アカウント名:
パスワード:
> 当時としては先進的な設計の潜水艦なのかもしれないけど、兵器としての潜水艦の使い方が当時の世界の常識からずれてたんですよね。その一番象徴的な潜水艦がイ400型なんじゃないでしょうか。遠くまで飛ぶのはいいが、砲弾の着弾までの時間が長すぎて敵によけられる大和の主砲といい、結局あまり役に立たなかったこれらの兵器をみるとき、冷静に考えることの大事さをしみじみと感じます。最近なぜか、第2次世界大戦関連の小説や映画が人気ですが、いまの感覚だけでうわっつらだけとらえられているような気がしてなりません。
うーん、何かずれているような。旧海軍の潜水艦の運用方法が世界常識からずれていたのは事実ですが、それはイ400とはあまり関係がありません。
当時の標準的な潜水艦の運用法は、敵勢力圏内における偵察や味方航空搭乗員の救助といった役割に加えて、敵の商船を攻撃してシーレーンを切断する、いわゆる通商破壊戦をやるというものでした。日本海軍の潜水艦運用が世界常識からずれていたと言われるのは、通商破壊戦にまったくと言っていいほど不熱心で、敵の主力艦艇の侵攻に対する漸減作戦(味方の主力部隊との戦いの前に少しでも敵兵力を削っておく)に使うことを考えていたからです。結果論とはいえ、その目的ではあまり役に立たず、「もてる実力を発揮せずに終わった」と評されます。
一方イ400は、敵後方の重要拠点の攻撃に使うという戦略的な役割を期待されていたので、確かに当時の潜水艦の一般的用法ではないとはいえ、戦後のミサイル原潜の発想に通じる先駆的なものだったとされます。どちらも一般的な用法ではないですが、その方向性も戦後の評価も違いますよ。
それから大和の主砲は、確かに最大射程では着弾まで90秒くらいかかりますが、それは当時の戦艦の主砲はアメリカの物であってもどれもほとんど同じです。敵艦の進行方向と速力を観測して、着弾までの移動量を計算して照準に反映する装置がちゃんとついています。着弾までの間に進路変更されるとずれますが、相手も大型艦艇なので90秒ではそれほど大きく進路を変えられません。むしろ砲弾の運動中の風の影響とかそちらの方が大きいでしょう。もともと戦艦の主砲は一斉射撃して、各砲弾をある範囲にばらつかせて着弾させて、どれかが当たるのを期待する、というものです。
冷静に考えることは大事でしょうが、例に挙げているものがことごとくずれているように思います。確かに大和や武蔵はあまり役に立たなかったですが、それは戦艦と空母(航空機)のどちらが役に立つかまだ分からなかったから、両にらみで整備したという事情があるのです。日本は開戦時点で世界最大の空母戦力を有していましたし、開戦と同時に空母の方が有用で建造中の戦艦が完成するまで戦争が続いていたらどのみち日本は負けだ、という理由で大和型の3番艦信濃は建造をキャンセルされています。アメリカの方が最後までダラダラと戦艦を建造し続けて大艦巨砲主義にこだわっていたんですよ。
戦艦信濃キャンセルに追い込まれたのは、砲塔運搬船が沈没したのが原因じゃないんですか?大砲乗せずに回港したら、空母信濃と同じ最後を迎えていたのでしょう。
「樫野」の沈没の件ですね。それもあるのでしょうが、少なくとも開戦直後には戦艦として完成させる意思は無くなっていたのではないかと。空母への転用決定はミッドウェー海戦の後ですね。空母への転用決定までの間は、できるだけ早くドックを空けるために残工事を進めていたようですが、その後どうするつもりだったのかはっきりしないです。
> 戦後のミサイル原潜の発想に通じる先駆的なものだったとされます。それは、推進機関としての原子力の実用化が必要条件では? たまにわずかな距離しか潜れない当時の潜水艦でも実現可能だったと考えておられるのでしょうか?根拠が示せませんが、私は、潜水艦乗りの方々が水雷戦隊の旗艦となる軽巡級の装備(艦載機と14cm砲)を備えた潜水艦が欲しかっただけではないかと想像します。
> 戦艦と空母(航空機)のどちらが役に立つかまだ分からなかったから、両にらみで整備したという事情があるのです。ここもそれらしい理由があったかのように書かれてますが、結局航空と砲術の派閥争いの裁定に失敗しただけでしょう?そもそも国力がないことはそっちのけで、仮想敵国であったアメリカとどう戦うのかというグランドプランを欠いたまま、他人が持ってるものは自分も欲しいという論理で軍備ができあがって行ったのが旧帝国海軍の実態だと思います。
