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ただ単に書類を集めるような仕事ならITによって置き換え可能なのかもしれないが、 扱う情報の量がどんどん増えている昨今、 その情報の意味、意義、あるいは価値を計ろうとする場面において、 人間の頭の価値は無くなるどころか、いよいよ価値を増しているのではないか。
ITによって仕事が減っているというのは、実はその仕事は情報をコピーしたり、 単純な計算をするだけの仕事だったのではないのか。
高学歴者に求められているのは、 単に情報をコピーするだけではなく、その情報を要約したり、 解釈を加えたり、価値を推し量ったりすることなのではないのか。 あるいは情報がどう扱われるかのシステムを把握し、 制度疲労を起こしている場合にはどこをどう直すべきかを考察し、 それをシステムに落とし込む能力ではないのか。
学問というのは現実認識の方法であり、あるひとつの客観的方法論であるはずだ。 つまり一人ひとりの立場を超えた議論(で価値判断)ができるということが、 高学歴者に求められるひとつの素養であると私は思うのだが....
> その情報を要約したり、解釈を加えたり、価値を推し量ったりすることなのではないのか。あるいは情報がどう扱われるかのシステムを把握し、制度疲労を起こしている場合にはどこをどう直すべきかを考察し、それをシステムに落とし込む能力ではないのか。
ということが自動的、あるいは半自動的に行われるようになってきている、ってことじゃないかな。もちろん全てにおいてじゃないけど。
確かにそういう側面もあるでしょう。Googleで検索すれば有用な情報が上位に来ますからね。
そのような、ある種の評価関数を作るのはできるとは思うのですが、その結果と現実がどうあっているのか、あっていないのかを考察する上ではやはり人間の認識の力は必要でしょう。また「情報を要約する」というのは要するにいらないと思われる情報を切り捨てることですが、現実にある情報を取り扱う上では機械的にはできない場合が多いと思います。
少しは歴史に学ぼうよ。
今まで、「こんなに難しいことは我々人間でなければ絶対に不可能だ」と思われていた部分が、自動化されて機械に置き換えられたり、半自動化されて必要な人数が減少したり、効率化されて敷居が下がった結果、「こんなに難しいこと」に従事していた人の価値が暴落する、ってのを何度も繰り返してきてる。それがそもそもの論旨じゃないのかい?
「○○なんて難しいことは、我々人間でなければ…」うん、確かに今はそうさ。でも、産業革命前の職人たちも、自分たちの仕事をそう思っていたんだよ。明日も明後日もそうだとどうして言えるんだ?
どんなに優れた道具(機械、ロボット、あるいはコンピューター)でもそうですが、 それをどう使うのか決めるのは人間ですし、人間であるべきであると、私は思います。
同様にそれら道具で生み出された製品、あるいは情報を、どのように認識し、 どのように評価するのか、それを決めるのもやはり人間であるし、 機械にできるのは、その補助的役割だけだと思うのです。 なぜなら欲を、衝動を、感情を、意思を持つのは人間だけだからであり、 そうあるべきであると私は思うのです。
産業革命以後、確かに手工業的な産業は壊滅的なダメージを受けたかもしれま
総論は賛成なんですが…
人間であるべきであると、私は思います。
現状ではそうにちがいありませんが、そんな「べき」はありません。まあ、思うのは勝手なんですがね。以下同様。
これらに独立した価値を我々が認める限り、何々革命が起きようが、やはり残るのです。
その通りです。が、それは結果から逆順に説明したに過ぎませんね。それに、どれだけの割合の人が、そういう職業で食っていけるんだろう、と考えると…
まとめると、「何が我々にとっての価値であるか」を真剣に考え、その価値を生み出せる人間は、いつの時代も需要があるし、明日も明後日もその需要が消えてしまうことはないと、私は思います。
私もそう思います。が、それらの仕事は、誰にでもできるというわけではないんですよね。しかも、できない人たちの方が圧倒的多数じゃないかな?それらの人達は、今後、どうやって生きていけばいいんですかね。
それらの人達は、今後、どうやって生きていけばいいんですかね。
「何が我々にとっての価値であるか」と書きましたが、これはトップ判断だけではなく、 組織にとっての価値を考える意味でも重要であると思います。 組織を小さく区切って行き、自分の専門領域を定めれば、 ある程度は対応可能なのではないかと思います。 つまり問いをもう少し狭くして 「我々のグループにとっての計算機的価値とは何なのか」などを しっかり問うことができれば、有用な人材たりえると思います。
それと、 高学歴者はしっかりとした問いを持ちながら進む必要はあると思いますが それ以外の人間が不要になると言っているわけではないです。 組織活動を円滑にするための活動は依然として残ると思います。
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
高学歴者に求めるもの (スコア:4, すばらしい洞察)
ただ単に書類を集めるような仕事ならITによって置き換え可能なのかもしれないが、 扱う情報の量がどんどん増えている昨今、 その情報の意味、意義、あるいは価値を計ろうとする場面において、 人間の頭の価値は無くなるどころか、いよいよ価値を増しているのではないか。
ITによって仕事が減っているというのは、実はその仕事は情報をコピーしたり、 単純な計算をするだけの仕事だったのではないのか。
高学歴者に求められているのは、 単に情報をコピーするだけではなく、その情報を要約したり、 解釈を加えたり、価値を推し量ったりすることなのではないのか。 あるいは情報がどう扱われるかのシステムを把握し、 制度疲労を起こしている場合にはどこをどう直すべきかを考察し、 それをシステムに落とし込む能力ではないのか。
学問というのは現実認識の方法であり、あるひとつの客観的方法論であるはずだ。 つまり一人ひとりの立場を超えた議論(で価値判断)ができるということが、 高学歴者に求められるひとつの素養であると私は思うのだが....
