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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
器の複写でしかない (スコア:3, すばらしい洞察)
とおもってます。
〜後悔先に立たず・後悔役に立たず・後悔後を絶たず〜
そうだよね (スコア:0)
部分的にでもコピーできると思っている連中が多いのは正直言って不思議ですね。
たとえば映画のエイリアン4なんてほんと変な話で、クローン再生されたリプリーが
再生される前の記憶を持ってるなんてことは原理的に
Re:そうだよね (スコア:1)
記憶はともかく、能力については嘘だ。もちろん、後天的に獲得する能力もたくさんある。でも、そうでないものもある。つまり、「完全に後天的」
能力は発揮しなけりゃ意味がない (スコア:1)
能力は発揮してなんぼのものです。
クローニングによって遺伝子レベルでコピー出来るのは資質どまりであり、資質を能力として開花させられるかどうかは生まれた後の志向・環境が決定します。
WRを保持する短距離ランナーのクローンが生まれても100mを10s以下で走ることが保証されているわけでなく、絶対音感のような先天的資質であってもそれが意識されることが無ければ能力
〜後悔先に立たず・後悔役に立たず・後悔後を絶たず〜
Re:能力は発揮しなけりゃ意味がない (スコア:1)
> しかるべく調整されたソフトが無ければ能力は発現しません。
> だからあくまで能力は後天的なものだと考えています。
現実問題として、その比喩に従って言えば、ハードもソフトも両方必要です。努力次第でうんぬん、と言ったところで、努力することができる、という資質に影響されることを知るべきでしょう(その資質がどのくらい遺伝するか解りませんが)。
その現
Re:能力は発揮しなけりゃ意味がない (スコア:1)
本質を見逃しているのはあなたの方だと思う。
資質が認識される、ないし十分な調整を受けることがなければ、
能力が顕在化することはないと言う現実。
これは多くの人が目をつぶっている決定的な不平等です。
本人が努力することができるというのも資質ではなく、
生まれた後の環境がそれを許容・誘導するからに過ぎません。
→だから
〜後悔先に立たず・後悔役に立たず・後悔後を絶たず〜
Re:能力は発揮しなけりゃ意味がない (スコア:1)
> 生まれた後の環境がそれを許容・誘導するからに過ぎません。
資質も含めて環境と呼んでいるのなら正しいです。しかしそれは、私の言っていることと変わりません。
> 能力が先天的なものだというのは、人の生まれ落ちた環境は等しく
> 持って生まれた資質が予定調和的に発揮されるという
> 機会平等の幻想を知らず知らず前提にしていませんか。
していません。機会も資質も本来不平等です。それが現実です。その程度のことは解っているものとして議論してもらって結構です。
Re:能力は発揮しなけりゃ意味がない (スコア:1)
環境が資質を含んで使われることは無いと思うのですが?
なんでしたら外部要因と内部要因と言い換えても良いです。
内部要因(資質)が存在しても外部要因(環境)がそろわなければ、結果(能力)は発現しない。
従って能力は後天的である。というのが私の論旨です。
能力が先天的である。という結論にいたる論旨をお聞かせください。
〜後悔先に立たず・後悔役に立たず・後悔後を絶たず〜
Re:能力は発揮しなけりゃ意味がない (スコア:1)
> ば、結果(能力)は発現しない。従って能力は後天的である。
裏を返すと、外部要因(環境)がそろっていても、内部要因(資質)が存在していなければ、結果(能力)は発現しない(場合もある)。つまり、能力は完全に後天的ではない、ですね。
イデオロギーに歪められない見方をすれば、上のbochi-bochiさんの意見も、私の意見もともに正しいと言えます。というか、私の意見は、上のbochi-bochiさんの意見を含んでいますね。何ら問題はないように思います。
> 能力が先天的である。という結論にいたる論旨をお聞かせくだ
> さい。
そんなこと、誰か言いましたか?先天的なものを必要とする能力もあるし、後天的なものが強く影響して先天的なものを必要としない能力もある。これが私の主張です。
Re:能力は発揮しなけりゃ意味がない (スコア:1)
能力が完全に後天的であるという論旨を自分の意見が
含有しているという主張は見苦しいと思います。
ま、ラエリアンの発表はやはりガセくさいというニュースも
流れはじめたことですし、このへんにしておきましょう。
〜後悔先に立たず・後悔役に立たず・後悔後を絶たず〜
Re:能力は発揮しなけりゃ意味がない (スコア:1)
> 能力が完全に後天的であるという論旨を自分の意見が
> 含有しているという主張は見苦しいと思います。
そうではありません。私の言う「能力は完全に後天的ではない」は、bochi-bochiさんの言う「内部要因(資質)が存在しても外部要因(環境)がそろわなければ、結果(能力)は発現しない」(A)を含んでいる、と言っているのです。
ただし、bochi-bochiさんは、Aから、間違った結論「(すべての)能力は後天的である」を導き出しています。Aから直接導き出される結論は、正しくは、「能力は後天的なものの影響も受ける」です。
Aの文言をイデオロギーを排して読めば、先天的な資質と能力の関係と、後天的な環境と能力の関係は同じです。もし、環境と能力に着目して「能力は後天的(なものの影響も受ける)」と言えるのなら、同様に資質と能力に着目して「能力は先天的(なものの影響も受ける)」とも言えるはずです。当然、資質と能力に着目して「能力は完全に後天的ではない」とも言えるし、環境と能力に着目して「能力は完全に先天的でない」とも言えます。
しかし、「能力は完全に後天的」とか「能力は完全に先天的」と言う結論を導き出すのは間違いです。
平等を目指すというイデオロギーが悪いとは言いません。しかし、そのイデオロギーによって現実を歪めて捉えるbochi-bochiさんの姿勢は、間違っています。