いや、推進機関が原子力である必要性はないです。実際イ400でもニューヨークやロンドンを攻撃可能な航続距離がありました。むしろ問題点は、攻撃に使えるのが通常兵装の晴嵐3機しかなかったことで、これでは大した被害を与えられないです。潜水艦を戦略兵器化するのに本当に必要だったのは、核兵器でしょうね。イ400は、潜水艦を戦略目的に使おうという発想が新しかった、ということです。
> ここもそれらしい理由があったかのように書かれてますが、結局航空と砲術の派閥争いの裁定に失敗しただけでしょう?> そもそも国力がないことはそっちのけで、仮想敵国であったアメリカとどう戦うのかというグランドプランを欠いたまま、他人が持ってるものは自分も欲しいという論理で軍備ができあがって行ったのが旧帝国海軍の実態だと思います。これは明確に違います。日本海軍も陸軍もそうですが、かなり真面目に仮想敵国とどう戦うかを考えています。しかし当時の日本ではあまりに国力が小さすぎて、アメリカとまともに戦うことを想定するとどうやっても負けてしまうわけです。それを悩むあまりに、特殊潜航艇だったり航空機搭載潜水艦だったり、変な兵器や戦術をいくつも考えては何とかならないだろうか、という方向に走ってしまうわけです。グランドプランを欠いているように見えるのは、結局国力差が大きすぎて真正面から戦う装備を整えるのが無理だったからです。それでも海軍には漸減作戦という対米戦の大計画自体は存在していて、それに沿った装備になっているのですよ。
そもそも日本の空母部隊だって、本来は潜水艦と同じで漸減作戦に使う前提であって、単独で主力にする装備ではなかったのです。しかし1930年代末くらいには、これくらい航空機が発展したら戦艦はもう要らないんじゃない? ということを言い出す人が、世界中に出てきます。でも、実際に航空機で戦艦を代用できるということを実戦で示して見せない限り、なかなか信用されません。航空主兵主義の人はアメリカにもいましたが、結局アメリカだって空母中心に変わるのは、戦争が始まってからです。後の世代の人からすれば当たり前じゃないかと言うこともそれは後知恵なのであって、当時それを発想して実行するのは難しかったのです。
> 晴嵐3機しかなかったことで、これでは大した被害を与えられないです。だから、軍備はよくよく考えないといけないですよね。パナマ運河を考えるなら、イギリスのダムバスター中隊ぐらい積めないと。
> それは、推進機関としての原子力の実用化が必要条件では? たまにわずかな距離しか潜れない当時の潜水艦でも実現可能だったと考えておられるのでしょうか?
それは後知恵と言うものです。
イ-400級の直系の子孫と言われる、初の戦略ミサイル搭載潜水艦であるグレイバック (SSG-574)は1957年進水の通常推進の潜水艦でした。まあ、グレイバックはイ-400級のぱくり、乗せていた戦略ミサイルのレギュラスはドイツのV-1のぱくり、みたいなものですが。
今は戦略ミサイル搭載潜水艦は原子力推進が常識になっていますけど、それは、ASWの進化や原子力推進の有効性が認知されているからであって、グレイバックの頃にはそういう認知は無かったでしょうね。
大体、初の原潜であるノーチラスの就役はグレイバックの起工の後ですから。当時とすれば、原潜はモノになるかどうかも分からない、得体の知れない存在だった訳です。
> そもそも国力がないことはそっちのけで、仮想敵国であったアメリカとどう戦うのかというグランドプランを欠いたまま、> 他人が持ってるものは自分も欲しいという論理で軍備ができあがって行ったのが旧帝国海軍の実態だと思います。
対米英戦のグランドプランはあったでしょう。ただ、それが若干ご都合主義だったのと、緒戦の勝利で手を広げ過ぎて収拾が付かなくなった、と言う所でしょうか。
相手の持っているものは自分も欲しい、これはどこの国でも一緒ですね。と言うか、「最低でも仮想敵が持っているフネはこちらも欲しい、出来れば仮想敵を凌駕したい」なんて事を主要国やその海軍が言わなかったのは、軍縮条約に縛られてた海軍休日の期間だけですよ。
世界史とか日本史のお勉強は苦手かしらん?歴史の中の軍事史、特に海軍史なんてのは、結構面白いもんなのですが。
> 初の戦略ミサイル搭載潜水艦であるグレイバックやっと出てきた、2個目のポイント。つまりミサイル打ってそのまま引上げられるから、後方の敵地に攻撃できるんですよね。蜂の巣つついて、のんびり水上機収容してたら潜水艦もろともやられてしまう危険性が高い。なので少なくとも、敵の哨戒線を越える前に存在を秘しながら接近し、打ちっぱなしでさっさと離脱。これらが実現できてはじめて、イ400が先駆けたと云われる(?)目論見は達成されうる。イ400は残念ながらどちらもない。
「蜂の巣つついて、のんびり水上機収容してたら潜水艦もろともやられてしまう危険性が高い」、だから何でしょう?
