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そもそも、尿の混ざった水を飲みたくないという気持ちは、科学とは関係なく、心理的なもの。
それに対して科学的ではないといって、何か反論になるのだろうか。
定量的にいえば、ものすごく薄められているし、他に同程度の汚染はあるに決まっているとは思ったが。
それとその水を飲みたいかどうかはほぼ無関係。放尿されたという知識があって、それを薄めた水が水が目の前にある。それだけの話であって、科学が関与する余地はない。
とはいえまあ裁判になれば、科学的ではないと反論はされるだろうが。訴えなければよかったのに。
こちらで想像するのよりも意外と、海の向こうではホメオパシーが科学として受け入れられているのかもしれません。
「尿を10^100000回希釈した?でも、『尿であった記憶』は受け継がれているのです! これを飲めば、し尿による食中毒が防げるのです。なあに、かえって免疫がつく」
あれ、何かねじまがった。
池に毎朝「ありがとう」と声を掛けて、きれいな言葉を書いた棒でかき混ぜればきっとOK#池からの伝言
"あるお寺の住職の話「汚いですが、コップにおしっこをしてからそのコップをきれいになるまでよく洗います。その後そのコップにお茶を注ぎ、飲む。この時に感じてしまう心理的抵抗が『穢れ』の本質なんです。おしっこがコップに残ってなくても感じてしまう。この『穢れ』が様々な差別につながってきた」"
知らぬが仏
坊主の屁理屈
民の思考停止
便器の形の皿で抵抗なくカレーが食えるかどうかと同じだろ。
いくらきれいなものでも排泄物を連想させるもので食事をしたくない人は多いハズ。
さらに、カレーを便器皿で食べるのは絶対に嫌だという人は、便器皿カレーを食べている人に近寄るのも嫌なんじゃないの?
# 画像検索してみたらたくさん出てきた。
それ、ひろちさやだったと思うから坊さんじゃないよ。般若心経の不垢不浄の説明だったはず。
さらに言うと穢れは民俗学と神道の言葉だ。そしてそんな安直に差別なんていう剣呑な言葉を使うのはどんな坊主だ。
貯水池の水だという大雑把な平等や、尿の混じった水だという大雑把な差別を振りかざす事無く、飲む人の気持ちを考えて貯水池の水を入れ替えた行政は細やかで良いし、パーセンテージを説いて飲んでしまった人の心のケアをする科学者も立派じゃないか。
「穢れ」も「差別」も、一般人が一般的に使う言葉ですよね。一般人相手に話すときは、一般人が使う言葉を使っていいのでは。
民俗学や神道ではもっと厳密な定義があるのかもしれませんが。むしろ、神道では「穢れ」の存在を肯定し「穢れ」たとされる人を積極的に差別する方向に行く可能性もあるので、それに対して異を唱えるというのは、あってもいいと思います。
「穢れ」なんて言葉が一般人の会話にのぼることはない
ひろさちや
けぶんりっじ だがいく
「ドイツ流合理主義」の話で、ドイツ人は自宅で便壷として使っていた容器を洗浄し煮沸消毒すれば平気で調理に使える、というのがありました。本当かどうかはわかりませんが。「穢れ」意識は、文化によってもだいぶ違うのでしょうね。
飛行機を怖がる人に,車に乗る方が危ないとか一生懸命説明する人と同じ雰囲気ですよね.
メーデーアワー見てると、航空機は事故って当たり前って気になってくるよ
室内に居るのは、もっと危険だぞ!
死ぬ確率から言ったら病院以上のところはない。
心理的な抵抗感やその影響も十分科学的な話題だとも思うんですけどね。
疫学的影響度合いだけが科学でもないでしょうし。
科学に基づかないものを根拠に非難すると、最低限必要な公平性の担保がすごく難しくなる。それは、もっと大きなレイヤでの社会科学的に受け入れ辛い結果になると思うよ。魔女狩りとか民族浄化とか、一部の人間の(本来的な意味で)恣意的な判断によるわけで、そういう過ちを避けるためには「とりあえず科学の客観性に従う」っていうのは、社会が取りうる態度の中では最上のものだと思う。例えその判断が誤りだとしても、その錯誤の罪を純粋な科学的知識だけに着せることができるからね。
愛国無罪とか、我々の社会には、公平性を損なうことを担保する仕組みがた
極限環境における宇宙飛行士なみの水準を一般市民の一般社会にひろく求めるというのも社会学的にどうかという話ができそうな。
同意。気分が悪い。それで十分。科学的である必要なんかない。
不動産で事故物件が安くなるのと同じだ。
基本は気分の問題だというのはそのとおりだと思うけど、あまりにも科学的に意味のない気分を認めていると際限がないです。魔女狩りの時代に生きてるんじゃないのだから、事実に基づいて気分の方を変える努力もしなきゃと思います。
不動産の事故物件は、事故物件は気分が悪いから安くなるのではなくて、事故物件は気分が悪いからと言う人が多くて売れにくいから安くなるわけです。自分の気分は(科学的ではない考えに基づいていると納得できれば)変えられる可能性があるけど、多くの客(他人)が気分が悪いと言っているというのは変えようのない客観的事実ですから。でも、だからといって自分の気分が悪いのを認めろという主張が通るかどうかは別の話。
水道の客の多くが気分が悪いのだから、水道屋はその水を捨てて、その分の費用は小便した奴に請求すればいいんじゃないかな。
借家で自殺があったら大家は遺族に賠償請求できるでしょ?
