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同感です.恐らく人(というか製作者かな?)が理解できない 「観念」は「観念」ではないとされるのでしょう. 私的世界観をコンピュータ・データベースという魔法装置を 使って,あたかも一般的な世界観であるかのように 吹聴するものになるのかなぁ?
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
うーん (スコア:3, 興味深い)
しかし、元記事の方も読んでみたけど、これだけだと正直なんだかなあ、という印象を受けたのが正直なところ。
ツッコミどころはいろいろあるでしょうが、僕は特に「観念」は時代によって変化していくモノだろう
無理に一票 (スコア:2, 興味深い)
ある事象を「概念である」と認識するにはこちら側にそれを認識する
フレームワーク(とか、パラダイムとか呼び方はあると思いますが)が
あるわけですが、逆にそこから外れたものは概念としての認識すらまま
ならないわけです。
だからこそ、旧来から「我々は何を認識する(し得る)のか」という
認知科学やら認識論やら哲学やらが発展してきたのですが(発展ではなく
壮大な堂々巡り
kaho
Re:無理に一票 (スコア:1)
同感です.恐らく人(というか製作者かな?)が理解できない 「観念」は「観念」ではないとされるのでしょう. 私的世界観をコンピュータ・データベースという魔法装置を 使って,あたかも一般的な世界観であるかのように 吹聴するものになるのかなぁ?
Koichi