アカウント名:
パスワード:
オープンソースが商用(プロプライエタリ)ソフトウエアに対する「選択の余地」であると同様に、オープンソースの開発を支援する団体や企業も「選択の余地」としての存在意義があります。
存在意義を問う側が、それらの団体や企業に対して発言権を持つ(出資者や株主であったり、納税者であったり等々)場合はともかく、それ以外の人間が外部からとやかく言うことはないでしょう。それらの団体や企業が提供するものを「使わない」ことで間接的に「No」を言えるんですから、それで対応すればいいだけのことです。
穿った見方をすれば、この人はASFが存在することによって、(直接的なのか間接的なのかはわかりませんが)何らかの損失を被っていると感じている、と表現しているとも取れてしまいます。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
選択の余地がある、ということに意味がある (スコア:0)
オープンソースが商用(プロプライエタリ)ソフトウエアに対する「選択の余地」であると同様に、オープンソースの開発を支援する団体や企業も「選択の余地」としての存在意義があります。
存在意義を問う側が、それらの団体や企業に対して発言権を持つ(出資者や株主であったり、納税者であったり等々)場合はともかく、それ以外の人間が外部からとやかく言うことはないでしょう。それらの団体や企業が提供するものを「使わない」ことで間接的に「No」を言えるんですから、それで対応すればいいだけのことです。
穿った見方をすれば、この人はASFが存在することによって、(直接的なのか間接的なのかはわかりませんが)何らかの損失を被っていると感じている、と表現しているとも取れてしまいます。