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日本では、なまり丸出しでしゃべることは恥ずかしいことと感じている人が多いように思います。(関西は例外ですが)。
「危機に瀕する言語を救う」とか言うと、侵略され攻撃されて消えようとしているような印象ですが、みずから消えようと望んでいるように思えます。自ら消えようとしているものを、なぜ、「救う」などと正義の味方ヅラしてほじくりかえそうとしているのかな、という気もします。
メディアによる文化侵略って効果的ですね
日本の方言はともかく、一般的にはマイナーな言語を捨てて英語なり何なりを使うようにしたほうが経済的発展にははるかに有利ですから。マイナー言語を使い続けるように押し付けるのは、お前らはずっと後進国でいてくれと言うのに近い。言語に限らず、都会の人が見出す田舎の美点というのは田舎の人が実際に望む現実を無視した幻想になりやすい。今回のGoogleのは言語資料の収集とかは素晴らしいと思うけれど、危機に瀕する言語を使用するコミュニティーのサポートってのは内容によっては微妙かもしれない。
一般的にはマイナーな言語を捨てて英語なり何なりを使うようにしたほうが経済的発展にははるかに有利ですから。
なんで有利なんだろうか。言語は非関税障壁になっていて、輸出の障害にはなっているが、同時に輸入の障害として保護にもなっていないだろうか。また、人材とか文化とか流出入の障壁とか、愛国心やナショナリズムへの影響とか。マイナスになっていることも多いがプラスになっていることも多くないだろうか。国の場合、国家権力が流動障壁となって、政策などでプラスを維持できるかもしれない。しかし、長期に渡ってみたとき、はたして住民の望みへと向かっていくだろうか。
というか、個人の利益とコミュニティーの向かうべき方向が一致しないからなんだけど。個人の多くはより都会に住む方が利益が大きいので一極集中へ向い、そのためにコミュニティーは消滅する方向に向かうけれど、しかしコミュニティーの消滅は望まない矛盾がある。
まあ、コミュニティーがなくなれば、だれもそれを憂う人はいなくなって幸せなのかもしれないが。
>> なんで有利なんだろうか。>> 言語は非関税障壁になっていて、輸出の障害にはなっているが、同時に輸入の障害として保護にもなっていないだろうか。
現在のグローバル経済の中で「輸入と輸出のどちらにも障壁(保護)がある」という状況のどのあたりが経済的発展に有利だと思うのですか?
その国に他国が努力をしてでも欲しいような何か(資源,技術など)が無い限りは世界から無視されるだけだと思いますし,もしそういう何かがあっても,さらに他国に同じもの(資源,技術など)があれば,取引しやすいそっちに流れてしまいますから,障壁があることは経済発展には明らかに不利だと思うのですが.
自明でしょ。
輸出したい人はがんばって英語を覚えつつ、非関税障壁はそのままが望ましい。がんばって輸入しても、海の向こうが潤うだけ。日本にとって何の特にもならん。
多様性は経済発展の礎であって、それが収斂しちまうってことは発展じゃなくて衰退だぞ。言語は文化や思考、ありとあらゆるもに波及する基礎中の基礎。ひょっとして物事は統一されたほうが合理的かつ無駄がないとでも?ちょっと前にソビエトってとこがそれやってどうなったかもう忘れたのか。
グローバル化が経済発展だと勘違いしている人なのさ。
いつもはガラパゴスガラパゴスうるさいくせにこのダブスタっぷり
経済発展がそのまま幸せになるなら、そうかもしれないね。私としては、「母国語を捨てるか」「バイリンガルを目指すかの2択なら」、バイリンガルを目指す方を選ぶけど。
>経済発展がそのまま幸せになるなら、そうかもしれないね。
経済発展した豊かな国で、飢えや病気、衛生・治安の悪さから無縁に平和に暮らしている人が貧しい国で苦しんでる人に「経済発展だけが幸せじゃないよ」とか「経済発展が幸せとは限らないよ」と言って、「経済発展よりも大事なものを保持している貧国の人々」みたいなロマンティックな理想を求めて「支援」していくというのは、それが本当に本人達の望みなのか、批判的に考えたほうが良いと思う。
言葉はその場所に生きるにあたって最も効率的な「世界と個の関係」の解であり、そしてそれ故にその言葉の中に生きる人には先人達が生きてきた世界観がある程度見える訳です。言葉が違えば、生きている世界の前提が違ってくる。そしてその「違い」というものが原初の「価値」です。
「コミュニティのサポートってのは〜微妙かも知れない」ってのいうのはほんとうにそうですよね。言葉の「美観地区」みたいになったら目もあてられない。他の言語によって解釈され規定され、そしてその他の言語からしかその言葉を捉えられなくなった時、もうその言葉は死んでいます。
日本語そのもののリスト入りも、そう遠くなさそうですな。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
自ら消そうとしている (スコア:0)
日本では、なまり丸出しでしゃべることは恥ずかしいことと感じている人が多いように思います。
(関西は例外ですが)。
