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高校卒業は春のため、入試日程は現行のまま、入学までの半年の間に学生に海外留学やボランティア活動をさせる案などが出ているという。
逆に優秀な学生なら半年早く高校を卒業させた方が良いと思う。その方が日本の国際競争力を維持する事に繋がると思う。
>>日本の大学行かないでハーバードなりMITなりに行こうと思ったら、個人で家庭教師雇って進めるしか手がないのが現状です。>>個人的には国立(こくりつ)の進学校にそういう連中を集めたクラスが一つや二つあってもいいと思いますが、当の受験生がそういう選択肢を選ぶ選ばない以前に>>考えないって状況ですから、そこを変えなきゃ卒業時期変えても効果ないと思います。
海外の一流大学受けようって時点で、個人で家庭教師を雇ってでも対策をするってのは、当たり前では?そんな負担が嫌だから国立の進学校を作って…ってというのは虫が良すぎます。
結局のところ、そう
長すぎる上に読みにくい。どうにかしてくれ。
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若い頃の半年は貴重な時間 (スコア:0)
逆に優秀な学生なら半年早く高校を卒業させた方が良いと思う。その方が日本の国際競争力を維持する事に繋がると思う。
Re: (スコア:0)
じゃなくて、高校には勉強だけしに行くわけじゃないんだから、みんなと一緒に卒業させてあげたほうが幸せな人の方が多いと思います。
国際競争力の話をするならば、受験の体系自体が歪んでるのを直さないとダメでしょう。
日本の大学行かないでハーバードなりMITなりに行こうと思ったら、個人で家庭教師雇って進めるしか手がないのが現状です。
個人的には国立(こくりつ)の進学校にそういう連中を集めたクラスが一つや二つあってもいいと思いますが、当の受験生がそういう選択肢を選ぶ選ばない以前に考えないって状況ですから、そこを変えなきゃ卒業時期変えても効果ないと思います。
Re: (スコア:2, 興味深い)
>>日本の大学行かないでハーバードなりMITなりに行こうと思ったら、個人で家庭教師雇って進めるしか手がないのが現状です。
>>個人的には国立(こくりつ)の進学校にそういう連中を集めたクラスが一つや二つあってもいいと思いますが、当の受験生がそういう選択肢を選ぶ選ばない以前に
>>考えないって状況ですから、そこを変えなきゃ卒業時期変えても効果ないと思います。
海外の一流大学受けようって時点で、個人で家庭教師を雇ってでも対策をするってのは、当たり前では?
そんな負担が嫌だから国立の進学校を作って…ってというのは虫が良すぎます。
結局のところ、そう
Re: (スコア:0)
優秀な学生が大学を選ぶ際に、国外の大学という選択肢に対する障壁がここまで高すぎるのは、健全な状態とは思えません。 大学の選択肢についてはちょっと内向きすぎだと考えます。 優秀な人材が日本の外の世界を学部生の若いうちから肌で感じ取ることが、日本の国益を損ねるとも思え
Re:若い頃の半年は貴重な時間 (スコア:2, 興味深い)
一所懸命考えており、憂いの気持ちはわからないでもないですが、
> 進もうと志しても無駄に険しく無駄なところに手間がかかる現状は問題なんじゃないの? と言いたいんです。
というのが日本ローカル基準でしかありません。確かに日本ローカル基準では「無駄に険しい」と思うのかも知れませんが、米国や西ヨーロッパではそれが当然で行うべき努力で、それがゆえにそれに対する報酬があると考えるのが一般的です。
障壁は当然どこにでも存在します。当然ですが無ければそれはそれで問題です。「無駄に険しい」というのは日本国内と較べた相対的な話しに過ぎません。言い換えれば日本国内は「無駄になだらか」。つまり、創造性のない、正解のある問題のみが解ける「優秀な」学生が、例えば東大に合格することが問題だと思います。元来日本でも受験戦争に勝ち抜くと言うことはその「障壁」を越えることに意味を見いだしていたはずですが(それゆえ就職の際に学校推薦なるものがあり、それは卒業時ではなく入学時の能力で測るという意味、、、(溜息))、赤本なり「傾向と対策」が一般に広まってからは、一定の順応力と頭の回転の速さと記憶力があれば他の能力が無くても例えば東大に受かるのが問題ではないでしょうか。
さて、その「無駄に険しい」障壁は、逆説的にはお金を賭けても簡単に乗り越えられません。最低限度の共通認識を得るためにはお金を賭けるのがショートカットですが、時間をかければインターネットで簡単にわかります。
昨今の中国・韓国の例からわかるように、お金だけ有ってもアイビーリーグやMITには受け入れてもらえませんよ。「何か」が必要です(献金の話しはおいておきましょう)。それが何かは人それぞれです。自分で考えることこそが重要です。世界的には金太郎飴のような日本の大学の方が例外的です。
それは承知の上で、将来の国際化のために日本国政府が現在の若者に対して下駄を履かせてあげるというのなら、議論の余地はあります(他の国はたくさんしております)。親コメントの後半の意図はそういうところに帰着するのではないかと思いますが、それを意図しているのかどうかはわかりません。個人的には国(政府)単位でそのようなことをする時代は終わり、やるならば社会or共同体単位で行う時代に入っているのだと思います。つまり、日本国籍を持っているだけのどこの馬の骨かわからん奴よりも、しっかり日本社会/自分の属する共同体に貢献してくれる外国籍(法務省はexclusiveだからね)を選んで支援する時代。
最後の
> 要は優秀な人たちが大学選択の段階ではほぼ完全に内向きなのは健全じゃないよなぁ というのには、「大学選択の段階では」という部分を取り除けば完全に同意です。それ故コメントしました。
そろそろ国家の繁栄を考えるのか社会の繁栄を考えるのか政府の繁栄を考えるのか日本人(ここでは日本国籍という意味ではなく、日本国という土地に住んでいる人の意味)の繁栄を考えるのか、選択を迫られているような気がします。
最後に、「ああやこうやいっても、米国の方が学歴社会」というのは1/4正しいですが、あとは間違いです。resumeにしか関係しません。その後どうなったかの追跡調査をすればより正しい結果が得られるでしょう。
Re:若い頃の半年は貴重な時間 (スコア:1)
長すぎる上に読みにくい。
どうにかしてくれ。