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その理屈でいくと、オープンソースじゃないOSを使えばこんな発言 [srad.jp]やあんな発言 [srad.jp]は出てこない、ということになりませんか?
あくまでリンクは参照ないし関連づけであって,リンク文字列はリンク先の内容を簡潔に表しておくべきだ,とされています。
例えば,本で「こんな事実(P.45)もありましたよね。」などと書かれていたら不愉快ではありませんか? 「『こんな』じゃなくて何か書いてくれたら思い出すかもしれないのに」と思いませんか?
「あれ」とか「こんな○○」といったアンカーは閲覧者側に,本来不要であったかもしれない通信を強いることになり,よろしくないのです。ナローバンド環境では「クリックする楽しみ」が「クリックする苦しみ」であるかもしれません(そもそもリンク先に移動す
しつこいと思われるかもしれませんが,突っ込みどころが散見され,放置できなかったもので…。
なぜ「不毛な議論」と言ったか
このような議論の場合,たいていはこちらの主張を受け入れてもらえず,説得することが不可能であるからです。
「簡潔に要約」に関して
大抵の文書にはタイトルが付いてるでしょうから,それを流用すればほとんどの場合は問題になりません。また,そのリンク文字列が言葉足らずだとしても,全くないよりはましでしょう。
あと,「要約」というのはいささか不適切な表現であると思われます。数字~十数字程度で文書の内容を言い表すのですから,タイトル付けといったところでしょう(要約と言うと文章というイメージを受けます)。
本の例えに関して
本を持ち出したのは,本でもwebでも「他のページをいちいち見に行く手間が面倒だ」と言いたかったのです。ですので「一度見に行けば覚えられるから大丈夫だ」というのはやや的はずれで,その「一度見に行く手間」を省けるようにしよう,と言いたかったのです。この辺の主張はこちらがやや言葉足らずだったかもしれません。申し訳ない。
ちなみに,TeXは元々組み版のために作られたソフトウェアですので,脚注があるのはごくごく当たり前の話です。
洗練されてる,されてない
そもそも,webのユーザビリティの概念は誰にでもアクセスしやすいようにしようという考え方ですので,環境が整ってない奴は我慢しろという考えは根本的にありません。誰にでもアクセシブルにすることでみんなでハッピーになろうということです。
「別ウィンドウを開くのは…」の話に関して
この話を挙げたのは,結局は「世の中には色々な環境の人がいるんだよ」ということを言いたかったためです。webは,何もPC上のブラウザだけから利用される訳ではありません。携帯電話やPDAからでも見ることができますし,もっと言えば検索エンジンの巡回ロボットなどもwebを利用していると言えます。どんな環境でも快適に閲覧(ないし利用)できるようにすればみんなハッピーになるだろうという訳です。
あと,ここで「リソース」という言葉を使ってしまったのは私のミスです。うっかりWindows環境のみを想定した物言いをしてしまいました。申し訳ありません。
長文申し訳ありません。これで説得できなかったら諦めます。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
Everybody's Business is Nobody's Business (スコア:2, 興味深い)
バグが発見されて、パッチが公開されたとして、そのパッチをあてる責任は誰になるのでしょう。
パッチが公開されたと言っても、例えばLinuxであれば、そのディストリビューションのサイトでパッチが公開されていない場合、管理者にパッチをあてる責任はあるのでしょうか?
権威のないサイトから取ってきたパッチに信用性はあるのでしょうか?
権威のあるサイトが書き変えられてはいないでしょうか?
パッチの内容を検証をする責任は誰が負うのでしょうか?
パッチが未公開の場合、作成する義務があるのでしょうか?
------------------------- Excess and Obsolete
ほほぅ (スコア:4, すばらしい洞察)
その理屈でいくと、オープンソースじゃないOSを使えばこんな発言 [srad.jp]やあんな発言 [srad.jp]は出てこない、ということになりませんか?
Re:ほほぅ (スコア:0)
リンクをクリックすればいいのはもちろんわかるのですが、
「こんな発言」「あんな発言」だけではなくて、もう少し
わかりやすくして頂けると嬉しいです。
(webユーザビリティ的にもアレかと)
Re:ほほぅ (スコア:-1, 余計なもの)
>「こんな発言」「あんな発言」だけではなくて、もう少し
俺は逆に、クリックすれば簡単にRemoteを手繰って読めるものを
いちいちLocalにも書くのは、ダサいと思っています。
>わかりやすくして頂けると嬉しいです。
クリックすれば「わかる」のですから、「わかりやすくない」という捉え方は本来は変です。
クリックしてから8秒以内に繋がらないと諦める人が多い、という統計もたしか以前有りましたが、
まぁそこまでセッカチになることもないでしょうし、少なくともスラドではそんな「お猿さん」に
歩調を合わせる必要
Re:ほほぅ (スコア:3, すばらしい洞察)
あくまでリンクは参照ないし関連づけであって,リンク文字列はリンク先の内容を簡潔に表しておくべきだ,とされています。
例えば,本で「こんな事実(P.45)もありましたよね。」などと書かれていたら不愉快ではありませんか? 「『こんな』じゃなくて何か書いてくれたら思い出すかもしれないのに」と思いませんか?