請求するのは勝手だが、回収できるかは別の問題だ。
まぁ、保険会社が負担すると踏んだからこういう行動にでたんだろう。ついでに泥サライでもしておけば費用縮減になる。
小売店やってて泥棒に入ってもらえると、保険会社負担で売れ残りの在庫まで一掃できてラッキーってのはよくある話。
借家は自由競争経済だから、自殺によって客が寄りつかなくなったり家賃を下げざるを得なくなれば大家は損害を受ける。だから賠償請求できる。
一方、水道局はどんな損害を受けた?水を入れ替えたのは、住民からの苦情によるとはいえ、最終的には水道局の判断だし。水を入れ替えなければ住民が他の水道会社に逃げてしまうということもないだろうし、水の消費量が減ったところで、営利企業じゃないからべつに損害にはならないし。
住民は、損害を受けたと主張するかもしれない。ただし客観的な損害はなにもなくて、気分を害されたというだけだけど。
>科学的である必要なんかない。これは同意したうえで、
「科学的に問題ない」ってのもどうかと思う。たとえば、放尿した人間が伝染病患者で、尿をもとに感染する可能性は?
希釈したら絶対に感染しないのか?とかそういう話もあるんでない?
まぁ、そもそも「処理済みの浄水池にふつうにはいれて屋根も何もない時点でどうよ」
って水道局側の問題がある気がするが
その指摘に対する答えは、元記事で、科学的に答えてありますね。
絶対にって。
100%どうこうとか考える考え方がそもそも科学的でない。
必ずしも科学的である必要がないというのには同意しますが、、「気分が悪くなるなら何でもNG」になるのなら、今回の件は「尿より死骸のほうが心理的に好ましい」とならない限り、貯水池そのものを廃止すべき、という話になるでしょう。
で、それは現実的に解決可能な問題なのでしょうか?全ての物事にそれを当てはめたら、今の私達の生活は到底維持できませんよ?
「これは新品の便器ですが、便器の水を飲むことができますか?」ってやつね自分はもちろんできない 新品だろうが除菌されていようが便器に溜まっている水は飲めない突き詰めていくと尿は無菌だから直接飲むぶんには問題ない とか鼻くそはもともと自分の鼻水なんだから食べても問題ない とかそういう次元の話になっていってキリがない潔癖症でない限り 希釈された汚物を怖がったらプールや温泉にすら入るどころか水道水も飲めないと思うけどひとはそれぞれ適当なところで常識というラインで線引してて定量化できる問題ではないと思う
飲食業界なんかだと、ホルモンの下処理に市販の洗濯機(もちろん新品のやつ買ってきて、それで服は洗わない)使うこととか結構珍しくないけど。そーゆーのも食べられないってこと?
腸の中身がアレだから、洗濯機の影響は微々たるモノのハズ。
洗濯機と便器では心理的な汚さに越えられない壁があると我輩は思ふ
「これは新品の便器ですが、便器の水を飲むことができますか?」ってやつね
マルセル・デュシャンかw
>ポートランドでは同様の事件がたびたび起こっているそうで、
もしかして現代美術の芸術家運動だったりするのか?www
犬が飲んじゃいますねえ。ぐぐったら記事まで出てきましたよ。
http://www.annarbor.com/pets/dogs-cats-pets-drinking-from-toilet-water/ [annarbor.com]https://www.youtube.com/watch?v=WKzs3qHPzvo [youtube.com]
便器に座りながら、便器(に模した器)に盛られたカレーを食うやつはいるよ。
湯船の中で放尿した事は有るけど、湯船の外から湯船に向かって放尿は出来ない、みたいな事か。
そうだ!そうだ!科学的というからには 尿:水 の比率がどれぐらいから尿とよばれ、どれぐらいから水と呼ばれるかまずはその線引きをはっきりさせてもらおうではないか!
