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科学というツールには皆頼っている気がします。ただ、時により、場合により、立場により、使い分けているということではないかと思います。科学というツールの利用目的の類型としては、①好奇心を満たすためのツールとして (今、直接役には立たない基礎科学領域なんかがそれ)②観念では把握しずらい事柄を受け止めるためのツールとして (一見不思議だが、○○の原則を考慮すれば理解できる)③自説の説得力を高めるための拠り所として (キミの説は間違っている。科学の論理ではこうなる)④飯の種とかその他もろもろ などか挙げられるように思います。
「俺は科学を信じない」という言動は②及び③の複合型の類型といえば説明できるように思います。東日本大震災に絡んで起きた、とても納得し難い事象に対して、科学的説明をそのまま受け入れてしまうと、感情的に受け入れ可能なキャパシティを超えてしまう場合に「俺は信じない」と言ってしまうパターンとか、科学的説明によって言いくるめられてしまうことを恐れ、「俺は信じない」ゾーンに退避することで、とりあえず身を守るパターンがあるように思います。まあ、人間ですから、世の中のすべての事象を科学的に知っているわけでもなく、受け入れられる事実のキャパシティにも限りがある弱い存在だと思うので、それなりに認めてあげる必要があり、翻って自分を見つめなおすと、図らずも「俺は信じないゾーン」に自分も入り込んでいることに気付いたりもします。
今、「科学で解決できるはずだったのに」と悲観している人はかなりいると思います。しかし、その人たちも科学を否定しているわけではないと思います。福島第一発電所で水素爆発などが起きているとき、「科学を(というか科学者を)信じられない」と言いつつも、ローテクな方法による解決手段の解説などがあると「もっと科学的解決法はないの?」という人がいたりして、なるほどねぇ~、と感心していました。結構科学は信じられています。その人にとって適切と思われる"科学"との距離が状況や環境によって変動しているだけだと思います。
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Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs
科学というツールの利用類型と距離 (スコア:0)
科学というツールには皆頼っている気がします。ただ、時により、場合により、立場により、使い分けているということではないかと思います。科学というツールの利用目的の類型としては、
①好奇心を満たすためのツールとして
(今、直接役には立たない基礎科学領域なんかがそれ)
②観念では把握しずらい事柄を受け止めるためのツールとして
(一見不思議だが、○○の原則を考慮すれば理解できる)
③自説の説得力を高めるための拠り所として
(キミの説は間違っている。科学の論理ではこうなる)
④飯の種とかその他もろもろ
などか挙げられるように思います。
「俺は科学を信じない」という言動は②及び③の複合型の類型といえば説明できるように思います。
東日本大震災に絡んで起きた、とても納得し難い事象に対して、科学的説明をそのまま受け入れてしまうと、感情的に受け入れ可能なキャパシティを超えてしまう場合に「俺は信じない」と言ってしまうパターンとか、科学的説明によって言いくるめられてしまうことを恐れ、「俺は信じない」ゾーンに退避することで、とりあえず身を守るパターンがあるように思います。
まあ、人間ですから、世の中のすべての事象を科学的に知っているわけでもなく、受け入れられる事実のキャパシティにも限りがある弱い存在だと思うので、それなりに認めてあげる必要があり、翻って自分を見つめなおすと、図らずも「俺は信じないゾーン」に自分も入り込んでいることに気付いたりもします。
今、「科学で解決できるはずだったのに」と悲観している人はかなりいると思います。しかし、その人たちも科学を否定しているわけではないと思います。
福島第一発電所で水素爆発などが起きているとき、「科学を(というか科学者を)信じられない」と言いつつも、ローテクな方法による解決手段の解説などがあると「もっと科学的解決法はないの?」という人がいたりして、なるほどねぇ~、と感心していました。結構科学は信じられています。
その人にとって適切と思われる"科学"との距離が状況や環境によって変動しているだけだと思います。