もしsaratogaさんが、敵に大打撃を与え自分は生還する事を戦略目的の達成だと捉えているなら、それは間違いでしょうね。
効率的な兵力の使用が作戦家の考える所です。イ-400イッパイ也で、敵をして前線から後方への兵力移動を強いるならば、それは戦略目的を達成した事になるでしょうね。
まあ、これは特攻に類する作戦だとは思いますし、その様な作戦を立案する作戦家は鬼畜の類だとは思いますよ。ただ、どの様な作戦を立てようと、戦争である限り、兵隊は死ぬんです。言ってしまえば、鬼畜でない作戦家は居ないと思いますよ。
#反応が遅くてすまぬ。> 敵に大打撃を与え自分は生還する事を戦略目的の達成だと捉えているなら、それは間違いでしょうね。
いや、このトピックの導入が、「イ400が将来のSLBM積んだ原潜につながる先駆的なんとか」という話がちょっとマテ、と言いたいだけですよ。私もあなたが具体的に書かれたようなせいぜい後方攪乱程度の、ええっとたとえば「(コンニャクイモ)風船爆弾」と同列ぐらいの認識です。そもそも、真珠湾攻撃にひっかけた時節ネタで、「旧日本軍の脅威」として誇張されて取り上げられてるのに、あまりに素直すぎる反応があったので、本当に?当時のイ400でできたことをちゃんと考えた?と言いたかっただけです。ちゃんと具体的なイメージを示してもらうことができたので、おかげさまで「目的は達成」できました。
なんだこの知ったかぶりw敗戦間際に自棄になって作戦もへったくれも無く特攻させたのはまだしも、真っ当に作戦立案してられる戦局の内から、養成に時間と金のかかるパイロットを使い捨てる作戦立ててたら、そりゃ勝てる戦争も負けるわ。
> いや、このトピックの導入が、「イ400が将来のSLBM積んだ原潜につながる先駆的なんとか」と> いう話がちょっとマテ、と言いたいだけですよ。
隠密行動で敵の都市や重要拠点を攻撃すると言うコンセプト、そしてそのコンセプトを実現する兵器システム、当時としては先進的と言えるものだったでしょうね。またこのコンセプトは、後の有翼ミサイル搭載潜水艦、そして弾道ミサイル搭載潜水艦の様な兵器システムのコンセプトと軌を一にするものです。
「せいぜい後方攪乱」と仰いますが、開戦から数ヶ月、日本の潜水艦は西海岸で活発に活動していました。当時の前線はハワイ付近である事を考えると、これは立派な後方攪乱です。これによって引き起こされたのがアメリカの最終防衛戦の設定ですし、東京初空襲です。そして初空襲によって引き起こされたものが、アメリカ本土攻撃やアメリカ本土空襲ですし、またミッドウェイ海戦です。
風船爆弾にしても、コンセプト自体は見るべきものがあると思います。ただ残念ながら兵器システムとしての有用性があまり無かっただけの話ですね。コンセプトにそぐわない兵器システムになってしまうとか、兵器システムを実現するための技術がコンセプトに追いつかないとかは、ママある話です。そして忘れ去られた兵器システムが再発見される事も珍しい事ではありませんよ。
また、#2509087 [srad.jp]のコメントにしても、実際に行われている事を無視した仰り様です。軍事史に造詣が無いとしても、少々の手間を掛けてでも調べれば良いと思います。事実を無視し、結論ありきで何かを仰りたいのであれば、何も言う事はありませんが。
>アメリカの方が最後までダラダラと戦艦を建造
はぁ?アメリカは毎週のように護衛空母を、毎月のように正規空母を建造していたのも知らないのか?アメリカは真珠湾攻撃を教訓にして、戦艦巨砲主義から空母中心の機動部隊へと切り替えている。日本は最後まで戦艦への拘りを捨てきれなかったんだよ。
ウィキペディアで良いからアメリカの戦艦の建造史を調べてはいかがでしょうか。アメリカは大戦中、空母もたくさん造っていましたが、戦艦も依然として造っています。完成したアメリカ戦艦で最後となるミズーリ(アイオワ級3番艦だが4番艦ウィスコンシンより後に就役している)は、1944年6月11日就役です。日本戦艦最後の武蔵は1942年8月5日就役ですから、日本の方が戦艦を造るのをアメリカより先にやめたのは事実ですよ。なお、アイオワ級の5番艦・6番艦のイリノイ、ケンタッキーは戦後まで造るか止めるかダラダラと迷い続けています。
もちろん、アメリカの方が戦艦も造るだけの国力があったからという事情はあります。それでもアメリカは、朝鮮戦争でもアイオワ級の戦艦4隻を運用していますし、ベトナム戦争でも、そして湾岸戦争でも運用しています。日本よりよほど、アメリカの方が戦艦に拘っていると思いますよ。
イギリスだったかフランスだったか、戦後も戦艦を作ってた国があったっけ
役務期間が2年て…。
日本の方が戦艦を造るのをアメリカより先にやめたのは事実ですよ。
“やめた”のではなく“できなかった”のではないですか?この違いは大きいですよ
そのように主張するならば、日本海軍の方がアメリカ海軍より遅くまで大艦巨砲主義にこだわっていたという事例を示す必要があるのではないですか?少なくとも日本海軍は、空母については戦時中にも「雲龍」「葛城」のように次々に新造(改造もあるが)していますが、戦艦は開戦時点でかなり進捗していた「信濃」を止めてしまったという実例があるのですよ。私が言いたいのは、「大和」「武蔵」の建造時点では各国とも戦艦中心の発想がまだ抜けていなかったので、これをもって「日本は大艦巨砲主義にこだわっていたが、アメリカは…」というような主張の根拠にするのは誤りだということです。
そのように主張するならば、日本海軍の方がアメリカ海軍より遅くまで大艦巨砲主義にこだわっていたという事例を示す必要があるのではないですか?