#後から添加したら原材料に記票するのかという問題もあったか?
心理的なものが問題というなら、尿を混ぜたことではなくてそれを公表した側に問題があるのでしょう。普段から動物の糞尿や死骸が混入しても「心理的に問題が無い」のは、その事実が公表されていないからなわけで。
公表されていなくても、「その可能性があるかもしれない、いや筋道立てて考えればあるはず」と気付いた瞬間から、心理的な抵抗が生じてしまうかもしれません。
資源は有限だから、「心理的に嫌」というだけで対応するのは未開な国ですよ。だいたい、あんたら、いつも科学的根拠がどーのこーのって騒いでんじゃんよ。
杯への排尿行為は器物損壊罪に当たるというアレですね。物理的に物の効用を毀損する行為ではないけど、心理的側面が重視され・・・
「尿が完全に無毒にできる薬品」というのを同じ量投入したと発表すればいいのでは?科学的には、その薬品もおそらくなんの意味もないけど、気分には効く。
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※ただしPHPを除く -- あるAdmin
科学的である必要があるのか (スコア:5, すばらしい洞察)
そもそも、尿の混ざった水を飲みたくないという気持ちは、
科学とは関係なく、心理的なもの。
それに対して科学的ではないといって、
何か反論になるのだろうか。
定量的にいえば、ものすごく薄められているし、
他に同程度の汚染はあるに決まっているとは思ったが。
それとその水を飲みたいかどうかはほぼ無関係。
放尿されたという知識があって、
それを薄めた水が水が目の前にある。
それだけの話であって、科学が関与する余地はない。
とはいえまあ裁判になれば、科学的ではないと反論はされるだろうが。
訴えなければよかったのに。
Re:科学的である必要があるのか (スコア:5, おもしろおかしい)
こちらで想像するのよりも意外と、海の向こうではホメオパシーが科学として受け入れられているのかもしれません。
「尿を10^100000回希釈した?でも、『尿であった記憶』は受け継がれているのです!
これを飲めば、し尿による食中毒が防げるのです。なあに、かえって免疫がつく」
あれ、何かねじまがった。
Re:科学的である必要があるのか (スコア:5, おもしろおかしい)
池に毎朝「ありがとう」と声を掛けて、きれいな言葉を書いた棒でかき混ぜればきっとOK
#池からの伝言
Re:科学的である必要があるのか (スコア:1)
Re:科学的である必要があるのか (スコア:5, 興味深い)
"あるお寺の住職の話「汚いですが、コップにおしっこをしてからそのコップをきれいになるまでよく洗います。
その後そのコップにお茶を注ぎ、飲む。この時に感じてしまう心理的抵抗が『穢れ』の本質なんです。
おしっこがコップに残ってなくても感じてしまう。この『穢れ』が様々な差別につながってきた」"
Re:科学的である必要があるのか (スコア:1)
知らぬが仏
Re: (スコア:0)
坊主の屁理屈
Re:科学的である必要があるのか (スコア:1)
民の思考停止
Re:科学的である必要があるのか (スコア:1)
Re: (スコア:0)
便器の形の皿で抵抗なくカレーが食えるかどうかと同じだろ。
いくらきれいなものでも排泄物を連想させるもので食事を
したくない人は多いハズ。
さらに、カレーを便器皿で食べるのは絶対に嫌だという人は、
便器皿カレーを食べている人に近寄るのも嫌なんじゃないの?
# 画像検索してみたらたくさん出てきた。
Re: (スコア:0)
それ、ひろちさやだったと思うから坊さんじゃないよ。
般若心経の不垢不浄の説明だったはず。
さらに言うと穢れは民俗学と神道の言葉だ。
そしてそんな安直に差別なんていう剣呑な言葉を使うのはどんな坊主だ。
貯水池の水だという大雑把な平等や、尿の混じった水だという大雑把な差別を振りかざす事無く、
飲む人の気持ちを考えて貯水池の水を入れ替えた行政は細やかで良いし、
パーセンテージを説いて飲んでしまった人の心のケアをする科学者も立派じゃないか。
Re: (スコア:0)
まあこの場合仏教にはない一般的な語としての穢れだと思うけど
例えば穢多って言葉や概念に対する批判でしょうに。
Re: (スコア:0)
「穢れ」も「差別」も、一般人が一般的に使う言葉ですよね。
一般人相手に話すときは、一般人が使う言葉を使っていいのでは。
民俗学や神道ではもっと厳密な定義があるのかもしれませんが。
むしろ、神道では「穢れ」の存在を肯定し「穢れ」たとされる人を積極的に差別する方向に行く可能性もあるので、
それに対して異を唱えるというのは、あってもいいと思います。
Re: (スコア:0)
「穢れ」なんて言葉が一般人の会話にのぼることはない
Re: (スコア:0)
ひろさちや
けぶんりっじ だがいく
Re: (スコア:0)
「ドイツ流合理主義」の話で、ドイツ人は自宅で便壷として使っていた容器を洗浄し煮沸消毒すれば平気で調理に使える、というのがありました。
本当かどうかはわかりませんが。
「穢れ」意識は、文化によってもだいぶ違うのでしょうね。
Re:科学的である必要があるのか (スコア:4, すばらしい洞察)
飛行機を怖がる人に,車に乗る方が危ないとか一生懸命説明する人と同じ雰囲気ですよね.
