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零戦の設計主任技師・堀越二郎展、開催」記事へのコメント

  • 航空機の発展は軍事利用との関連性が非常に深い。
    第二次大戦当時、熾烈な競争の中で日本の航空機開発は世界のトップレベルに並ぶところにまでまで達していた。
    しかし、戦後アメリカの占領政策により航空機の研究・設計・製造を固く禁じられ、その技術も失われて行くのである。
    そして昭和31年になって航空機の開発が全面解禁されるまでは長い雌伏の期間が必要だった。
    YS-11の開発で再び世界に飛び立つ事ができるまでは・・・

    昭和32年、通産省の赤澤璋一氏により日本の民間航空機開発が政府主導にて始められた。
    その中心は堀越二郎を始めとして、太田稔、菊原静男、土井武夫、木村秀政

    • そういえば日本に固有だった航空機技術とか設計思想とかって、どんなのがあったんですか?

      • by Anonymous Coward

        量産品なのに部品管理無しで現場合わせってのではないかな。
        日本の独自システムとして、「上のメンツの為に下が苦労し全体的に効率が低下しても気にもしない」ってのはもう、平安時代辺りから延々続く独自要件。
        他国と戦争していた間すらそれを貫いている位の徹底さで、敗戦後もそれは消える事無く残ってます。

        • Re: (スコア:2, 興味深い)

          by Anonymous Coward

          > 「上のメンツの為に下が苦労し全体的に効率が低下しても気にもしない」
          陸軍と海軍が戦争して、暇を見つけて英米と戦争していた、という笑えない冗談すらあったくらいだし。
          航空機でも戦闘機だけでなく爆撃機や輸送機ですら、陸海軍で別の機種を設計・開発して二重投資していたっけ。

          • 戦後、陸軍と海軍の間の戦争をなくすために、自衛隊として専守防衛に徹するようにされたのはあまりにも有名な話である。
            なお、陸軍と海軍の間の熱い戦いの日々の思い出は今だに語り継がれており、自衛隊を廃し、軍の復活を目指す勢力の
            主な動機であることは言うまでも無い。

            民明書房「知っているのか紫電改」より

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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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