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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
理想と現実と (スコア:1)
例えばダウン症の人も私の周りには過去も今も結構いて,もちろん親御さんは苦労していらっしゃるのかもしれないけど,そんなことをおくびにも出さない。
外野があれこれ言いにくいことではあるけれど,親御さんの苦労は苦労で話しやすい社会,でも外野はなんでもかんでも苦労だと決めつけない社会が必要だと思う。
減胎手術の自由,となると,自由イコール責任が問われてしまう。その責任に苦悩したり,なぜしたの,なぜしなかったのと,かえって外野が喧しくならないだろうか。
母子に危険があるときは減胎手術ができるようにすべきだろうけど,それと障がいとは別問題である,という社会になってほしい。
# これは(多胎でない)中絶と同じ話だと思うんだが,なぜ減胎ということだけが問題になっているのだろうか。
Re:理想と現実と (スコア:3, 参考になる)
今回話題となっている中絶を行った根津八紘医師は、日本の不妊治療などの生殖補助医療領域で、とにかく技術的にできることはなんでもやる急先鋒みたいな人で、当時の産婦人科学会のガイドラインを大幅に踏み越えて非配偶者間人工授精を行ったり [47news.jp]、無子宮の女性の卵子を用い、その母(つまり生まれてくる子の生物学的祖母)を代理母とした出産 [47news.jp]などを手掛け、またそれを公にすることで議論を提起し続けてきた方です。
(前者については後日学会側が容認し、現在あらたなガイドラインが設けられています。)
根津医師が手がける不妊治療の一つである体外受精後の胚移植では、しばしば多胎妊娠が起こることから、多胎妊娠における減数手術の実際や刑事法との関係などについても以前から積極的に情報を発信しています。
基本的には「安全に出産するために減数手術なども積極的に行う」というのが彼の立場です。
お話の前提として、日本では、法的には障害そのものを理由とした人工妊娠中絶は認められていません。
かつて優生保護法 [hounavi.jp]の下で、本人や配偶者や近親者が障害者や精神病である場合に妊娠中絶をすることが認められ、実質的には推奨されていたことへの反省から、 優生保護法は母体保護法 [e-gov.go.jp]へと置き換わり、現在人工妊娠中絶が認められるのは「強姦などによる望まない妊娠」か、「妊娠継続が身体的経済的に母体の健康を著しく害するおそれがある、とされた場合」に限られています。
とはいえ、障害を理由とした中絶が存在しないわけではありません。
後者の「経済的に~」を果てしなく拡大解釈することで、経済力のない10代の子の本当に厳しい妊娠の中絶も、高齢夫婦の不注意な妊娠の中絶も、出生前に発覚した障害を理由とした妊娠中絶もいっしょくたに、倫理的な議論を回避したままで実施されています。
本当のところは障害が発覚しての中絶であったとしても、法的には、あるいは世間に対しては「経済的に」「身体的に」妊娠継続が厳しかった、という建前の下で、児の選択は水面下で行われているのが現状です。
また多胎における減数手術も人工妊娠中絶の一種ですが、多くの場合「安全に一児を得るために、リスクの高い双胎・多胎を避け、母体の健康を守る」という理屈のもとで行われています。(双胎・多胎分娩がハイリスクであるのは事実です)
さて、双胎児の一児を中絶するとなったとき、多胎の出産リスクだけが問題なのであれば、どちらの胚をTerminationしてもかまわないわけですが、片方の児が障害を持っていることがわかっていたら、どうなるでしょうか。
妊娠を継続し、出産する経済力も体力もある、単に出産の安全性を言うならどちらの児を残しても変わりはない。様々な建前がはぎとられて、まさに「障害があるから中絶した」「障害があるから選ばなかった」という現実が前面に出てきます。
私個人は、こうした問題を生みがちな行き過ぎた不妊治療そのものには反対の立場ですが、一方で、選択の問題としてつきつけられた際には、障害を理由に中絶せず、ありのままを受け入れられるかと言われると難しいだろう、と考えています。
#長々と紹介した割に自分自身の考えはへぼいのですがID