ナショジオ (スコア:0)
メーデーアワー見てると、
航空機は事故って当たり前って気になってくるよ
Re: (スコア:0)
Re:ナショジオ (スコア:3)
室内に居るのは、もっと危険だぞ!
Re: (スコア:0)
死ぬ確率から言ったら病院以上のところはない。
Re:科学的である必要があるのか (スコア:2)
心理的な抵抗感やその影響も十分科学的な話題だとも思うんですけどね。
疫学的影響度合いだけが科学でもないでしょうし。
Re: (スコア:0)
科学に基づかないものを根拠に非難すると、最低限必要な公平性の担保がすごく難しくなる。それは、もっと大きなレイヤでの社会科学的に受け入れ辛い結果になると思うよ。魔女狩りとか民族浄化とか、一部の人間の(本来的な意味で)恣意的な判断によるわけで、そういう過ちを避けるためには「とりあえず科学の客観性に従う」っていうのは、社会が取りうる態度の中では最上のものだと思う。例えその判断が誤りだとしても、その錯誤の罪を純粋な科学的知識だけに着せることができるからね。
愛国無罪とか、我々の社会には、公平性を損なうことを担保する仕組みがた
Re:科学的である必要があるのか (スコア:2)
極限環境における宇宙飛行士なみの水準を一般市民の一般社会にひろく求めるというのも
社会学的にどうかという話ができそうな。
Re:科学的である必要があるのか (スコア:1)
Re: (スコア:0)
同意。
気分が悪い。それで十分。
科学的である必要なんかない。
不動産で事故物件が安くなるのと同じだ。
Re:科学的である必要があるのか (スコア:2, すばらしい洞察)
基本は気分の問題だというのはそのとおりだと思うけど、
あまりにも科学的に意味のない気分を認めていると際限がないです。
魔女狩りの時代に生きてるんじゃないのだから、事実に基づいて気分の方を変える努力もしなきゃと思います。
不動産の事故物件は、事故物件は気分が悪いから安くなるのではなくて、
事故物件は気分が悪いからと言う人が多くて売れにくいから安くなるわけです。
自分の気分は(科学的ではない考えに基づいていると納得できれば)変えられる可能性があるけど、
多くの客(他人)が気分が悪いと言っているというのは変えようのない客観的事実ですから。
でも、だからといって自分の気分が悪いのを認めろという主張が通るかどうかは別の話。
Re: (スコア:0)
水道の客の多くが気分が悪いのだから、
水道屋はその水を捨てて、その分の費用は
小便した奴に請求すればいいんじゃないかな。
借家で自殺があったら大家は遺族に賠償請求できるでしょ?
Re:科学的である必要があるのか (スコア:1)
請求するのは勝手だが、回収できるかは別の問題だ。
まぁ、保険会社が負担すると踏んだからこういう行動にでたんだろう。
ついでに泥サライでもしておけば費用縮減になる。
小売店やってて泥棒に入ってもらえると、保険会社負担で
売れ残りの在庫まで一掃できてラッキーってのはよくある話。
Re: (スコア:0)
借家は自由競争経済だから、自殺によって客が寄りつかなくなったり家賃を下げざるを得なくなれば大家は損害を受ける。
だから賠償請求できる。
一方、水道局はどんな損害を受けた?
水を入れ替えたのは、住民からの苦情によるとはいえ、最終的には水道局の判断だし。
水を入れ替えなければ住民が他の水道会社に逃げてしまうということもないだろうし、
水の消費量が減ったところで、営利企業じゃないからべつに損害にはならないし。
住民は、損害を受けたと主張するかもしれない。
ただし客観的な損害はなにもなくて、気分を害されたというだけだけど。
Re: (スコア:0)
>科学的である必要なんかない。
これは同意したうえで、
「科学的に問題ない」ってのもどうかと思う。
たとえば、放尿した人間が伝染病患者で、尿をもとに感染する可能性は?
