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そもそも、iPod課金問題が最初に議論された2005年の文化審議会著作権分科会法制問題小委員会。ここでは抜本的な制度改革を見据えた検討の2006年以降に行うという結論に落ち着いていました。経産省からも縮小の方向で行くよう見解が出ていたし、その流れを受けて縮小路線で検討するという流れだったはずです。ところが、翌年以降も毎度毎度CPRAをはじめとした権利者団体がひたすら補償金対象媒体拡大を要求し、筋が通らないとしてひたすら否定されてはまた翌年になれば拡大要求を再開する流れが2008年末まで続きます。早い話が、毎年毎年ごねまくることで補償金制度の縮小を防ぐという攻撃的防御を続けてきたわけです。3年もの間、よくこれで持ちこたえたものだと関心すらします。
結局、2008年を最後に議論の場自体が打ち切られ、2009年からは著作権分科会基本問題小委員会という名前で新たに会合を設けて、メンバーからメーカー側の代表であるJEITAを外すという暴挙に出ます。その後の2009年末にSARVHが東芝を訴えて破局は決定的になったわけですが、結果は皆さんご存じの通り。2005年に示された既定路線に2012年まで6年がかりでようやく到達したというのが本来の流れだと思います。いや、長かったですね。
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
補償金制度廃止はそもそも既定路線 (スコア:5, 興味深い)
そもそも、iPod課金問題が最初に議論された2005年の文化審議会著作権分科会法制問題小委員会。ここでは抜本的な制度改革を見据えた検討の2006年以降に行うという結論に落ち着いていました。経産省からも縮小の方向で行くよう見解が出ていたし、その流れを受けて縮小路線で検討するという流れだったはずです。
ところが、翌年以降も毎度毎度CPRAをはじめとした権利者団体がひたすら補償金対象媒体拡大を要求し、筋が通らないとしてひたすら否定されてはまた翌年になれば拡大要求を再開する流れが2008年末まで続きます。
早い話が、毎年毎年ごねまくることで補償金制度の縮小を防ぐという攻撃的防御を続けてきたわけです。3年もの間、よくこれで持ちこたえたものだと関心すらします。
結局、2008年を最後に議論の場自体が打ち切られ、2009年からは著作権分科会基本問題小委員会という名前で新たに会合を設けて、メンバーからメーカー側の代表であるJEITAを外すという暴挙に出ます。その後の2009年末にSARVHが東芝を訴えて破局は決定的になったわけですが、結果は皆さんご存じの通り。
2005年に示された既定路線に2012年まで6年がかりでようやく到達したというのが本来の流れだと思います。いや、長かったですね。
しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される