域での訓練が必須です。
経験・学習・努力を否定するものでは在りません。
全局面で未熟な者は、勝利領域を持たないので、当然、局所的にも大局的にも敗北します。
また、「
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Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
私自身、努力、根性、勝利! ……ではなく、努力や経験は必ず成果を残すために重要であると考えています。その点でも「大局的に未熟なものが勝利する」という点を自己否定して欲しいがために言いました。
つまり、「未熟なものが勝つ」のではなく、たとえ別の分野でも「習熟した人が勝つのであって、未熟なものは習熟した人には勝てない」のが基本にある、ということです。
その上で、「あらゆる状況において習熟した人に、その分野においては未熟だが他の分野で習熟している人が、そちらの分野に持ち込むことで必ず最終的な (= 大局的な) 勝利を収める」という結論を持ってほしくなくて言いました。
そもそもですね。他の分野に習熟しているとしても「その分野に引き込む交渉」という別分野に秀でているかどうかは別の話であり、別の "自分が得意とする分野" に持ち込むことが出来なければ、それ以前に負けている状況を覆すことはできませんよね。
それはもちろんあり得る話ですし、ままある話です。
しかし、「未熟と見ていた相手に、自分が得意とする分野に勝負を誘導される」状況こそ、交渉に未熟な人ということじゃないでしょうか。
結局ただの専門バカですよね。
一般的には、専門バカでも職人でもいいですが、いずれも「その専門分野ついては秀でていると考えられるが、社会的な面では色々ダメな面が多い」とされる扱いをされますね。
いえ、そもそも「なんでそんな勝負をするのか」と、それを踏まえて「大局とはどういうものか」じゃないでしょうか。
A「mp3 における音響心理モデルの計算において、より効率的かつ効果のある計算結果を出せる式を作る勝負だ」
B「いや、それよりもおいしい料理の作りあいで勝負しましょうよ。そっちの方が一般的ですし」
これで A の特定分野において A が素晴らしいというのはあり得ると思いますが、大半の人は (B の方がおいしい料理を作れるなら) B に軍配を上げてしまうんじゃないでしょうか。
で、「大局的に」A の方が勝利だと思いますか。B の方が勝利だと思いますか。
音楽の符号化に関してはおそらく A の方が有用でしょう。しかし人々に対して直接的な幸せを与える意味では、おそらく B の方が有用でしょう。
その上で、「習熟した人」はどちらで、「未熟な人」はどちらでしょうか。どちらも自身の世界では習熟者であり、一方、相手の世界では未熟者ではないでしょうか。
大人であろうと、そんな点はいくらでもある話ではないでしょうか。
言い訳がすぎます。
「大局的には」というからには、世界の大勢の結果としてはそのようになる、ということであり、それを否定するということは「未熟な人が熟練者に勝利する」のは局所的な状況であり、基本的には熟練者が未熟者に勝利する (= 経験の肯定) ということです。
本来の主張として「大人の児童化」が困ると言いながら「大勢としては未熟者が勝利する」とかいう、意味が分からないことを言ったので、この点を指摘したかっただけですよ。
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
>私自身、努力、根性、勝利! ……ではなく、努力や経験は必ず成果を残すために重要であると考えています。
>その点でも「大局的に未熟なものが勝利する」という点を自己否定して欲しいがために言いました。
んと、単なる揚げ足取りじゃないって事ですね。
「努力や経験が重要」な点には、全く異存は在りません。
でも、短絡的に「努力や経験を積めば勝利出来る」には、個人的に反対です。
特に、「努力や経験が狭い領域に終始するなら、大局的な敗北は避けられない」と云うのが、持論です。
だから、最初の発言時点で「特定領域で訓練を積んだ結果」と限定してます。
>つまり、「未熟なものが勝つ」のではなく、たとえ別の分野でも「習熟した人が勝つのであって、未熟なものは習熟した人には勝てない」のが基本にある、ということです。
この点については、見解は一致していると思いますが?
>その上で、「あらゆる状況において習熟した人に、その分野においては未熟だが他の分野で習熟している人が、
>そちらの分野に持ち込むことで必ず最終的な (= 大局的な) 勝利を収める」という結論を持ってほしくなくて言いました。
前半が解釈困難なのですが?
「あらゆる状況において習熟した人」は、同時に他分野でも秀でている事を意味しないのでしょうか?