「あれ」とか「こんな○○」といったアンカーは閲覧者側に,本来不要であったかもしれない通信を強いることになり,よろしくないのです。ナローバンド環境では「クリックする楽しみ」が「クリックする苦しみ」であるかもしれません(そもそもリンク先に移動す
Re:ほほぅ (スコア:1)
「楽しみ」は冗談だとしても(笑)、実際、そこに書かれた簡潔な要約って奴はかなりの頻度で
「不十分な要約」でしかなかったり、更にいえば「主観も入っていて不正確な(=過不足の有る)要約」
だったり、という問題に悩まされます。
そんなもんに悩まされるくらいなら、いっそそれらを捨てるほうが「洗練されてる」と、俺は思います。
>私は、上に述べたような理由により、リンク文字列をきちんと記述することが洗練されていると考えます。少なくとも,「クリッ
(スコア:-2, オフトピック+しつこい) (スコア:1)
しつこいと思われるかもしれませんが,突っ込みどころが散見され,放置できなかったもので…。
なぜ「不毛な議論」と言ったか
このような議論の場合,たいていはこちらの主張を受け入れてもらえず,説得することが不可能であるからです。
「簡潔に要約」に関して
大抵の文書にはタイトルが付いてるでしょうから,それを流用すればほとんどの場合は問題になりません。また,そのリンク文字列が言葉足らずだとしても,全くないよりはましでしょう。
あと,「要約」というのはいささか不適切な表現であると思われます。数字~十数字程度で文書の内容を言い表すのですから,タイトル付けといったところでしょう(要約と言うと文章というイメージを受けます)。
本の例えに関して
本を持ち出したのは,本でもwebでも「他のページをいちいち見に行く手間が面倒だ」と言いたかったのです。ですので「一度見に行けば覚えられるから大丈夫だ」というのはやや的はずれで,その「一度見に行く手間」を省けるようにしよう,と言いたかったのです。この辺の主張はこちらがやや言葉足らずだったかもしれません。申し訳ない。
ちなみに,TeXは元々組み版のために作られたソフトウェアですので,脚注があるのはごくごく当たり前の話です。
洗練されてる,されてない
そもそも,webのユーザビリティの概念は誰にでもアクセスしやすいようにしようという考え方ですので,環境が整ってない奴は我慢しろという考えは根本的にありません。誰にでもアクセシブルにすることでみんなでハッピーになろうということです。
「別ウィンドウを開くのは…」の話に関して
この話を挙げたのは,結局は「世の中には色々な環境の人がいるんだよ」ということを言いたかったためです。webは,何もPC上のブラウザだけから利用される訳ではありません。携帯電話やPDAからでも見ることができますし,もっと言えば検索エンジンの巡回ロボットなどもwebを利用していると言えます。どんな環境でも快適に閲覧(ないし利用)できるようにすればみんなハッピーになるだろうという訳です。
あと,ここで「リソース」という言葉を使ってしまったのは私のミスです。うっかりWindows環境のみを想定した物言いをしてしまいました。申し訳ありません。
長文申し訳ありません。これで説得できなかったら諦めます。
Re:(スコア:-2, オフトピック+しつこい) (スコア:1)
「(目の前の俺の)説得」なんかが目的だったんですか?随分短気でらっしゃいますね…。
俺のほうは、こいつはもっと息の長い問題だと思っているんですけど。
人々の考えを改めさせる(ぉ)のには時間はかかるでしょうから。
>そのリンク文字列が言葉足らずだとしても,全くないよりはましでしょう。
それは幻想です。
まあそれに比べれば「タイトルがあれば流用すればいい」はまだしもマシですね。自分の判断が入る余地が無い分だけ。
>ちなみに,TeXは元々組み版のために作られたソフトウェアですので,脚注があるのはごくごく当たり前の話です。
もちろん。「組み版」というもの自体に隠居して頂くのが将来的な理想だ、という話です。
>・ 洗練されてる,されてない
>そもそも,webのユーザビリティの概念は誰にでもアクセスしやすいようにしようという考え方ですので,環境が整ってない奴
>は我慢しろという考えは根本的にありません。誰にでもアクセシブルにすることでみんなでハッピーになろうということです。
その発想をこの話題に適用すると、そもそもLinkというコストの高い仕組みがWebに有ること自体が
アンハッピーの種だ、という話になってしまうんで…
「それにも関わらず」Linkというものを持ち込んでしまった、のがWebの素晴らしい点なわけです。
そうでなきゃmailとftpで事足りてたんです(藁
>どんな環境でも快適に閲覧(ないし利用)できるようにすればみんなハッピーになるだろうという訳です。
ほぉ?では、貴方のいうやり方が「どんな環境でも」快適をもたらすものだ、と言い切れるんですね?
俺は我慢しろなどと言った覚えはありません。
タイトルだかなんだかを取り出したとしても、そもそも情報の本体は結局はLink先に有るんでしょうから、
我慢もへったくれもなくそっちは最終的(あるいは最初)にアクセスせざるを得ないのは同じことです。
その情報を見るつもりがそもそもあるならば、ですが。#ないならばこういう議論とは無関係。
ちょろっと書かれたタイトルだけで「判ったつもり」になられるのが、却って怖い(うざい)、という面が結構有りましてね。
アクセシビリティといえば聞こえがいいですが、サブセット情報が半可通を生む現実を思うと、ちょっとどうかと…