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物事のやり方は一つではない -- Perlな人
とりあえずコメソト (スコア:1)
クールになってきたのでコメントを試みたいと思います。
# 自分自身の思考の整理ということも。
# 浅学は言い訳ながら予めお詫び。
> 単純に法定通貨以外の価値交換概念自体はそれほど悪くな
> いアイディアだと思っている
これは実生活の中、すでにかなりの場面こういう価値交換はあるわけで。
ただ、それにわざわざ「通貨」という名前をもたせて何かを介在させる
必要があるのかどうかにはかなり疑問を持つようになってます。
> 正直言って地域通貨も概念的には大してそれらと違いはない
これは半分はあたっていると思います。
ボクはどう違うのか、という事をすっきりと説明出きている方にはまだ
出会えてません。ボクもできないでしょう。
ただ、一企業やら業者だけの恣意的運用と、それ以外の人も巻き込んだ
公正な運用の違いだという方も居られました。もっともな点もありますが
あくどい商売をしているところは、それを知るに至った消費者によって
衰退の憂き目にあうようになるはずですし、そうならない状況の場所で
あったなら、なおのこと地域通貨に公正さなど求められないのではないか
と思いますね。大衆にそれほどの公正さを期待するのはおそらく幻想です。
それに少なくとも法定通貨のほうが肌になじむという「感覚」は多くの
人の中にあるのも事実。しかし、その感覚が感覚以上にはなっていない
ということが最も重要な事実かもしれません。
つまり法定通貨の持つ特徴を理解していないまま、既存の経済機構に
ついて好印象を抱いていない人間がなんとなく地域通貨擁護に回って
いるだけであったり。逆に、既存の経済機構の中にある幾つかの陥穽
みたいなところに気がついてない人が頭ごなしにそれを批判している
かのような感じがしています。
# 妙に左がかった人に地域通貨の過剰なまでの援護者が多い気がする。
> 要は、地域通貨はそれを賃金の支払だとか、いろいろな支払にも使え
> ますよ、ということくらいだ
使っている例もありますよ、ということですね。
ヴェルグルの労働証明書 [wide.ad.jp](リンクは一例)
の例が最近よく出されてますが日本だとどうなるのか?サービスの対価とし
て地域通貨を受け入れている企業もわずかばかりありますが、曰く
「ボリュームとして大したこと無いので」
だそうです。
それと、ヴェルグルという町の実際の経緯がどうだったかというより、
税収の増加とか失業の解消とか、そういう結果ばかりがクローズアップ
されているのもおかしなことで、地域通貨を導入しようとしている人たち
の多くがこの安直な結果に飛びつくだけという気も。
実際、地域でサービスなり物品の需要と供給がちゃんとバランスしていない
と、かけ声ばかりで終わるのは目に見えているのに、地域通貨を導入すれば
それだけで地域が良くなると誤解している人たちも多いように思います。
で、これまで地域でのそういうバランスが取れているところは、ハナから
地域通貨に頼る必要はおそらくないでしょう。出ていくものと入るものが
適切な均衡で推移しているなら、当初から必要性を感じる人はだれも
居ないでしょう。過去から広く流通しているものは伊達ではない。
誤った地域の運営に対して厳しい結果が出ているのを、法定通貨の
せいにだけしては虫が良すぎます。
行政が地域通貨に言及するのは、
・法定通貨での支払増加を減らしたい
・過疎などの問題を解消したい
という2点が主な動機に思えますが、これを解決するのが地域通貨か?
と言われると、それを道具の一つとして使うという割り切りがきちんと
できていないままには解消できる可能性はおそらく無いでしょう。
うまく行っているところは、地域でのニーズ把握し、それに応えるために
はどういう形でサービスを提供すればいいかという調査研究に時間を
費やしていると思います。多くの人が思っているような、浮ついた
テーマでは動いてないでしょう。
あと逆説的な言い方ですが多数の公債を発行したことで得られるお金で
支払を受けるのと、地域通貨で支払いを受けるのと、どっちが幸せか
ということも。法定通貨をうまく運用できていない人に、地域通貨が
うまく立ち上げられるかというのははなはだ疑問。
地方債の代わりに地域通貨を発行して、それでなんとかなるのなら、
地方に落とされた財はそもそも地域外に流出しえないでしょう。
補助金をもらって施設を建てて、インフラを整備したところでそれを
ちゃんと生かしている自治体などがあまりに少ない状況で、単なる
流行に乗ったところで本質はな~んにも変わらないのですよね。
> そうなると、地域通貨は別に法定通貨と対立する概念と考える必要はない
これはその通りで、むしろ対立させるべきものではないですね。
日頃の生活の中で、地域近隣の関係性で成立していた部分があまりに
疎外されてしまったという反省は好ましいとは思います。それを
「地域通貨」という概念を導入して改善しようというのはアプローチ
として確かに悪くないでしょう。
しかし法定通貨に関する誤った運用がその疎外の根本にあるのだとしたら
地域通貨はその運用の間違いを明確にするための道具として、一時的に
脚光を浴びたとしてもそれが現行の法定通貨を抑えて主流となるか
どうかは疑問です。いや、なっちゃイケナイのでは。
法定通貨という広域の交換基盤と、地域通貨のような限定された領域
での交換基盤はそもそも、相補的に使われていたはずだし。
地域実態に応じて適切なバランスの元にどちらも存在するものでしょう。
で、結局こんな事を考えていると、特に日本においては普通教育で
「お金」について成り立ちを説明することはほとんどなかったというのが
今のところ最大の課題なんでしょうね。
社会見学でもものの作られる製造過程を工場見学で見せることはあっても、
原料や施設維持や労働力確保のためにコストがそれに伴ってどういう
形でかかっていき、最終的に売価がいくらに設定されるのかという
もう一つのものづくりの現場について知る機会はほとんどありません。
# 地域通貨は、そういった学習の格好の教材であるとも言えるかな。
# 先日久米某がキャスターをしているテレビ番組で紹介されたような
# 「ごっこ遊び」の道具として、学校の中だけとかそういう場面で使う
# 程度の認識の方がむしろ適切かも。
お金は繰り返される価値交換のなかで集約分配されつづけることで
命を与えられ生きていいるものだし、決していたずらにさげすまれる
対象ではないと思います。日本ではどうも「ものを作る」というプロセス
だけが重視され、労働に過剰な価値づけをしすぎています。
人間と一緒に本来お金も「働く」ものだと思うのですが、人間の活動
に対する価値づけを適切にしえない我々自身に問題があるんですよね。
それを知っていればだれも目先の利益だけでバブルに踊ったりその崩壊
でローンに泣くことは無かったのではないでしょうか。
これはお金を職業として扱う方々にも、我々のような貧しい一般市民
にも実は言えることなのでは。
地域通貨というのは、経済(通貨経済だけではない)についてあまり
に無知である自分たちを客観的に改めて俯瞰・分析するための格好の
教材ではあるし、それを知った後はその過ちに再度陥らないため
の生きた道具になることとは思います。が、現在のブームのままでは
自分たちの無知さを顧みることのないお定まりの単なる反動運動に
懐古趣味的左派の声高さが重なった徒花にしかならんでしょう。
いつか遊びに飽きたらまた同じ陥穽にはまりこんでしまう気が。
以上、自分でもげんなりするぐらい長文になってしまいすみません。
一つの考えとして。提示させていただきました。
突っ込み、示唆いただければ嬉しいですが、それより日記の続きを
書いて貰うともっと嬉しいな、ということで締めくくりです。
-- (ま)