なんか話が飛躍してますよ?アメリカ海軍が大艦巨砲主義にこだわると日本が戦艦建造をやめるってどういった因果関係があるのか理解できません。
私は製造していない=やめたという解釈がおかしいと言っているのです。当時は物資も枯渇しまともな修理もできない状況下なので、製造していない=作りたくても作れないと解釈するほうが無理がないのでは?
どの国も大艦巨砲主義だった時代があるのだから、日本がいつまでもそれにこだわっていたと言えるためには、他の国より脱却が遅かったことを示す必要がある、ということです。アメリカの方が脱却が遅かった、と言える背景は示したつもりです。
それから、日本が戦艦建造を止めたのは1942年で、まだこの時点では「まともな修理もできない」状況ではないです。空母はこれ以降にも造っているわけですから。戦艦を造りたかったのなら空母を造らずに、造りかけの信濃を戦艦として完成させていたはずです。少なくとも、空母が戦艦より優先という判断であったことは間違いないです。
凝り性なんだろうな。
適当なところで切り上げて実用化するんじゃなく、いつまでも納得できずいじり続ける。結果(目的)ももちろんだが、それ以上に過程(手段)を重視する日本人らしいというか。会議資料でも、内容以上に体裁が重視されたり。
料理にしてもやたら手を加えて凝ったものを作りたがる。カレーにしろラーメンにしろ、仕込みにどんだけ時間かけるんだよ!って。
凝ってる割には暗号が解読されててとかね。一本槍というか、粛々とやりすぎるというか。空気と違うことも考えなきゃいけないんじゃないのかな。
まぁ、空母の集中運用による航空打撃戦とか意義のある革新的なこともやってたんだけどね。# そこから始まったのに時代遅れになった大艦巨砲で終わるってのが皮肉だ。
ただ、旧軍に関する評価でかわいそうだなと思うのが、旧軍の基本が「基本的に装備・戦力で負けてる」のが前提だったところ。だから、奇策とか精神論で何とかするしかなかったという。
# 一応クラウゼヴィッツも「兵の強さは数だけじゃない。装備と士気も重要だよね」と言ってるので、# 数と装備に負けてたら士気で何とかするしかない、と言うのも教科書通りではある。# ま、精神論に行き過ぎてたのは確かだから叩かれるのもしょーがないけど。
結局第2次世界大戦で一番役に立ったのは航空機な訳で、航空機用のエンジンが弱かった日本の場合、それ以外でどんな兵器を作ろうと片手落ちにしかならない、
>航空機用のエンジンが弱かった日本の場合、
魚雷艇のエンジンも弱かった、というか潜水艦でドイツから運んできた魚雷艇用のエンジンを見て技術格差にびっくらこいた工作機械を輸出していた国と輸入していた国の違いだな
戦後、ホンダが二輪で成功した理由の一つは外貨規制の厳しかった頃にありったけの金を使って輸入した工作機械を使っていたからという話もあるが
なんか盛大に勘違いしているような。
> 遠くまで飛ぶのはいいが、大和級の46cm砲は確かに42000mの射程を誇るが、想定砲戦距離は20000~30000mで、40cm砲艦とあまり違いは無いよ。
> 砲弾の着弾までの時間が長すぎて敵によけられる戦艦てか軍艦をモーターボートと勘違いしてない?特に隊列を組んでる場合、進路や速度の変更にどれだけ時間が掛かるものかを調べた方が良い。# 戦艦が勝手に進路や速度を変えられるのは、ゲームの世界だけよ。# 「鋼鉄の咆哮」とかね
それにだ、大和が存在してた頃は、レーダー式の弾道計算機なんてものは無かったんだから、相手が撃った砲弾がどこに弾着するかを知るすべは無かったよ。それが分からなくて、どうやって回避出来るのかねえ。
大体、航空主兵=正解、大艦巨砲=間違いなんざ、どっかの誰かが言った事の引き写しじゃろ?それこそ「いまの感覚だけでうわっつらだけとらえられている」そのものじゃない?