Re: (スコア:0)
> その情報を要約したり、解釈を加えたり、価値を推し量ったりすることなのではないのか。あるいは情報がどう扱われるかのシステムを把握し、制度疲労を起こしている場合にはどこをどう直すべきかを考察し、それをシステムに落とし込む能力ではないのか。
ということが自動的、あるいは半自動的に行われるようになってきている、ってことじゃないかな。
もちろん全てにおいてじゃないけど。
Re: (スコア:3, すばらしい洞察)
確かにそういう側面もあるでしょう。Googleで検索すれば有用な情報が上位に来ますからね。
そのような、ある種の評価関数を作るのはできるとは思うのですが、その結果と現実がどうあっているのか、あっていないのかを考察する上ではやはり人間の認識の力は必要でしょう。また「情報を要約する」というのは要するにいらないと思われる情報を切り捨てることですが、現実にある情報を取り扱う上では機械的にはできない場合が多いと思います。
Re: (スコア:0)
少しは歴史に学ぼうよ。
今まで、「こんなに難しいことは我々人間でなければ絶対に不可能だ」と思われていた部分が、
自動化されて機械に置き換えられたり、
半自動化されて必要な人数が減少したり、
効率化されて敷居が下がった結果、
「こんなに難しいこと」に従事していた人の価値が暴落する、ってのを何度も繰り返してきてる。
それがそもそもの論旨じゃないのかい?
「○○なんて難しいことは、我々人間でなければ…」
うん、確かに今はそうさ。
でも、産業革命前の職人たちも、自分たちの仕事をそう思っていたんだよ。
明日も明後日もそうだとどうして言えるんだ?
Re: (スコア:2)
どんなに優れた道具(機械、ロボット、あるいはコンピューター)でもそうですが、 それをどう使うのか決めるのは人間ですし、人間であるべきであると、私は思います。
同様にそれら道具で生み出された製品、あるいは情報を、どのように認識し、 どのように評価するのか、それを決めるのもやはり人間であるし、 機械にできるのは、その補助的役割だけだと思うのです。 なぜなら欲を、衝動を、感情を、意思を持つのは人間だけだからであり、 そうあるべきであると私は思うのです。
産業革命以後、確かに手工業的な産業は壊滅的なダメージを受けたかもしれま
Re:高学歴者に求めるもの (スコア:1)
総論は賛成なんですが…
人間であるべきであると、私は思います。
現状ではそうにちがいありませんが、そんな「べき」はありません。まあ、思うのは勝手なんですがね。以下同様。
これらに独立した価値を我々が認める限り、何々革命が起きようが、やはり残るのです。
その通りです。
が、それは結果から逆順に説明したに過ぎませんね。
それに、どれだけの割合の人が、そういう職業で食っていけるんだろう、と考えると…
まとめると、「何が我々にとっての価値であるか」を真剣に考え、その価値を生み出せる人間は、いつの時代も需要があるし、明日も明後日もその需要が消えてしまうことはないと、私は思います。
私もそう思います。
が、それらの仕事は、誰にでもできるというわけではないんですよね。しかも、できない人たちの方が圧倒的多数じゃないかな?
それらの人達は、今後、どうやって生きていけばいいんですかね。
Re:高学歴者に求めるもの (スコア:2)
それらの人達は、今後、どうやって生きていけばいいんですかね。
「何が我々にとっての価値であるか」と書きましたが、これはトップ判断だけではなく、 組織にとっての価値を考える意味でも重要であると思います。 組織を小さく区切って行き、自分の専門領域を定めれば、 ある程度は対応可能なのではないかと思います。 つまり問いをもう少し狭くして 「我々のグループにとっての計算機的価値とは何なのか」などを しっかり問うことができれば、有用な人材たりえると思います。
それと、 高学歴者はしっかりとした問いを持ちながら進む必要はあると思いますが それ以外の人間が不要になると言っているわけではないです。 組織活動を円滑にするための活動は依然として残ると思います。