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福島の原発は、千年に一度の大地震が稼働期間中に来たという要素もある。つまり、運が良ければ問題は起きなかったかもしれない。でも、こっちのほうは問題が起きなかったほうが幸運だったというべき事案だよね。なので、私としては原発事故より、JR西の福知山線脱線事故のほうが近い気がする。事故が起きるかもしれないと、うすうすでも感じていたのに対策をとらなかった、より悪質な犯罪だと思うな。
福島の原発は、千年に一度の大地震が稼働期間中に来たという要素もある。つまり、運が良ければ問題は起きなかったかもしれない。
どっちも「運が良ければ問題は起きなかったかもしれない」事象でしょう。そういう言い方をするならば、笹子トンネルの天井板のボルトだって「たまたま運用期間中に抜けたから問題になった」だけのことです。福一が運用前や運用終了後で廃炉も終了した頃に津波に襲われたら問題なかったのに、と言うのであれば、トンネルの運用が終了して閉鎖した後だったら天井板が落下しても問題がなかったのに、とも言える。どちらも「想定されている事象に対する備えを怠った」という点では全く同じでしょう。ガミラスの来襲に備えるとか地球が真っ二つに割れることに備えるとか言うような「実際問題として備えることが出来ない」事象とは違うのですから、千年に一度の事象だから備えなくていい(備えがなくても仕方がない)という理屈は通らないと思いますよ。
東京電力のほうは、「千年に一度だから、この発電所の稼働中には起こらないだろう」と考えて、まわりもそれを許してしまう確率だけど、福知山脱線事故なり、今回のトンネル事故なりは、確実に数十年という期間の間に起こりうる事故でしょう、という意味。 トンネル事故のほうが、普通の人でも危険性を予見できるだろう、というニュアンスなんだけどな。 福島の原発事故が起きるまで、あの地域で、あれほどの規模の津波が襲ってくるなんて、一般的な認識は無く、監督省庁も地元の自治体も、原発反対派も、ごく一部の人を除いて認識できないリスクではあったと思うけど。貞観地震の規模や被害については、歴史学者が指摘していたし、原発が冷却できなくなることのリスクは、確か共産党の国会議員が国会質問もしていたけど、それらが電力会社の経営に影響を与えるほど一般には知られていなかった。 いいかえると、想像力が欠如していたため、事故発生時の被害規模や深刻さを想像できず、東電をはじめみんなが自分たちの関係している間は、リスクはないと考えた。(これが「運が良ければ」の意味)。
それに対して、建築物の劣化による崩落などのリスクは、普通の人でも認識できるリスクでしょう。 原発の事故は被害が深刻で影響も長期化するので大問題だけど、インフラの維持管理が悪くて事故が起きても深刻な被害が出る。 どうみても明白なリスクに対策をとらないほうが、より悪質だし、性質的には福知山脱線事故のほうが近いのではという書き込みだったんだけど(あっちは脱線のリスクがあるのに対策をとらなかった)。 東電の対策を正当化しようというふうに読めたとしたら、言葉が足りなかった。
、「千年に一度だから、この発電所の稼働中には起こらないだろう」「千年に一度」自体が東電が自己正当化のために矮小化した嘘ですが。
同程度の津波は100年に一度の周期で発生してますので。(明治三陸大津波)
>>「実際問題として備えることが出来ない」事象とは違うのですから、千年に一度の事象だから備えなくていい(備えがなくても仕方がない)という理屈は通らない「実際問題として(費用対効果の面から)備えることが出来ない(適当ではない)」事象も世の中にはありますが。今回の件については想定できる被害と費用を的確に判断できなかったと言う点で問題があると思いますが、貴方が言う千年に一度の事象に(効果に対して多額になりがちな)対策費をかけるべきというのは疑問です。千年に一度は防げても万年に一度が起こるかもしれないとなれば、どこまで対策するかは吟味する必要があります。
通らなくはないです。経済的にリスクとコストを天秤下だけのことですよ。>確率が低いが起きると被害があることに、どれだけのコストがかかり、今の会社の予算でどこまで支払えるか。至極まっとうな論法です。営利と費用、起きうる損失、損失の極みが人命。この三つ巴のバランスは、ものすごく難しいもんです。論じる式は正しくとも、そこに好きに設定できる変数があれば、人は低き(欲)に流れますよ。==)(そして、それが人の欲に絡み、心理的にも抗いにくい要素で、裁量者にすれば真っ先に削減される要素であればなおさら)もちろん、心理的には納得しがたくとも、そんなもんです。==)(ハヤブサの「そんなことも~」は、低い確率に対し、低いコスト(ダイオード一個)ですんだという幸運だってこと)
ハヤブサの「そんなことも~」
は、真田技師長の「たぶんこんなこともあろうと思って、~」が元ねた。
探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力 [nicovideo.jp]、<完結編>探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力 [nicovideo.jp]
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
接着剤の問題に矮小化するのはどうか (スコア:5, 参考になる)
・工事検査で耐荷重試験はしたのか
-テストピースで引き抜き試験をするとかやったんだろうか。完成検査をどの程度やったのかは不明
・打音検査をしていなかった [nikkei.com]