すると陛下は嘘の報告と知ってても何もしなかったのか。部下の水増し報告を見て見ぬ振りをして、会社倒産させた社長のようだ。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:1)
> 当時としては先進的な設計の潜水艦
なのかもしれないけど、兵器としての潜水艦の使い方が当時の世界の常識からずれてたんですよね。その一番象徴的な潜水艦がイ400型なんじゃないでしょうか。
遠くまで飛ぶのはいいが、砲弾の着弾までの時間が長すぎて敵によけられる大和の主砲といい、結局あまり役に立たなかったこれらの兵器をみるとき、冷静に考えることの大事さをしみじみと感じます。
最近なぜか、第2次世界大戦関連の小説や映画が人気ですが、いまの感覚だけでうわっつらだけとらえられているような気がしてなりません。
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:5, 参考になる)
うーん、何かずれているような。
旧海軍の潜水艦の運用方法が世界常識からずれていたのは事実ですが、それはイ400とはあまり関係がありません。
当時の標準的な潜水艦の運用法は、敵勢力圏内における偵察や味方航空搭乗員の救助といった役割に加えて、
敵の商船を攻撃してシーレーンを切断する、いわゆる通商破壊戦をやるというものでした。
日本海軍の潜水艦運用が世界常識からずれていたと言われるのは、通商破壊戦にまったくと言っていいほど不熱心で、
敵の主力艦艇の侵攻に対する漸減作戦(味方の主力部隊との戦いの前に少しでも敵兵力を削っておく)に使うことを考えていたからです。
結果論とはいえ、その目的ではあまり役に立たず、「もてる実力を発揮せずに終わった」と評されます。
一方イ400は、敵後方の重要拠点の攻撃に使うという戦略的な役割を期待されていたので、
確かに当時の潜水艦の一般的用法ではないとはいえ、戦後のミサイル原潜の発想に通じる先駆的なものだったとされます。
どちらも一般的な用法ではないですが、その方向性も戦後の評価も違いますよ。
それから大和の主砲は、確かに最大射程では着弾まで90秒くらいかかりますが、
それは当時の戦艦の主砲はアメリカの物であってもどれもほとんど同じです。
敵艦の進行方向と速力を観測して、着弾までの移動量を計算して照準に反映する装置がちゃんとついています。
着弾までの間に進路変更されるとずれますが、相手も大型艦艇なので90秒ではそれほど大きく進路を変えられません。
むしろ砲弾の運動中の風の影響とかそちらの方が大きいでしょう。
もともと戦艦の主砲は一斉射撃して、各砲弾をある範囲にばらつかせて着弾させて、どれかが当たるのを期待する、というものです。
冷静に考えることは大事でしょうが、例に挙げているものがことごとくずれているように思います。
確かに大和や武蔵はあまり役に立たなかったですが、それは戦艦と空母(航空機)のどちらが役に立つかまだ分からなかったから、
両にらみで整備したという事情があるのです。
日本は開戦時点で世界最大の空母戦力を有していましたし、開戦と同時に空母の方が有用で
建造中の戦艦が完成するまで戦争が続いていたらどのみち日本は負けだ、という理由で大和型の3番艦信濃は
建造をキャンセルされています。
アメリカの方が最後までダラダラと戦艦を建造し続けて大艦巨砲主義にこだわっていたんですよ。
信濃キャンセル (スコア:1)
戦艦信濃キャンセルに追い込まれたのは、砲塔運搬船が沈没したのが原因じゃないんですか?
大砲乗せずに回港したら、空母信濃と同じ最後を迎えていたのでしょう。
Re:信濃キャンセル (スコア:1)
「樫野」の沈没の件ですね。
それもあるのでしょうが、少なくとも開戦直後には戦艦として完成させる意思は無くなっていたのではないかと。
空母への転用決定はミッドウェー海戦の後ですね。
空母への転用決定までの間は、できるだけ早くドックを空けるために残工事を進めていたようですが、
その後どうするつもりだったのかはっきりしないです。
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:1)
> 戦後のミサイル原潜の発想に通じる先駆的なものだったとされます。
それは、推進機関としての原子力の実用化が必要条件では? たまにわずかな距離しか潜れない当時の潜水艦でも実現可能だったと考えておられるのでしょうか?
根拠が示せませんが、私は、潜水艦乗りの方々が水雷戦隊の旗艦となる軽巡級の装備(艦載機と14cm砲)を備えた潜水艦が欲しかっただけではないかと想像します。
> 戦艦と空母(航空機)のどちらが役に立つかまだ分からなかったから、両にらみで整備したという事情があるのです。
ここもそれらしい理由があったかのように書かれてますが、結局航空と砲術の派閥争いの裁定に失敗しただけでしょう?
そもそも国力がないことはそっちのけで、仮想敵国であったアメリカとどう戦うのかというグランドプランを欠いたまま、他人が持ってるものは自分も欲しいという論理で軍備ができあがって行ったのが旧帝国海軍の実態だと思います。
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:3, 興味深い)
いや、推進機関が原子力である必要性はないです。
実際イ400でもニューヨークやロンドンを攻撃可能な航続距離がありました。
むしろ問題点は、攻撃に使えるのが通常兵装の晴嵐3機しかなかったことで、これでは大した被害を与えられないです。
潜水艦を戦略兵器化するのに本当に必要だったのは、核兵器でしょうね。
イ400は、潜水艦を戦略目的に使おうという発想が新しかった、ということです。
> ここもそれらしい理由があったかのように書かれてますが、結局航空と砲術の派閥争いの裁定に失敗しただけでしょう?
