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記事の内容が当を得ているのか否かは各人の判断に委ねるとして、
安定した利益を求める商売、斬新さを求める創作とは相反する要素があるんですよね。商売として利益を優先するのなら、斬新さより、マンネリでも安定した売上を見込めるものの方が良いって事になる。もちろん、マンネリが過ぎても相手にされないので、そこそこ安定した筋書きの上にちょこっと斬新さを載せるといった程度になる。
特にハードウェアが高度化し、開発が大規模化するほどに、企業としては失敗が許されなくなる。皮肉なことにハードが高性能化するほど、創作としては冒険しにくくなる。そんなジレンマがあるのかも知れない。
私も同じ考えを持っています。
ゲーム会社としても結局のところ、アイデア・技術・リリース数を含めたゲームに対する総合的な力の入れ方は、変わらないので、昔は、ユニークさ・数の多さで勝負してて最近はグラフィックの綺麗さ・技術力の高さで売り出してる、といった感じになるのでしょうが、やはりゲームである以上問われるのは主に前者で、後者はゲームとしての完成度には必ずしも結びつかないわけですよね。
数年前まではユニークさは減ってもハードの性能の向上がカバーしてくれてたが、PS2→PS3のような変化では、開発者の負担が桁違いに増えても、進歩が実感できるほどではなかったため、結局目新しさが無く、進歩もない、という事になったんだと思います。
こうなることが予測できないはずはないと思うのですが、新ハードが出る以上ソフトを出さなければ背を向けられてしまうからやるしかない宿命だったのでしょう。ではそもそも新機種を出さなければいいのか…というわけにも行かず、今まで新機種を出し続けてきた以上出さないわけにもいかないのでこれも決まったことだったということでしょう。そしてこのゲーム機開発の競争は昔からあったものです。
つまり、新機種のゲームに進歩を感じないどころか面白くない、という「ビデオゲームの特異点」のようなものに達するという事は、インベーダーゲームの時代にすでに決定されていたことだったと思うのです。もちろん今から言っても結果論ですが、この事は他の分野の未来予測にもあてはめることのできる一種の教訓のようなものとして、私は感じました。長文失礼
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開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
商売としての創作、そのジレンマ (スコア:4, 興味深い)
記事の内容が当を得ているのか否かは各人の判断に委ねるとして、
安定した利益を求める商売、斬新さを求める創作とは相反する要素があるんですよね。
商売として利益を優先するのなら、斬新さより、マンネリでも安定した売上を見込めるものの方が良いって事になる。
もちろん、マンネリが過ぎても相手にされないので、そこそこ安定した筋書きの上にちょこっと斬新さを載せるといった程度になる。
特にハードウェアが高度化し、開発が大規模化するほどに、企業としては失敗が許されなくなる。
皮肉なことにハードが高性能化するほど、創作としては冒険しにくくなる。
そんなジレンマがあるのかも知れない。
Re:商売としての創作、そのジレンマ (スコア:1)
私も同じ考えを持っています。
ゲーム会社としても結局のところ、アイデア・技術・リリース数を含めたゲームに対する総合的な力の入れ方は、変わらないので、
昔は、ユニークさ・数の多さで勝負してて最近はグラフィックの綺麗さ・技術力の高さで売り出してる、といった感じになるのでしょうが、
やはりゲームである以上問われるのは主に前者で、後者はゲームとしての完成度には必ずしも結びつかないわけですよね。
数年前まではユニークさは減ってもハードの性能の向上がカバーしてくれてたが、PS2→PS3のような変化では、
開発者の負担が桁違いに増えても、進歩が実感できるほどではなかったため、結局目新しさが無く、進歩もない、という事になったんだと思います。
こうなることが予測できないはずはないと思うのですが、新ハードが出る以上ソフトを出さなければ背を向けられてしまうからやるしかない宿命だったのでしょう。
ではそもそも新機種を出さなければいいのか…というわけにも行かず、今まで新機種を出し続けてきた以上出さないわけにもいかないのでこれも決まったことだったということでしょう。
そしてこのゲーム機開発の競争は昔からあったものです。
つまり、新機種のゲームに進歩を感じないどころか面白くない、という「ビデオゲームの特異点」のようなものに達するという事は、インベーダーゲームの時代にすでに決定されていたことだったと思うのです。
もちろん今から言っても結果論ですが、この事は他の分野の未来予測にもあてはめることのできる一種の教訓のようなものとして、私は感じました。長文失礼