「危機に瀕する言語を救う」とか言うと、侵略され攻撃されて消えようとしているような印象ですが、
みずから消えようと望んでいるように思えます。自ら消えようとしているものを、なぜ、「救う」などと
正義の味方ヅラしてほじくりかえそうとしているのかな、という気もします。
×「感じている」 ○「思わせられている」 (スコア:1)
メディアによる文化侵略って効果的ですね
Re:×「感じている」 ○「思わせられている」 (スコア:1)
日本の方言はともかく、一般的にはマイナーな言語を捨てて英語なり何なりを使うように
したほうが経済的発展にははるかに有利ですから。
マイナー言語を使い続けるように押し付けるのは、お前らはずっと後進国でいてくれと言うのに近い。
言語に限らず、都会の人が見出す田舎の美点というのは
田舎の人が実際に望む現実を無視した幻想になりやすい。
今回のGoogleのは言語資料の収集とかは素晴らしいと思うけれど、
危機に瀕する言語を使用するコミュニティーのサポートってのは内容によっては微妙かもしれない。
Re:×「感じている」 ○「思わせられている」 (スコア:2, すばらしい洞察)
一般的にはマイナーな言語を捨てて英語なり何なりを使うようにしたほうが経済的発展にははるかに有利ですから。
なんで有利なんだろうか。
言語は非関税障壁になっていて、輸出の障害にはなっているが、同時に輸入の障害として保護にもなっていないだろうか。
また、人材とか文化とか流出入の障壁とか、愛国心やナショナリズムへの影響とか。
マイナスになっていることも多いがプラスになっていることも多くないだろうか。
国の場合、国家権力が流動障壁となって、政策などでプラスを維持できるかもしれない。
しかし、長期に渡ってみたとき、はたして住民の望みへと向かっていくだろうか。
というか、個人の利益とコミュニティーの向かうべき方向が一致しないからなんだけど。
個人の多くはより都会に住む方が利益が大きいので一極集中へ向い、そのためにコミュニティーは消滅する方向に向かうけれど、しかしコミュニティーの消滅は望まない矛盾がある。
まあ、コミュニティーがなくなれば、だれもそれを憂う人はいなくなって幸せなのかもしれないが。
Re: (スコア:0)
>> なんで有利なんだろうか。
>> 言語は非関税障壁になっていて、輸出の障害にはなっているが、同時に輸入の障害として保護にもなっていないだろうか。
現在のグローバル経済の中で「輸入と輸出のどちらにも障壁(保護)がある」という状況のどのあたりが経済的発展に有利だと思うのですか?
その国に他国が努力をしてでも欲しいような何か(資源,技術など)が無い限りは世界から無視されるだけだと思いますし,もしそういう何かがあっても,さらに他国に同じもの(資源,技術など)があれば,取引しやすいそっちに流れてしまいますから,障壁があることは経済発展には明らかに不利だと思うのですが.
Re: (スコア:0)
自明でしょ。
輸出したい人はがんばって英語を覚えつつ、非関税障壁はそのままが望ましい。
がんばって輸入しても、海の向こうが潤うだけ。日本にとって何の特にもならん。
Re: (スコア:0)
多様性は経済発展の礎であって、それが収斂しちまうってことは発展じゃなくて衰退だぞ。
言語は文化や思考、ありとあらゆるもに波及する基礎中の基礎。
ひょっとして物事は統一されたほうが合理的かつ無駄がないとでも?
ちょっと前にソビエトってとこがそれやってどうなったかもう忘れたのか。
Re: (スコア:0)
グローバル化が経済発展だと勘違いしている人なのさ。
Re: (スコア:0)
いつもはガラパゴスガラパゴスうるさいくせに
このダブスタっぷり
Re: (スコア:0)
経済発展がそのまま幸せになるなら、そうかもしれないね。
私としては、「母国語を捨てるか」「バイリンガルを目指すかの2択なら」、バイリンガルを目指す方を選ぶけど。
それを捨てるなんてとんでもない、ですか (スコア:0)
>経済発展がそのまま幸せになるなら、そうかもしれないね。
経済発展した豊かな国で、飢えや病気、衛生・治安の悪さから無縁に平和に暮らしている人が
貧しい国で苦しんでる人に「経済発展だけが幸せじゃないよ」とか「経済発展が幸せとは限らないよ」と言って、
「経済発展よりも大事なものを保持している貧国の人々」みたいなロマンティックな理想を求めて
「支援」していくというのは、それが本当に本人達の望みなのか、批判的に考えたほうが良いと思う。
Re: (スコア:0)
言葉はその場所に生きるにあたって最も効率的な「世界と個の関係」の解であり、
そしてそれ故にその言葉の中に生きる人には先人達が生きてきた世界観がある程度見える訳です。
言葉が違えば、生きている世界の前提が違ってくる。
そしてその「違い」というものが原初の「価値」です。
「コミュニティのサポートってのは〜微妙かも知れない」ってのいうのはほんとうにそうですよね。
言葉の「美観地区」みたいになったら目もあてられない。
他の言語によって解釈され規定され、そしてその他の言語からしかその言葉を捉えられなくなった時、もうその言葉は死んでいます。
Re: (スコア:0)
日本語そのもののリスト入りも、そう遠くなさそうですな。