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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
物をちゃんと考える練習 (スコア:4, 興味深い)
物を考えるというのは、文章の本来の意味の方、概念の上でやるべきで、その概念を翻訳したのが言葉。 だから考えがしっくりくる文章にならない(=良い翻訳が思いつかない)ということも起こる。 逆に文章を読むときも、概念へと翻訳する必要がある。
漠然と1つの言語を習得しただけの段階だと、そういう翻訳作業がちゃんとされてなくて、文章そのもののまま切ったり貼ったりして考えてるつもりになってしまう。
変な例えだけど、プログラミングだと、適当にコピペしてちょっとした修正を加えてるような感じ。 「ホームページで○○したかったら、onmouseoverのところにhogehogeと書いたらとにかく出来るようです」みたいな頭の痛くなる解説を駆使してインタラクティブなHTMLをおっかなびっくり作ってるみたいな。あちこちからのコピペで意図するようなページはそれなりに作れるんだけど、「変数とは何か?」とかは把握してないので、複数の機能を盛り込もうと、複数の「○○のやり方」をコピペしてきて、変数名がたまたま被ってたりすると正常に動かなくなって、自力では解決出来ない、みたいな。
それが、文法をちゃんと知って、計算機のモデルというか内部構造というかが把握できたら一気に出来ることが増える。
日本語とかでも、普通に使ってるだけだと、なかなか、概念として捉えて考える、という訓練が出来ない。 本人がその気になってやれば出来るんだろうけど、それが難しい。 「とにかく英語が出来るようになれ」とすると、その最短距離に、文章を概念へ置き換えて考える作業が含まれるから、割と自然に鍛えられ、物をちゃんと考えるための素地も出来る。
と言うようなのが、義務教育が外国語教育を含んでる意図だと勝手に思ってる。