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「言葉にこだわるのではなく大切なのは中身だ」と断ったうえで、学力に代わるものとして「人間として社会の中でよりよく生きようとする力」を意味する「人間力」という考え方を紹介した。
しかし、そもそも「(単語)とは何か」という形式での議論では論理的な反駁が不可能ですから、各自が標語や警句に似た題目を挙げるだけになりがちです。
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Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs
「では人間とは何か」と言われたりしないのだろうか。 (スコア:1)
この人が一番言葉にこだわってるんじゃ?
Re:「では人間とは何か」と言われたりしないのだろう (スコア:3, すばらしい洞察)
まず、辞書的な意味だけが言葉の意味ではないのは当然ですが、「学力」という言葉そのものには「系統的な学習によって獲得した能力」という辞書的な意味があります。
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?t=o&d=all&p=学力
それに対して、この元記事は「学校で身に付けるべき能力」として使っているように思います。このような二次的用法を強調した結果として、語義を離れた議論が行われている場合には新しい言葉の定義も有効だと思います。
#ただし、この「人間力」という言葉とその定義は字義との関連が薄く、各自にとって都合の良い読み方ができるものになっています。#その点で「学力」よりも議論を混乱させる可能性が高い造語なのですが、それ自体は論点との関係がありませんね。
しかし、そもそも「(単語)とは何か」という形式での議論では論理的な反駁が不可能ですから、各自が標語や警句に似た題目を挙げるだけになりがちです。せめて、「学校教育に期待されている役割は何か」や「教員に不足している技能は何か」等、個別の意見を検討できる議論をしませんか。
Re:「では人間とは何か」と言われたりしないのだろう (スコア:1)
余分な事だが、このコメントのような議論とそれを理解できる能力こ そ学校教育に求められるのではないか。
Re:「では人間とは何か」と言われたりしないのだろう (スコア:0)
問題を見つめなおす哲学的(古典にあらず)素養は義務教育で育んでおくべきだと思うので、
方向性としては賛成です。
名句認定 (スコア:0)