希釈したら絶対に感染しないのか?
とかそういう話もあるんでない?
まぁ、そもそも「処理済みの浄水池にふつうにはいれて屋根も何もない時点でどうよ」
って水道局側の問題がある気がするが
Re:科学的である必要があるのか (スコア:1)
その指摘に対する答えは、
元記事で、科学的に答えてありますね。
Re: (スコア:0)
絶対にって。
100%どうこうとか考える考え方がそもそも科学的でない。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
必ずしも科学的である必要がないというのには同意しますが、、
「気分が悪くなるなら何でもNG」になるのなら、今回の件は「尿より死骸のほうが心理的に好ましい」
とならない限り、貯水池そのものを廃止すべき、という話になるでしょう。
で、それは現実的に解決可能な問題なのでしょうか?
全ての物事にそれを当てはめたら、今の私達の生活は到底維持できませんよ?
Re: (スコア:0)
「これは新品の便器ですが、便器の水を飲むことができますか?」
ってやつね
自分はもちろんできない 新品だろうが除菌されていようが便器に溜まっている水は飲めない
突き詰めていくと
尿は無菌だから直接飲むぶんには問題ない とか
鼻くそはもともと自分の鼻水なんだから食べても問題ない とか
そういう次元の話になっていってキリがない
潔癖症でない限り 希釈された汚物を怖がったらプールや温泉にすら入るどころか水道水も飲めないと思うけど
ひとはそれぞれ適当なところで常識というラインで線引してて定量化できる問題ではないと思う
Re:科学的である必要があるのか (スコア:1)
飲食業界なんかだと、ホルモンの下処理に市販の洗濯機(もちろん新品のやつ買ってきて、それで服は洗わない)使うこととか結構珍しくないけど。
そーゆーのも食べられないってこと?
Re:科学的である必要があるのか (スコア:3)
腸の中身がアレだから、洗濯機の影響は微々たるモノのハズ。
Re: (スコア:0)
洗濯機と便器では心理的な汚さに越えられない壁があると我輩は思ふ
Re: (スコア:0)
コインランドリーの洗濯機型のコップとか皿(あるかどうか知らない)に飲み物や食べ物入っていても抵抗なく食べれる気がする。でも知らない灰色なジュースだったら無理かも。
洗濯機の方が外見いいという差かなぁ。
Re: (スコア:0)
「これは新品の便器ですが、便器の水を飲むことができますか?」
ってやつね
マルセル・デュシャンかw
>ポートランドでは同様の事件がたびたび起こっているそうで、
もしかして現代美術の芸術家運動だったりするのか?www
Re: (スコア:0)
犬が飲んじゃいますねえ。ぐぐったら記事まで出てきましたよ。
http://www.annarbor.com/pets/dogs-cats-pets-drinking-from-toilet-water/ [annarbor.com]
https://www.youtube.com/watch?v=WKzs3qHPzvo [youtube.com]
Re: (スコア:0)
便器に座りながら、便器(に模した器)に盛られたカレーを食うやつはいるよ。
Re: (スコア:0)
湯船の中で放尿した事は有るけど、湯船の外から湯船に向かって放尿は出来ない、みたいな事か。
Re: (スコア:0)
そうだ!そうだ!
科学的というからには 尿:水 の比率がどれぐらいから尿とよばれ、どれぐらいから水と呼ばれるか
まずはその線引きをはっきりさせてもらおうではないか!
#後から添加したら原材料に記票するのかという問題もあったか?
Re: (スコア:0)
心理的なものが問題というなら、尿を混ぜたことではなくてそれを公表した側に問題があるのでしょう。
普段から動物の糞尿や死骸が混入しても「心理的に問題が無い」のは、その事実が公表されていないからなわけで。
Re: (スコア:0)
公表されていなくても、「その可能性があるかもしれない、いや筋道立てて考えればあるはず」と気付いた瞬間から、心理的な抵抗が生じてしまうかもしれません。
Re: (スコア:0)
資源は有限だから、「心理的に嫌」というだけで対応するのは未開な国ですよ。
だいたい、あんたら、いつも科学的根拠がどーのこーのって騒いでんじゃんよ。
Re: (スコア:0)
杯への排尿行為は器物損壊罪に当たるというアレですね。
物理的に物の効用を毀損する行為ではないけど、心理的側面が重視され・・・
Re: (スコア:0)
「尿が完全に無毒にできる薬品」というのを同じ量投入したと発表すればいいのでは?
科学的には、その薬品もおそらくなんの意味もないけど、気分には効く。