> そもそも国力がないことはそっちのけで、仮想敵国であったアメリカとどう戦うのかというグランドプランを欠いたまま、他人が持ってるものは自分も欲しいという論理で軍備ができあがって行ったのが旧帝国海軍の実態だと思います。
これは明確に違います。
日本海軍も陸軍もそうですが、かなり真面目に仮想敵国とどう戦うかを考えています。
しかし当時の日本ではあまりに国力が小さすぎて、アメリカとまともに戦うことを想定するとどうやっても負けてしまうわけです。
それを悩むあまりに、特殊潜航艇だったり航空機搭載潜水艦だったり、
変な兵器や戦術をいくつも考えては何とかならないだろうか、という方向に走ってしまうわけです。
グランドプランを欠いているように見えるのは、結局国力差が大きすぎて真正面から戦う装備を整えるのが無理だったからです。
それでも海軍には漸減作戦という対米戦の大計画自体は存在していて、それに沿った装備になっているのですよ。
そもそも日本の空母部隊だって、本来は潜水艦と同じで漸減作戦に使う前提であって、
単独で主力にする装備ではなかったのです。
しかし1930年代末くらいには、これくらい航空機が発展したら戦艦はもう要らないんじゃない? ということを言い出す人が、
世界中に出てきます。
でも、実際に航空機で戦艦を代用できるということを実戦で示して見せない限り、なかなか信用されません。
航空主兵主義の人はアメリカにもいましたが、結局アメリカだって空母中心に変わるのは、戦争が始まってからです。
後の世代の人からすれば当たり前じゃないかと言うこともそれは後知恵なのであって、
当時それを発想して実行するのは難しかったのです。
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:1)
> 晴嵐3機しかなかったことで、これでは大した被害を与えられないです。
だから、軍備はよくよく考えないといけないですよね。パナマ運河を考えるなら、イギリスのダムバスター中隊ぐらい積めないと。
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:1)
> それは、推進機関としての原子力の実用化が必要条件では? たまにわずかな距離しか潜れない当時の潜水艦でも実現可能だったと考えておられるのでしょうか?
それは後知恵と言うものです。
イ-400級の直系の子孫と言われる、初の戦略ミサイル搭載潜水艦であるグレイバック (SSG-574)は1957年進水の通常推進の潜水艦でした。まあ、グレイバックはイ-400級のぱくり、乗せていた戦略ミサイルのレギュラスはドイツのV-1のぱくり、みたいなものですが。
今は戦略ミサイル搭載潜水艦は原子力推進が常識になっていますけど、それは、ASWの進化や原子力推進の有効性が認知されているからであって、グレイバックの頃にはそういう認知は無かったでしょうね。
大体、初の原潜であるノーチラスの就役はグレイバックの起工の後ですから。当時とすれば、原潜はモノになるかどうかも分からない、得体の知れない存在だった訳です。
> そもそも国力がないことはそっちのけで、仮想敵国であったアメリカとどう戦うのかというグランドプランを欠いたまま、
> 他人が持ってるものは自分も欲しいという論理で軍備ができあがって行ったのが旧帝国海軍の実態だと思います。
対米英戦のグランドプランはあったでしょう。ただ、それが若干ご都合主義だったのと、緒戦の勝利で手を広げ過ぎて収拾が付かなくなった、と言う所でしょうか。
相手の持っているものは自分も欲しい、これはどこの国でも一緒ですね。と言うか、「最低でも仮想敵が持っているフネはこちらも欲しい、出来れば仮想敵を凌駕したい」なんて事を主要国やその海軍が言わなかったのは、軍縮条約に縛られてた海軍休日の期間だけですよ。
世界史とか日本史のお勉強は苦手かしらん?歴史の中の軍事史、特に海軍史なんてのは、結構面白いもんなのですが。
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:1)
> 初の戦略ミサイル搭載潜水艦であるグレイバック
やっと出てきた、2個目のポイント。つまりミサイル打ってそのまま引上げられるから、後方の敵地に攻撃できるんですよね。蜂の巣つついて、のんびり水上機収容してたら潜水艦もろともやられてしまう危険性が高い。
なので少なくとも、敵の哨戒線を越える前に存在を秘しながら接近し、打ちっぱなしでさっさと離脱。これらが実現できてはじめて、イ400が先駆けたと云われる(?)目論見は達成されうる。イ400は残念ながらどちらもない。
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:1)
「蜂の巣つついて、のんびり水上機収容してたら潜水艦もろともやられてしまう危険性が高い」、だから何でしょう?
