アカウント名:
パスワード:
「多くの最近の日本製ゲームは恐ろしく酷い」というのには賛同。
でも理由は、最近のゲームはぎりぎりまで開発してるせいか「デバッグもまともに出来ていないクオリティのままリリースされる。」ってところが、以前よりも酷いと感じている。
別にクソゲー大賞に選ばれるようなやつじゃなくても、ハイドライドとかロマサガとかガンパレみたいに、明らかにデバッグ足りてないのは昔から大量にあった。そういう意味では、昨今売られてるのは、ある程度は人の手が入っているな、と感心する。そもそもが粗製系なのもあるが、外人はそんなのプレイしたことないだろう。洋ゲーだってデバッグ足りてないのは一杯あるだろうし。
おそらく、元の人が言ってるのは、デバッグがどうとかそういう次元の話じゃないでしょ。
川又千秋が『あなたは死にました』で25年前に指摘した通り、ウィザードリィやドラクエの面白
戦闘シーンとの切り替えがシームレスかどうかは単なる演出の違いであって、それだけで面白さの差が出るものではないと思うけどなあ。クロノ以降、戦闘だけではなくマップの切り替えやイベントシーンとの切り替えも無くしたようなゲームがたくさん出たけど、それで面白くなったかというとそうでもなくて、ゲーム性というのは全く別の部分にあるから関係ないとしか言えない。
じゃあ、演出が画一的だって言われたら満足かな?
「ゲーム性が全く別の部分にある」という仮定が正しいなら、ユーザーは20年前のハードで十分満足するって言ってるのと同じだよね。四コマ漫画とストーリー漫画なら、演出の違いと言い切ってもさして不都合はないかもしれない。だって、紙は100年たっても紙だから。でも、ゲーム機は違うでしょう?ハードの性能が上がってきているのに、演出だと言い切って低負荷な実装を選ぶなら、「新しい世代のゲーム」を何一つ生み出していないことになる。それは、トーキー世代で「演出だから」といって、敢えて役者に何も喋らせずに字幕を選ぶようなもの。一つの作品としてみるなら演出で済まされるが、全体の傾向としてそうなら、あまりにも保守的と言わざるを得ない。
四コマもサイレント映画も、紙幅や性能などの外部的な都合を和らげるための演出だったと言える。いまだに四コマやサイレントは作り続けられているが、それは別に悪くない。ただ、大半がそうであるなら、業界のどこかがおかしいってことだ。
だから、私はテニスは大いに評価する。25年前のテニスって言ったら、横向きのブロック崩しだったからね。こいつは確かに漸増的に進化してるよ。
つまるところ、演出抜きにゲーム機のゲーム性は語れない。ゲーム機から演出としての機能を取り払うなら、もうそれは紙でもいいってことだ。紙芝居とか、モノポリーとか、ゲームブックとか、ポーカーとか、将棋とか。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
ある意味あってるんだけど (スコア:4, すばらしい洞察)
「多くの最近の日本製ゲームは恐ろしく酷い」
というのには賛同。
でも理由は、最近のゲームはぎりぎりまで開発してるせいか
「デバッグもまともに出来ていないクオリティのままリリースされる。」
ってところが、以前よりも酷いと感じている。
Re: (スコア:4, すばらしい洞察)
別にクソゲー大賞に選ばれるようなやつじゃなくても、ハイドライドとかロマサガとかガンパレみたいに、明らかにデバッグ足りてないのは昔から大量にあった。そういう意味では、昨今売られてるのは、ある程度は人の手が入っているな、と感心する。そもそもが粗製系なのもあるが、外人はそんなのプレイしたことないだろう。洋ゲーだってデバッグ足りてないのは一杯あるだろうし。
おそらく、元の人が言ってるのは、デバッグがどうとかそういう次元の話じゃないでしょ。
川又千秋が『あなたは死にました』で25年前に指摘した通り、ウィザードリィやドラクエの面白
Re:ある意味あってるんだけど (スコア:0)
戦闘シーンとの切り替えがシームレスかどうかは単なる演出の違いであって、それだけで面白さの差が出るものではないと思うけどなあ。
クロノ以降、戦闘だけではなくマップの切り替えやイベントシーンとの切り替えも無くしたようなゲームがたくさん出たけど、
それで面白くなったかというとそうでもなくて、ゲーム性というのは全く別の部分にあるから関係ないとしか言えない。
Re:ある意味あってるんだけど (スコア:1)
じゃあ、演出が画一的だって言われたら満足かな?
「ゲーム性が全く別の部分にある」という仮定が正しいなら、ユーザーは20年前のハードで十分満足するって言ってるのと同じだよね。四コマ漫画とストーリー漫画なら、演出の違いと言い切ってもさして不都合はないかもしれない。だって、紙は100年たっても紙だから。でも、ゲーム機は違うでしょう?ハードの性能が上がってきているのに、演出だと言い切って低負荷な実装を選ぶなら、「新しい世代のゲーム」を何一つ生み出していないことになる。それは、トーキー世代で「演出だから」といって、敢えて役者に何も喋らせずに字幕を選ぶようなもの。一つの作品としてみるなら演出で済まされるが、全体の傾向としてそうなら、あまりにも保守的と言わざるを得ない。
四コマもサイレント映画も、紙幅や性能などの外部的な都合を和らげるための演出だったと言える。いまだに四コマやサイレントは作り続けられているが、それは別に悪くない。ただ、大半がそうであるなら、業界のどこかがおかしいってことだ。
だから、私はテニスは大いに評価する。25年前のテニスって言ったら、横向きのブロック崩しだったからね。こいつは確かに漸増的に進化してるよ。
つまるところ、演出抜きにゲーム機のゲーム性は語れない。ゲーム機から演出としての機能を取り払うなら、もうそれは紙でもいいってことだ。紙芝居とか、モノポリーとか、ゲームブックとか、ポーカーとか、将棋とか。