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いや、他人に喋らせたことを、自分らの都合のいいストーリーに「編集」しているので、雁屋氏や小学館の責任は重大ですよ。というか、たとえ、純粋なドキュメンタリとして作ったつもりでも、結局完成された作品は「製作者」の意思が反映するものです。
(もし、「発言者」に責任を押し付けて逃げるつもりなら「結局手前の考えだろ、逃げるな」と言ってあげましょう)
結局、いままでだれも取り上げなかったことを書いた。その意見が、たまたま主流派でなかった。それで主流派が反発。
言論の自由でしょ。弾圧する方が問題だとおもうぞ。
だれも「弾圧せよ」とはいっていないと思いますよ。雁屋氏や小学館が言論の自由を行使して、それに対し福島県や大阪市等も表現の自由を行使しているのであり、言論の自由は正常に機能しています。言論の自由とは、検閲を受けることなく自身の思想・良心を表明する自由をいいますが、今回、検閲により公権力が出版を差止めるべきだとの主張は、ありませんよね。
雁屋氏らに対し、自らの表現行為の責任をとるように求めることや、表現者に対し自ら表現を撤回するように求めることは、言論の自由を侵害することでも言論弾圧でもありません。
事実上の弾圧でしょう。政府が風評であると特定意見を決めつけて、その様な意見表明を否定する事は表現の自由を著しく侵害しています。特定の意見を表明する事と、特定の意見の表明を否定する事では同じ表現の自由としては大きく価値が違っている事、これを理解せずに表現の自由だと言い張る人が多いのが問題です。そもそも表現の自由が何故保護されるのかと言う事を考えれば、両者の違いは明白です。単純化すれば、正しい意見という物がなんなのか分からないから出来るだけ多様な意見を持てる環境を作ろう、と言うのが表現の自由の根本的な考え方です。つまり、社会で語られる意見の多様性を促進する意見表明と、単に他者の意見表明を否定し意見の多様性を失わせる意見表明では、同じように表現の自由だから保護されるんだとは言えないのです。その意味では、政府が特定の見解はよろしくないと決めつけて、その見解に対して殊更科学的根拠を要求であるとか遺憾の表明などを行う事は許されません。政府に目を付けられる様な意見を表明すると様々な圧力がかかる可能性があると言うのは、明らかに意見表明を躊躇させる方向に作用します。例え中立的な政府としての見解の表明なども、議論となる分野に関しては影響力を考えて出来るだけ控えるのが常識的な対応でしょう。ましてや、特定の意見表明に対して名指しで自治体が抗議するなどは表現の自由を正面から否定しています。そもそも、間違った意見であるのならば、表現の自由が守られてる社会においては別の意見によって否定されます。そこにあえて政府が出て行って正しい意見とやらを押しつける必要はありません。もしも、自由な議論を許しては間違った意見がまかり通る事になる、などと考えるのならばその考え方は表現の自由の根本的な価値観と対立しています。
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Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
うまく書かれてますね (スコア:3)
実在の人物が危険性を主張し、架空の人物(作者)はその意見に対し感想を述べているにすぎません。
自身が考えているストーリーに沿った意見の人のみを取材し記事化するという
メディアの王道的な手法です。
実在の人物の意見について、雁屋氏や小学館に文句を付けるのはお門違いかなと。また意見を言っている人の立場もそれなりの人たちばかりですから、意見を取り上げたことの責任を問うのも妥当とは思えませんねえ。
Re: (スコア:3, すばらしい洞察)
いや、他人に喋らせたことを、自分らの都合のいいストーリーに「編集」しているので、雁屋氏や小学館の責任は重大ですよ。
というか、たとえ、純粋なドキュメンタリとして作ったつもりでも、結局完成された作品は「製作者」の意思が反映するものです。
(もし、「発言者」に責任を押し付けて逃げるつもりなら「結局手前の考えだろ、逃げるな」と言ってあげましょう)
Re: (スコア:0)
結局、いままでだれも取り上げなかったことを書いた。
その意見が、たまたま主流派でなかった。
それで主流派が反発。
言論の自由でしょ。弾圧する方が問題だとおもうぞ。
Re: (スコア:2)
だれも「弾圧せよ」とはいっていないと思いますよ。
雁屋氏や小学館が言論の自由を行使して、それに対し福島県や大阪市等も表現の自由を行使しているのであり、言論の自由は正常に機能しています。
言論の自由とは、検閲を受けることなく自身の思想・良心を表明する自由をいいますが、今回、検閲により公権力が出版を差止めるべきだとの主張は、ありませんよね。
雁屋氏らに対し、自らの表現行為の責任をとるように求めることや、表現者に対し自ら表現を撤回するように求めることは、言論の自由を侵害することでも言論弾圧でもありません。
Re:うまく書かれてますね (スコア:0)
事実上の弾圧でしょう。
政府が風評であると特定意見を決めつけて、その様な意見表明を否定する事は表現の自由を著しく侵害しています。
特定の意見を表明する事と、特定の意見の表明を否定する事では同じ表現の自由としては大きく価値が違っている事、
これを理解せずに表現の自由だと言い張る人が多いのが問題です。
そもそも表現の自由が何故保護されるのかと言う事を考えれば、両者の違いは明白です。
単純化すれば、正しい意見という物がなんなのか分からないから出来るだけ多様な意見を持てる環境を作ろう、
と言うのが表現の自由の根本的な考え方です。
つまり、社会で語られる意見の多様性を促進する意見表明と、単に他者の意見表明を否定し意見の多様性を失わせる
意見表明では、同じように表現の自由だから保護されるんだとは言えないのです。
その意味では、政府が特定の見解はよろしくないと決めつけて、その見解に対して殊更科学的根拠を要求であるとか
遺憾の表明などを行う事は許されません。
政府に目を付けられる様な意見を表明すると様々な圧力がかかる可能性があると言うのは、明らかに意見表明を
躊躇させる方向に作用します。
例え中立的な政府としての見解の表明なども、議論となる分野に関しては影響力を考えて出来るだけ控えるのが常識的な対応でしょう。
ましてや、特定の意見表明に対して名指しで自治体が抗議するなどは表現の自由を正面から否定しています。
そもそも、間違った意見であるのならば、表現の自由が守られてる社会においては別の意見によって否定されます。
そこにあえて政府が出て行って正しい意見とやらを押しつける必要はありません。
もしも、自由な議論を許しては間違った意見がまかり通る事になる、などと考えるのならばその考え方は表現の自由の根本的な
価値観と対立しています。