あと、後半部分では、残念ながら、それが発生しているのが冷たい現実だと思ってます。
一方、狭い領域に終始するゲーム世界では、「強キャラ」で常時勝利可能な事が多く、その点を問題視しての発言です。
このスレッドは、「ゲーム」に関する物なので、そこから完全に乖離したら議論が破綻する点に留意して下さい。
>しかし、「未熟と見ていた相手に、自分が得意とする分野に勝負を誘導される」状況こそ、交渉に未熟な人ということじゃないでしょうか。
当然そうです。
従って、「交渉術」は、ほぼ全員に要求される一般スキルです。
逆に言えば、交渉スキルの向上を伴わない「努力や経験」は無意味と云う事でも在ります。
>A「mp3 における音響心理モデルの計算において、より効率的かつ効果のある計算結果を出せる式を作る勝負だ」
>B「いや、それよりもおいしい料理の作りあいで勝負しましょうよ。そっちの方が一般的ですし」
>これで A の特定分野において A が素晴らしいというのはあり得ると思いますが、大半の人は (B の方がおいしい料理を作れるなら) B に軍配を上げてしまうんじゃないでしょうか。
>で、「大局的に」A の方が勝利だと思いますか。B の方が勝利だと思いますか。
>音楽の符号化に関してはおそらく A の方が有用でしょう。しかし人々に対して直接的な幸せを与える意味では、おそらく B の方が有用でしょう。
これは、「特定分野に真剣に訓練をした結果、別領域で勝負されて敗北する」典型例になってますね。
暗にBの勝利を示唆している様に感じられますが、「音声符号化」に未熟なBが勝利するのは、「真剣に訓練した者が勝利する」を否定してませんか?
あと、難易度を無視しているのも、この勝負の例の問題です。
「音声符号化に専念しているAより美味しい料理を作る」なら、Bには真剣な訓練は必要ないと思われます。
尚、「大局的な勝者」に対する当方の回答は、「これだけでは不明」です。
もし、この勝負の結果に起因して、AがBの支配下に入るなら、大局的にBがAに勝利したと見做せます。
一方、この勝負の勝敗に関わらず、Aが作ったシステムで利益を得て、Bが経営するレストランを買収すれば、大局的な勝利はAが得たと見るべきです。(これは、更に別領域で大局的に勝利する典型例です)
一般論としては、実効的な支配権を得るのが大局的勝利と考えるのが妥当でしょう。
なので、
>「大局的には」というからには、世界の大勢の結果としてはそのようになる、ということであり、
と云う、「大局的」の解釈に対しては否定します。
また、
>それを否定するということは「未熟な人が熟練者に勝利する」のは局所的な状況であり、基本的には熟練者が未熟者に勝利する (= 経験の肯定) ということです。
と云う単純な解釈に対しても、否定させて頂きます。
「基本的には熟練者が未熟者に勝利する」に異存は在りませんが、現実の勝敗は、局所的な「急所への一撃」で決定する事が多いです。
戦闘に未熟な集団が、戦略に因って勝利した例は数知れません。
結局の所、「大局観」を持つものが勝利すると云うのが妥当でしょう。
で、そもそもの齟齬は、「大局」の理解の相違に在るみたいですね。
当方としては、「大局的勝利」を「最終的勝利」の意としていたのですが、その意図が伝わらず、「大局」=「大勢」と解釈されたのが誤解の原因です。
尤も、未熟な者が大勢で勝利してしまう実例が少なくないのは、困った事ですが、これは、又、別の話として。
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Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
人事を尽くして天命を待つの言葉もありますが、人事を尽くさぬものに天命を待つ資格もなければ天命も下りないでしょう。
他力本願は、あくまでも自力ではどうにもならない死後においての他力を願うものですし、ここには自力を尽くさなくていいというニュアンスはありません。
天は自ら助くる者を助く、の言葉も、やはり自助努力があるからこそ助けが得られるという言葉となります。
結局、その意味で自らできる事をせずに物事がすべてうまくいくとは基本的には考えてはいけない、ならない、だと思います。
同時に他分野でも秀でていることは、必ずしも意味しません。
しかし、それまでに積んできた知識や経験が必ずしも無意味となる、とも思いません。
「大局的に未熟な人が勝利する」という場合だと、「あらゆる分野において秀でていなくても大局的な勝利を収められる」という事になりますよ。
いえ、「強キャラで常時勝利可能な事が多く」というのが「ゲーム」の中でも極めて一部の限定的なものを指しているのが問題なのです。
特定のゲームを想定しすぎではないかと。
「ゲーム」と言っても、一般的にはカードゲームやパズル、クイズ、ボードゲーム etc も普通に含まれるでしょう。人によってはスポーツの試合なども「ゲーム」として挙げるでしょうね。
そこで「コンピューターゲーム」の「特定一分野における傾向」をゲーム一般の話のように言われても……ということです。
いえ、まったく。B の方が勝利するように感じられたとしたら私の書き方の問題です。