もしsaratogaさんが、敵に大打撃を与え自分は生還する事を戦略目的の達成だと捉えているなら、それは間違いでしょうね。
効率的な兵力の使用が作戦家の考える所です。イ-400イッパイ也で、敵をして前線から後方への兵力移動を強いるならば、それは戦略目的を達成した事になるでしょうね。
まあ、これは特攻に類する作戦だとは思いますし、その様な作戦を立案する作戦家は鬼畜の類だとは思いますよ。ただ、どの様な作戦を立てようと、戦争である限り、兵隊は死ぬんです。言ってしまえば、鬼畜でない作戦家は居ないと思いますよ。
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:1)
#反応が遅くてすまぬ。
> 敵に大打撃を与え自分は生還する事を戦略目的の達成だと捉えているなら、それは間違いでしょうね。
いや、このトピックの導入が、「イ400が将来のSLBM積んだ原潜につながる先駆的なんとか」という話がちょっとマテ、と言いたいだけですよ。私もあなたが具体的に書かれたようなせいぜい後方攪乱程度の、ええっとたとえば「(コンニャクイモ)風船爆弾」と同列ぐらいの認識です。
そもそも、真珠湾攻撃にひっかけた時節ネタで、「旧日本軍の脅威」として誇張されて取り上げられてるのに、あまりに素直すぎる反応があったので、本当に?当時のイ400でできたことをちゃんと考えた?と言いたかっただけです。ちゃんと具体的なイメージを示してもらうことができたので、おかげさまで「目的は達成」できました。
Re: (スコア:0)
なんだこの知ったかぶりw
敗戦間際に自棄になって作戦もへったくれも無く特攻させたのはまだしも、
真っ当に作戦立案してられる戦局の内から、養成に時間と金のかかるパイロットを使い捨てる作戦立ててたら、
そりゃ勝てる戦争も負けるわ。
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:1)
> いや、このトピックの導入が、「イ400が将来のSLBM積んだ原潜につながる先駆的なんとか」と
> いう話がちょっとマテ、と言いたいだけですよ。
隠密行動で敵の都市や重要拠点を攻撃すると言うコンセプト、そしてそのコンセプトを実現する兵器
システム、当時としては先進的と言えるものだったでしょうね。またこのコンセプトは、後の有翼ミサイ
ル搭載潜水艦、そして弾道ミサイル搭載潜水艦の様な兵器システムのコンセプトと軌を一にするもの
です。
「せいぜい後方攪乱」と仰いますが、開戦から数ヶ月、日本の潜水艦は西海岸で活発に活動してい
ました。当時の前線はハワイ付近である事を考えると、これは立派な後方攪乱です。これによって
引き起こされたのがアメリカの最終防衛戦の設定ですし、東京初空襲です。そして初空襲によって
引き起こされたものが、アメリカ本土攻撃やアメリカ本土空襲ですし、またミッドウェイ海戦です。
風船爆弾にしても、コンセプト自体は見るべきものがあると思います。ただ残念ながら兵器システム
としての有用性があまり無かっただけの話ですね。コンセプトにそぐわない兵器システムになってし
まうとか、兵器システムを実現するための技術がコンセプトに追いつかないとかは、ママある話です。
そして忘れ去られた兵器システムが再発見される事も珍しい事ではありませんよ。
また、#2509087 [srad.jp]のコメントにしても、実際に行われている事を無視した仰り様です。
軍事史に造詣が無いとしても、少々の手間を掛けてでも調べれば良いと思います。事実を無視し、
結論ありきで何かを仰りたいのであれば、何も言う事はありませんが。
Re: (スコア:0)
>アメリカの方が最後までダラダラと戦艦を建造
はぁ?
アメリカは毎週のように護衛空母を、毎月のように正規空母を建造していたのも知らないのか?
アメリカは真珠湾攻撃を教訓にして、戦艦巨砲主義から空母中心の機動部隊へと切り替えている。
日本は最後まで戦艦への拘りを捨てきれなかったんだよ。
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:2)
ウィキペディアで良いからアメリカの戦艦の建造史を調べてはいかがでしょうか。
アメリカは大戦中、空母もたくさん造っていましたが、戦艦も依然として造っています。
完成したアメリカ戦艦で最後となるミズーリ(アイオワ級3番艦だが4番艦ウィスコンシンより後に就役している)は、
1944年6月11日就役です。
日本戦艦最後の武蔵は1942年8月5日就役ですから、日本の方が戦艦を造るのをアメリカより先にやめたのは事実ですよ。
なお、アイオワ級の5番艦・6番艦のイリノイ、ケンタッキーは戦後まで造るか止めるかダラダラと迷い続けています。
もちろん、アメリカの方が戦艦も造るだけの国力があったからという事情はあります。
それでもアメリカは、朝鮮戦争でもアイオワ級の戦艦4隻を運用していますし、
ベトナム戦争でも、そして湾岸戦争でも運用しています。
日本よりよほど、アメリカの方が戦艦に拘っていると思いますよ。
Re: (スコア:0)
イギリスだったかフランスだったか、戦後も戦艦を作ってた国があったっけ
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:1)
役務期間が2年て…。
Re: (スコア:0)
日本の方が戦艦を造るのをアメリカより先にやめたのは事実ですよ。
“やめた”のではなく“できなかった”のではないですか?
この違いは大きいですよ
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:2)
“やめた”のではなく“できなかった”のではないですか?
この違いは大きいですよ
そのように主張するならば、日本海軍の方がアメリカ海軍より遅くまで大艦巨砲主義にこだわっていたという事例を示す必要があるのではないですか?
