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表題のように思うことは何度もある。
力ある個人の“自由”は(人が人を理解し得ないがために)無力な個人にとって害である事が多いと思うから。だから秩序という首輪足枷が必要なのじゃないかと。
面白いのは、自分で望んだ首輪足枷は自由を侵害してないってところかもね。
よくリバタリアニズムとかを語る上で誤解されるのもそこで。実は自分で望んだものなら、自由を侵害することにはならなかったりするという。ほとんど詭弁なんだけど、この意味で、リバタリアニズムは政府の存在も法律の存在も否定しないんだよね。でも、最大限の自由は欲しいってねw
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
自由と書いて無秩序と読む。混沌ではない(などと語っており)。 (スコア:0)
表題のように思うことは何度もある。
力ある個人の“自由”は(人が人を理解し得ないがために)無力な個人にとって害である事が多いと思うから。
だから秩序という首輪足枷が必要なのじゃないかと。
Re:自由と書いて無秩序と読む。混沌ではない(などと語っており)。 (スコア:1)
面白いのは、自分で望んだ首輪足枷は自由を侵害してないってところかもね。
よくリバタリアニズムとかを語る上で誤解されるのもそこで。実は自分で望んだものなら、自由を侵害することにはならなかったりするという。
ほとんど詭弁なんだけど、この意味で、リバタリアニズムは政府の存在も法律の存在も否定しないんだよね。でも、最大限の自由は欲しいってねw