・天井版は自動車の排ガスがクリーンになったので撤去する計画であったが幹線道路を長期間通行止めにする事に躊躇して取りやめた
-報道による。出典は省略
・旧道路公団は民営化する2005年までに中日本管内の笹子と
JR西の脱線事故のほうが近いような気がする (スコア:2)
福島の原発は、千年に一度の大地震が稼働期間中に来たという要素もある。つまり、運が良ければ問題は起きなかったかもしれない。
でも、こっちのほうは問題が起きなかったほうが幸運だったというべき事案だよね。
なので、私としては原発事故より、JR西の福知山線脱線事故のほうが近い気がする。
事故が起きるかもしれないと、うすうすでも感じていたのに対策をとらなかった、より悪質な犯罪だと思うな。
Re:JR西の脱線事故のほうが近いような気がする (スコア:0)
どっちも「運が良ければ問題は起きなかったかもしれない」事象でしょう。
そういう言い方をするならば、笹子トンネルの天井板のボルトだって「たまたま運用期間中に抜けたから問題になった」だけのことです。
福一が運用前や運用終了後で廃炉も終了した頃に津波に襲われたら問題なかったのに、と言うのであれば、トンネルの運用が終了して閉鎖した後だったら天井板が落下しても問題がなかったのに、とも言える。
どちらも「想定されている事象に対する備えを怠った」という点では全く同じでしょう。
ガミラスの来襲に備えるとか地球が真っ二つに割れることに備えるとか言うような「実際問題として備えることが出来ない」事象とは違うのですから、千年に一度の事象だから備えなくていい(備えがなくても仕方がない)という理屈は通らないと思いますよ。
東電を擁護する意図はないのだが (スコア:3, 参考になる)
東京電力のほうは、「千年に一度だから、この発電所の稼働中には起こらないだろう」と考えて、まわりもそれを許してしまう確率だけど、福知山脱線事故なり、今回のトンネル事故なりは、確実に数十年という期間の間に起こりうる事故でしょう、という意味。
トンネル事故のほうが、普通の人でも危険性を予見できるだろう、というニュアンスなんだけどな。
福島の原発事故が起きるまで、あの地域で、あれほどの規模の津波が襲ってくるなんて、一般的な認識は無く、監督省庁も地元の自治体も、原発反対派も、ごく一部の人を除いて認識できないリスクではあったと思うけど。貞観地震の規模や被害については、歴史学者が指摘していたし、原発が冷却できなくなることのリスクは、確か共産党の国会議員が国会質問もしていたけど、それらが電力会社の経営に影響を与えるほど一般には知られていなかった。
いいかえると、想像力が欠如していたため、事故発生時の被害規模や深刻さを想像できず、東電をはじめみんなが自分たちの関係している間は、リスクはないと考えた。(これが「運が良ければ」の意味)。
それに対して、建築物の劣化による崩落などのリスクは、普通の人でも認識できるリスクでしょう。
原発の事故は被害が深刻で影響も長期化するので大問題だけど、インフラの維持管理が悪くて事故が起きても深刻な被害が出る。
どうみても明白なリスクに対策をとらないほうが、より悪質だし、性質的には福知山脱線事故のほうが近いのではという書き込みだったんだけど(あっちは脱線のリスクがあるのに対策をとらなかった)。
東電の対策を正当化しようというふうに読めたとしたら、言葉が足りなかった。
Re: (スコア:0)
コンクリート建築物は半永久的な耐久性を持っているというのが一般人の認識です。
Re: (スコア:0)
、「千年に一度だから、この発電所の稼働中には起こらないだろう」
「千年に一度」自体が東電が自己正当化のために矮小化した嘘ですが。
同程度の津波は100年に一度の周期で発生してますので。(明治三陸大津波)
Re:JR西の脱線事故のほうが近いような気がする (スコア:1)
>>「実際問題として備えることが出来ない」事象とは違うのですから、千年に一度の事象だから備えなくていい(備えがなくても仕方がない)という理屈は通らない
「実際問題として(費用対効果の面から)備えることが出来ない(適当ではない)」事象も世の中にはありますが。
今回の件については想定できる被害と費用を的確に判断できなかったと言う点で問題があると思いますが、貴方が言う千年に一度の事象に(効果に対して多額になりがちな)対策費をかけるべきというのは疑問です。
千年に一度は防げても万年に一度が起こるかもしれないとなれば、どこまで対策するかは吟味する必要があります。
Re: (スコア:0)
通らなくはないです。経済的にリスクとコストを天秤下だけのことですよ。
>確率が低いが起きると被害があることに、どれだけのコストがかかり、今の会社の予算でどこまで支払えるか。
至極まっとうな論法です。営利と費用、起きうる損失、損失の極みが人命。この三つ巴のバランスは、ものすごく難しいもんです。
論じる式は正しくとも、そこに好きに設定できる変数があれば、人は低き(欲)に流れますよ。
==)(そして、それが人の欲に絡み、心理的にも抗いにくい要素で、裁量者にすれば真っ先に削減される要素であればなおさら)
もちろん、心理的には納得しがたくとも、そんなもんです。
==)(ハヤブサの「そんなことも~」は、低い確率に対し、低いコスト(ダイオード一個)ですんだという幸運だってこと)
はやぶさ(オフトピ -1) (スコア:0)
ハヤブサの「そんなことも~」
は、真田技師長の「たぶんこんなこともあろうと思って、~」が元ねた。
探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力 [nicovideo.jp]、
<完結編>探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力 [nicovideo.jp]