ここから「音楽の符号化に限らない数学系の問題領域」であっても、おそらく A の方が能力は高いでしょう。
一方、B は栄養学などについて一般の人より詳しい可能性があります。
いずれも専門分野において高い能力を有するかもしれませんが、他の分野ではそう高い能力を期待する人は稀でしょう。
ここで「大局的な勝利」とはどのような状況を指すのでしょうか。
わざとさほど難しくなさそうなレベルで B を設定したのは、必ずしも専門家が自分の専門分野のみで勝負できる訳ではないということと、そんな風に勝負の領域を簡単に変えられるような話である事自体が、別に A も B もその勝負自体がどうでも良かったりしないでしょうか。
全年齢を対象としたゲームで「大人が子供に教えを乞う状況」や「大人が子供に負ける状況」は、そういったどうでもいいレベルにしか見えない、ということです。
A は B の支配下に入る事で、A は毎日おいしい料理を食べながら研究に専念する事ができました。
B は A がバックに付く事で、経営について意識せずに料理に専念することができるようになりました。
のような場合は、どちらが勝利なのでしょうね。もちろん前者の場合であっても、A はそれにより健康面についてよりプラスとなる可能性はあります。B の場合は経済面でのメリットを享受していますね。
どっちも勝っていませんか? どちらかしか勝つことがないというのも、また、どちらも負けというのもあり得るように思います。
また、「大人と子供が一緒に遊ぶことでコミュニケーションを促し、お互いの関係を改善する」といった面はどうでしょうか。
戦術レベルの勝利と戦略レベルの勝利を同列に置かれても……。
歴史上、戦闘に未熟な集団であっても「まともに攻撃もできないどころか隊伍も組めないような」未熟な集団が勝利した例はない、とは言い切りませんが、少なくとも私は知りません。
また、戦略により勝つというのは、まさに「熟練者が未熟者に勝利している」事例でしかありません。
将棋でも効果的に駒を捨てられるようになる事が初心者から抜け出す辺りのラインですが、駒を取られるという戦術的な敗北を罠として使う事で王を詰めるという戦略的な勝利を得る訳です。
現実の勝敗における「局所的な部分への急所への一撃」というのは、この効果的な捨て駒が布石となっている場合は多いですよ。
いえ、最終的な勝利という意味では確かに伝わっているかと思いますよ。
「局所的な勝利を大局的な勝利と言っていないか」と言っているに過ぎません。
戦闘における基本は数ですから、それはそれで間違っていないです。
ただし数を揃えて動かす事は非常に難しいですし、それができるという事はそれだけの力があるという事であり、単に未熟で済ませられる話ではないですね。
軍で言えば兵站が整わなければ大軍は動かせません。
あと、私は「専門バカ」は一般的には社会的に様々な経験を積み成熟した大人だとは思いませんし、BIWYFI さんの言う「未熟な大人」の典型だと思います。
しかしそれはそれでまったく問題ないと思いますし、「専門バカ」が皆無の社会を目指すというのは「会社の言いなりになる奴隷を量産する社会」だと思いますね。
専門バカだけでも困りますが。
Re:大人の児童化は避けるべき (スコア:1)
とりあえず微細な点を話していても話が散っていくだけだと思いますので、根本的な部分に立ち戻って「大人の児童化を避けるために、大人は全年齢向けなどの子供と競合する領域で一緒にゲームをするのは望ましくない」という点について、いくつかの点から「その意見は望ましくない」という点を説明しましょう。
まず、娯楽を提供する作品を作る製作者に対し「お前らがやっている事は世の中にとって有害だ」という主張となっている点。これはいただけないでしょう。
もう一点は「他人の趣味に口を出すような下世話な真似は止めた方がいい」という点。クラシックを好む人に、どんなに自分が好きであろうとデスメタルを強要するような真似はあまりお勧めできませんね。
そして、「だからこそゲームを変えなければならない」という発想はいいと思いますが、その方向性が浄化思想に至っている点が最大の問題でしょう。
過去に行われた浄化思想の発露は、短く見ても数年で、長いスパンでは数百年後での評価として見ると、その尽くが失敗し、マイナス評価を受けています。
昔であれば項羽の行った降兵の虐殺、焚書などがそうでしょう。焚書については近年でも有害図書廃棄運動での白ポストなどが同様の物と言えます。
また、一時的に支持は得られても最終的な評価としては稀代の悪法と呼ばれることとなった禁酒法もあります。
近年のゲームやアニメに対する規制や BIWYFI さんの言う「大人がゲームをするのは望ましくない」説は、これに近い臭いを感じます。
また、娯楽などの「不満の解消やストレスの発散を目的としたもの」に対する規制という共通点が、暴走を呼んだ結果最終的には一般の反発を受けることとなるのではないかと思います。
確かに即時的な効果は得られないでしょうが、取り巻く環境の改善や本体の改善を働き掛ける方が、結果的に有意義だと考えます。
だからこそ反対している、という感じですね。