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> 当時としては先進的な設計の潜水艦なのかもしれないけど、兵器としての潜水艦の使い方が当時の世界の常識からずれてたんですよね。その一番象徴的な潜水艦がイ400型なんじゃないでしょうか。遠くまで飛ぶのはいいが、砲弾の着弾までの時間が長すぎて敵によけられる大和の主砲といい、結局あまり役に立たなかったこれらの兵器をみるとき、冷静に考えることの大事さをしみじみと感じます。最近なぜか、第2次世界大戦関連の小説や映画が人気ですが、いまの感覚だけでうわっつらだけとらえられているような気がしてなりません。
うーん、何かずれているような。旧海軍の潜水艦の運用方法が世界常識からずれていたのは事実ですが、それはイ400とはあまり関係がありません。
当時の標準的な潜水艦の運用法は、敵勢力圏内における偵察や味方航空搭乗員の救助といった役割に加えて、敵の商船を攻撃してシーレーンを切断する、いわゆる通商破壊戦をやるというものでした。日本海軍の潜水艦運用が世界常識からずれていたと言われるのは、通商破壊戦にまったくと言っていいほど不熱心で、敵の主力艦艇の侵攻に対する漸減作戦(味方の主力部隊との戦いの前に少しでも敵兵力を削っておく)に使うことを考えていたからです。
戦艦信濃キャンセルに追い込まれたのは、砲塔運搬船が沈没したのが原因じゃないんですか?大砲乗せずに回港したら、空母信濃と同じ最後を迎えていたのでしょう。
「樫野」の沈没の件ですね。それもあるのでしょうが、少なくとも開戦直後には戦艦として完成させる意思は無くなっていたのではないかと。空母への転用決定はミッドウェー海戦の後ですね。空母への転用決定までの間は、できるだけ早くドックを空けるために残工事を進めていたようですが、その後どうするつもりだったのかはっきりしないです。
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旧帝国海軍における潜水艦の位置づけ (スコア:1)
> 当時としては先進的な設計の潜水艦
なのかもしれないけど、兵器としての潜水艦の使い方が当時の世界の常識からずれてたんですよね。その一番象徴的な潜水艦がイ400型なんじゃないでしょうか。
遠くまで飛ぶのはいいが、砲弾の着弾までの時間が長すぎて敵によけられる大和の主砲といい、結局あまり役に立たなかったこれらの兵器をみるとき、冷静に考えることの大事さをしみじみと感じます。
最近なぜか、第2次世界大戦関連の小説や映画が人気ですが、いまの感覚だけでうわっつらだけとらえられているような気がしてなりません。
Re: (スコア:5, 参考になる)
うーん、何かずれているような。
旧海軍の潜水艦の運用方法が世界常識からずれていたのは事実ですが、それはイ400とはあまり関係がありません。
当時の標準的な潜水艦の運用法は、敵勢力圏内における偵察や味方航空搭乗員の救助といった役割に加えて、
敵の商船を攻撃してシーレーンを切断する、いわゆる通商破壊戦をやるというものでした。
日本海軍の潜水艦運用が世界常識からずれていたと言われるのは、通商破壊戦にまったくと言っていいほど不熱心で、
敵の主力艦艇の侵攻に対する漸減作戦(味方の主力部隊との戦いの前に少しでも敵兵力を削っておく)に使うことを考えていたからです。
信濃キャンセル (スコア:1)
戦艦信濃キャンセルに追い込まれたのは、砲塔運搬船が沈没したのが原因じゃないんですか?
大砲乗せずに回港したら、空母信濃と同じ最後を迎えていたのでしょう。
Re:信濃キャンセル (スコア:1)
「樫野」の沈没の件ですね。
それもあるのでしょうが、少なくとも開戦直後には戦艦として完成させる意思は無くなっていたのではないかと。
空母への転用決定はミッドウェー海戦の後ですね。
空母への転用決定までの間は、できるだけ早くドックを空けるために残工事を進めていたようですが、
その後どうするつもりだったのかはっきりしないです。