アカウント名:
パスワード:
最近読んだ池上彰氏の著書に
※ 注 : 記憶で書いていますので、正確ではありません。
理系の人が「100%の安全はありません」というと、文系の人は「やっぱり危ないんだ」と理解する。理系の人が安全性をアピールするために専門的な解説をするが、文系の人はそれを理解できないため、「結局、危ないのか、安全なのかどっちなんだ!」となる。文系の人が欲しいのは、安全ではなく安心なのだ。
という内容がありました。別のコメントにもありましたが、例えば広報官が専門家に「結局、危ないのか、安全なのかどっちなんですか?」と聞いてしまうケースがあったなら、予期せずとも無謬論になってしまうのでしょう。
「確率論に従うな」というのは「悲観的な意見は常に正しい」ということを忘れるなと言い換えることができるんじゃないでしょうか。
# だから、もっとも悲観的な意見に従えというわけではありません。# 確率論などを使って悲観的な意見を制圧しても、無駄だと感じたのです。
>文系の人が欲しいのは、安全ではなく安心なのだ。
その安心とやらを満足させようとして、わざと意図的に悲観論だけで対策すると、何にも出来なくなるよ?という意見が出て来るわけで。
電車に乗る時、私は時々、「走行中にこの扉が開いたら、俺死ぬな」なんて思ったりしますが、それと同じ問題ですよ。もちろん、勝手に開いたりしないように設計されてるはずですが、完全に大丈夫とは言えないでしょう。それでも、多くの乗客は安心して乗っている。理由は「実際にその事故は発生してないから」もし、実際に起きたら、どうなるでしょうね。原発の事故は、それが実際に起きてしまった不幸な例なんです。
>確率論などを使って悲観的な意見を制圧しても、無駄だと感じたのです。
制圧はしてないんじゃありませんか?単にやれる事には限度がある。それだけの話だと思います。部外者は中には関心がありませんから、外面だけで「安全にしろ」を安易に言いますが、実際は安易には実現出来ない事も多いんですよね。
もちろん、「廃止論」も似たようなものです。
#複雑なものは、どこまで行っても複雑なんだと思います。
>もちろん、勝手に開いたりしないように設計されてるはずですが、完全に大丈夫とは言えないでしょう。>それでも、多くの乗客は安心して乗っている。>理由は「実際にその事故は発生してないから」
例え話に突っ込みで悪いけど、その事故発生してるから。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
192.168.0.1は、私が使っている IPアドレスですので勝手に使わないでください --- ある通りすがり
確率論に従わなかったから失敗したんだよ (スコア:5, すばらしい洞察)
ある確率で起こりますと答えておけばよかったのに、
原発に事故は起こりません、絶対安全ですと無謬論を
展開してしまったのが間違いの元。
その結果、事故対策やクライシス対応を検討しようとすると
安全なのになぜ事故の心配をするのかと突っ込まれ、
理論が破綻するのを恐れて、検討はおろか、
考える事さえできなくなってしまった。
>原発事故は「起こる可能性が極めて低い」、つまり「原子炉は安全だ」という結論
そうではなくて、原子力発電を推進するという戦略が先にあって、そのためには「原発は安全」と
言い切る必要があったということだ。
必要だったのは安全ではなく安心 (スコア:0)
最近読んだ池上彰氏の著書に
※ 注 : 記憶で書いていますので、正確ではありません。
理系の人が「100%の安全はありません」というと、文系の人は「やっぱり危ないんだ」と理解する。
理系の人が安全性をアピールするために専門的な解説をするが、文系の人はそれを理解できないため、
「結局、危ないのか、安全なのかどっちなんだ!」となる。
文系の人が欲しいのは、安全ではなく安心なのだ。
という内容がありました。
別のコメントにもありましたが、例えば広報官が専門家に
「結局、危ないのか、安全なのかどっちなんですか?」と聞いてしまうケースがあったなら、
予期せずとも無謬論になってしまうのでしょう。
「確率論に従うな」というのは「悲観的な意見は常に正しい」ということを忘れるなと言い換えることが
できるんじゃないでしょうか。
# だから、もっとも悲観的な意見に従えというわけではありません。
# 確率論などを使って悲観的な意見を制圧しても、無駄だと感じたのです。
Re:必要だったのは安全ではなく安心 (スコア:1)
>文系の人が欲しいのは、安全ではなく安心なのだ。
その安心とやらを満足させようとして、わざと意図的に悲観論だけで対策すると、何にも出来なくなるよ?という意見が出て来るわけで。
電車に乗る時、私は時々、「走行中にこの扉が開いたら、俺死ぬな」なんて思ったりしますが、それと同じ問題ですよ。
もちろん、勝手に開いたりしないように設計されてるはずですが、完全に大丈夫とは言えないでしょう。
それでも、多くの乗客は安心して乗っている。
理由は「実際にその事故は発生してないから」
もし、実際に起きたら、どうなるでしょうね。原発の事故は、それが実際に起きてしまった不幸な例なんです。
>確率論などを使って悲観的な意見を制圧しても、無駄だと感じたのです。
制圧はしてないんじゃありませんか?
単にやれる事には限度がある。それだけの話だと思います。
部外者は中には関心がありませんから、外面だけで「安全にしろ」を安易に言いますが、実際は安易には実現出来ない事も多いんですよね。
もちろん、「廃止論」も似たようなものです。
#複雑なものは、どこまで行っても複雑なんだと思います。
通知の設定いじったから、ACだとコメントされても気づかない事が多いよ。あしからずw
Re:必要だったのは安全ではなく安心 (スコア:2, すばらしい洞察)
>もちろん、勝手に開いたりしないように設計されてるはずですが、完全に大丈夫とは言えないでしょう。
>それでも、多くの乗客は安心して乗っている。
>理由は「実際にその事故は発生してないから」
例え話に突っ込みで悪いけど、その事故発生してるから。