少なくとも日本海軍は、空母については戦時中にも「雲龍」「葛城」のように次々に新造(改造もあるが)していますが、
戦艦は開戦時点でかなり進捗していた「信濃」を止めてしまったという実例があるのですよ。
私が言いたいのは、「大和」「武蔵」の建造時点では各国とも戦艦中心の発想がまだ抜けていなかったので、
これをもって「日本は大艦巨砲主義にこだわっていたが、アメリカは…」というような主張の根拠にするのは誤りだということです。
Re: (スコア:0)
そのように主張するならば、日本海軍の方がアメリカ海軍より遅くまで大艦巨砲主義にこだわっていたという事例を示す必要があるのではないですか?
なんか話が飛躍してますよ?
アメリカ海軍が大艦巨砲主義にこだわると日本が戦艦建造をやめるってどういった因果関係があるのか理解できません。
私は製造していない=やめたという解釈がおかしいと言っているのです。
当時は物資も枯渇しまともな修理もできない状況下なので、製造していない=作りたくても作れないと解釈するほうが無理がないのでは?
Re:旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:1)
どの国も大艦巨砲主義だった時代があるのだから、日本がいつまでもそれにこだわっていたと言えるためには、
他の国より脱却が遅かったことを示す必要がある、ということです。
アメリカの方が脱却が遅かった、と言える背景は示したつもりです。
それから、日本が戦艦建造を止めたのは1942年で、まだこの時点では「まともな修理もできない」状況ではないです。
空母はこれ以降にも造っているわけですから。
戦艦を造りたかったのなら空母を造らずに、造りかけの信濃を戦艦として完成させていたはずです。
少なくとも、空母が戦艦より優先という判断であったことは間違いないです。
Re: (スコア:0)
凝り性なんだろうな。
適当なところで切り上げて実用化するんじゃなく、いつまでも納得できずいじり続ける。
結果(目的)ももちろんだが、それ以上に過程(手段)を重視する日本人らしいというか。
会議資料でも、内容以上に体裁が重視されたり。
料理にしてもやたら手を加えて凝ったものを作りたがる。
カレーにしろラーメンにしろ、仕込みにどんだけ時間かけるんだよ!って。
Re: (スコア:0)
凝ってる割には暗号が解読されててとかね。
一本槍というか、粛々とやりすぎるというか。
空気と違うことも考えなきゃいけないんじゃないのかな。
Re: (スコア:0)
まぁ、空母の集中運用による航空打撃戦とか意義のある革新的なこともやってたんだけどね。
# そこから始まったのに時代遅れになった大艦巨砲で終わるってのが皮肉だ。
ただ、旧軍に関する評価でかわいそうだなと思うのが、旧軍の基本が「基本的に装備・戦力で負けてる」のが前提だったところ。
だから、奇策とか精神論で何とかするしかなかったという。
# 一応クラウゼヴィッツも「兵の強さは数だけじゃない。装備と士気も重要だよね」と言ってるので、
# 数と装備に負けてたら士気で何とかするしかない、と言うのも教科書通りではある。
# ま、精神論に行き過ぎてたのは確かだから叩かれるのもしょーがないけど。
Re: (スコア:0)
結局第2次世界大戦で一番役に立ったのは航空機な訳で、航空機用のエンジンが弱かった日本の場合、
それ以外でどんな兵器を作ろうと片手落ちにしかならない、
Re: (スコア:0)
>航空機用のエンジンが弱かった日本の場合、
魚雷艇のエンジンも弱かった、というか潜水艦でドイツから運んできた魚雷艇用のエンジンを見て技術格差にびっくらこいた
工作機械を輸出していた国と輸入していた国の違いだな
戦後、ホンダが二輪で成功した理由の一つは外貨規制の厳しかった頃にありったけの金を使って輸入した工作機械を使っていたからという話もあるが
Re: (スコア:0)
なんか盛大に勘違いしているような。
> 遠くまで飛ぶのはいいが、
大和級の46cm砲は確かに42000mの射程を誇るが、想定砲戦距離は20000~30000mで、40cm砲艦とあまり違いは無いよ。
> 砲弾の着弾までの時間が長すぎて敵によけられる
戦艦てか軍艦をモーターボートと勘違いしてない?特に隊列を組んでる場合、進路や速度の変更にどれだけ時間が掛かるものかを調べた方が良い。
# 戦艦が勝手に進路や速度を変えられるのは、ゲームの世界だけよ。
# 「鋼鉄の咆哮」とかね
それにだ、大和が存在してた頃は、レーダー式の弾道計算機なんてものは無かったんだから、相手が撃った砲弾がどこに弾着するかを知るすべは無かったよ。それが分からなくて、どうやって回避出来るのかねえ。
大体、航空主兵=正解、大艦巨砲=間違いなんざ、どっかの誰かが言った事の引き写しじゃろ?それこそ「いまの感覚だけでうわっつらだけとらえられている」そのものじゃない?
Re: (スコア:0)
すると陛下は嘘の報告と知ってても何もしなかったのか。
部下の水増し報告を見て見ぬ振りをして、会社倒産させた社長のようだ。