アカウント名:
パスワード:
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない -- Eric Raymond
まぁ、妥当な線では (スコア:3, 興味深い)
喉から手が出る程待ち望んでいた事ではないでしょうか?
一時は、セガの規模からすると引取れる体力のある企業は日本には無く、
MS位しか引取り手が居ないんじゃないかとまで言われていただけに、
サミーが無事引き取ってくれて良かったんじゃないかと思います。
パチスロ屋よりもマイクロソフト・・・ (スコア:2, すばらしい洞察)
マイクロソフトのゲーム部門に吸収された方が良かったなぁ。(Taiyakissの個人的には。)
歴史を紐解いて見ると、
セガ上層部の判断と状況認識能力は、いついかなる場合にも裏目に出ている。(笑
せっかくのセガ社内/子会社のハード/ソフト開発部隊がかわいそうだ。
これは、8bitゲーム機時代からずっと同じ感想。
Re:パチスロ屋よりもマイクロソフト・・・ (スコア:1)
# MS(HQ)の開発者はまともなのに、かわいそうだとおもうのでID
# rm -rf ./.
Re:パチスロ屋よりもマイクロソフト・・・ (スコア:0)
セガの中の人間なら、誰しも思ってますって。
#上層部に愛想つかした、底辺契約社員より
#だから、有能な(必要な)人ほど先に去っていったのですよ。
セガとMY青春。 (スコア:3, 参考になる)
ファミコンやセガマーク3が発売される以前からのマイコン(ナイコン)少年で、
6502のマシン語よりもZ80のマシン語の方が高機能だし読みやすいから
という理由で(笑、
当時大ブームだったファミコンを買わずにセガマーク3を買い、
初代BEEP誌を熱烈購読し、無論、当然、
BEEP誌で、セガの開発スタッフが自分たちで運営する
SPEC(Sega Players Enjoy Club) [fukkan.com] の情報を知ると速攻で加入し、
高校生になったら、地元(超田舎)のハイテクセガのゲーセンで店員バイトをした、
単なるセガマニアですが(笑、
部外者の、こんなバカな行動で貴重な青春を空回りさせて浪費しまうような
ダメ少年が見ていても、当時からセガの戦略は「こりゃダメだろ・・・」と感じていました・・・。
家庭用ゲーム機本体では、
SG1000~SC3000系~マーク2までは、
まあ、あのビデオチップの選択でもしょうが無かったでしょう。
当時のLSIの設計製造レベルを考えても、
直接のライバル機種だった任天堂のスペックが脅威的なほど的確過ぎたのが敗因です。
しかしマーク3のグラフィックスチップのBGチップとスプライトの発色数は、
非常に素晴らしかった。私はハードは完璧だったと思う。
しかし日本国内ではソフト供給でファミコンに負けた。
当然ですよね。
セガ社内と少数の周辺企業だけで、
バカみたいに大量のゲームを同時進行で作らされていたんだから・・・。
グラフィックスもゲームシステムも、満足に作り込めないままで出荷せざるを得ないため、
ほとんどのゲームソフトの内容が薄くなり、
猛烈に作り込まれ、内容が充実してきた同時期のファミコンソフトに勝てるわけが無かった。
当時は、ゲーム内部で使われているプログラミングテクニックがどれだけ凄いかとか、
このセガ作品を作ったゲームクリエイターが、
時間さえ十分にあったなら、本当はどんな作品を完成させたかったのかを
パソコンのプログラミングとアーケードゲームプレイの体験で得た
技術的知識とセガ魂で、自己の脳内で補完して感動できるセガマニアだけがマーク3の理解者でした(マジで(笑。
海外ではマスターシステムが検討したのは、セガ上層部の戦略が良かったのでは無く、
海外の現地のゲームソフトハウスが、頑張ったからだと思います。
メガドライブのハードウエアは、まあ、スーパーファミコンと比べて、
グラフィックスの回転縮小機能が無いのは、開発時期とコストを考えるとしかたないでしょう。
しかし、スプライトとBG画面の8×8ドット1チップ内で使える色数の少なさは、
バカとしか言えません。
実質的に使える色数が少ないせいで、メガドライブには、
まるで初代ファミコンの画面に見えてしまうようなゲームが沢山出てしまいました。
たしかに色数を減らせば、ROMやRAMの使用量減らせますが、
色数減らし過ぎたらどうにもなりません。スペックは全てバランスです・・・。
企業ですから、社内のエンジニアや、ハードウエア設計部門の一存では、
こういうスペックは決められないはず。
つまりセガ上層部の判断でスペックが決まったはずです。
メガドライブのソフトは、セガ社内の開発部隊も、サードパーティーも十分に頑張ったと思います。
日本全体がバブル景気だったし、
アーケードゲーム業界も家庭用ゲーム機業界も、
歴史上で一番、進化や変化が激しく、エネルギッシュな時代だったので
セガ上層部がバカでも、セガは儲かっていましたよね。
当時、セガの開発部隊は爆発的に良い仕事をしていました。
アーケードでは80年代後半の体感ゲーム機、
メガドライブでは、相変わらずトンデモないほどの大量のタイトルを同時進行で作らされながらも、
かなりの高いクオリティーのゲームを送り出していました。
社内での待遇や、殺人的な仕事量を別にすれば、ある意味で開発部隊の黄金期だったのかも知れませんよね・・・。
ゲームギアは、色んな意味でネオジオポケットでしたね(笑
海外のジェネシスの検討も、セガ上層部が優れていたわけではなく、
現地のサードパーティソフトハウスが、ATARI魂やAMIGA魂を炸裂させた結果だと思います。
そして、サターン。私はこの機種あたりでセガマニアを卒業してしまいました。
ライバル機種、初代プレステの設計思想が、当時のLSI設計製造技術の限界まで使いこなし、
的確過ぎていたのは事実ですが、
それとは関係無く、サターンはハードの設計思想がダメ過ぎです。
大げさでは無く、私は、発売前にゲーム雑誌
Re:セガとMY青春。 (スコア:1, 興味深い)
言い返す詞もない(返さなくても良い)
でも、内情はそりゃ酷い物でしたよ。
ええ、DC時代のCOOと営業系の役員の無軌道な発言とかを漁って頂ければ、その無軌道さいくらか判って頂けるかと。
#今はなき、ゲーム業界残酷物語が現役なら燃料大量投下できそうな
#もとセガの中の人
Re:パチスロ屋よりもマイクロソフト・・・ (スコア:0)
#バブル期はうはうはだったんすけどね(笑
#みんな今頃なにやってんだろうなぁ~