アカウント名:
パスワード:
教職の残業代未払い問題→残業代ゼロ→義務教育制度改造→・・・・
なんか迷子になっていこうと努力しているように思える。まずは教職のブラック具合を改善すべし。
> まずは教職のブラック具合を改善すべし。
幼保五歳の義務教育化の理由が「新1年生が学校のやり方になじめず、教員の話を聞かないなど「小1プロブレム」が課題になっている」からというのは、小学校教員の負荷軽減のための導入と言えるんじゃないですかね。
あと、「教科担任制を導入」というのも、その方向でしょう。ストーリーのリンク先記事によると「小学校から教科担任制を導入して算数や英語などの専門教育が可能となる」んだそうです。
今でも音楽なんかは教科担任になってるところが多いと思いますが、算数や英語などの教育難易度が高い科目を教科担任制にすれば、学級担任な教員の負荷は下げられると思います。
妻が公立小学校の教諭をやってますが、まーかなりブラックですね。週末も自宅で授業準備してるし。そうしないと準備が追いつかない。で、その準備時間のだいたい4割が国語の準備、4割が算数の準備、残り2割がそれ以外の教科って感じですね。算数と国語の授業準備は負荷がかなり重い。なので、算数だけでも準備しなくてよくなれば、かなりの楽になると思います。
教科担任のほうがコストが低いというのは、小学校教育においてはまず間違い。たとえば、算数の理解度が低いからといって、算数の能力不足なのか、それとも国語の能力不足なのか、あるいは科学的興味が不十分なのか、あるいは特定の科目の苦手意識から勉強嫌いに陥っているのか、友人関係の中になんらかのかけひきがあるのか、というのは、小学生においてはただちに言えるものではない。
これを切り離して考えること自体極めて難しいが、むりやり実行するとすれば、それぞれの教科担当者が生徒1人1人をとりあげて議論を行う時間を別途設けないといけなくなる。一ヶ月に一度児童ひとりあたりわずか5分間の議論をするとしても、300人いたら25時間必要になる。そして現状以上に断片的な観察とわずか5分の議論で子供の特性を見いだせるほどコミュニケーション能力のある教員がどれだけ存在するのか、という問題になる。そんな余裕は今の教育現場にはない。仮に数年掛けて業務フローがうまくいくように改善されていったとしても、その数年間の過渡期において、数十万人の子供達が犠牲になるだろう。
測定不能な「負荷軽減」じゃなくて、とりあえず負荷を適切に測定できるようにするべき。民間企業であれば、まずは残業代が支払われるべきで、残業代のコストが上昇してしまえば、新しい職員を雇わなければならない、そのとき財源が存在するのか、他の選択肢はないのか、という話になる。それでようやく責任範囲が明確になっていくわけだ。とりあえず労働者側に負担を押しつけて「負荷軽減」を試みられたんじゃ、教師も子供達も親もたまらない。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
なんか複雑にし過ぎ (スコア:1)
教職の残業代未払い問題→残業代ゼロ→義務教育制度改造→・・・・
なんか迷子になっていこうと努力しているように思える。
まずは教職のブラック具合を改善すべし。
Re: (スコア:5, 興味深い)
> まずは教職のブラック具合を改善すべし。
幼保五歳の義務教育化の理由が「新1年生が学校のやり方になじめず、教員の話を聞かないなど「小1プロブレム」が課題になっている」からというのは、小学校教員の負荷軽減のための導入と言えるんじゃないですかね。
あと、「教科担任制を導入」というのも、その方向でしょう。ストーリーのリンク先記事によると「小学校から教科担任制を導入して算数や英語などの専門教育が可能となる」んだそうです。
今でも音楽なんかは教科担任になってるところが多いと思いますが、算数や英語などの教育難易度が高い科目を教科担任制にすれば、学級担任な教員の負荷は下げられると思います。
妻が公立小学校の教諭をやってますが、まーかなりブラックですね。週末も自宅で授業準備してるし。そうしないと準備が追いつかない。
で、その準備時間のだいたい4割が国語の準備、4割が算数の準備、残り2割がそれ以外の教科って感じですね。算数と国語の授業準備は負荷がかなり重い。なので、算数だけでも準備しなくてよくなれば、かなりの楽になると思います。
Re:なんか複雑にし過ぎ (スコア:0)
教科担任のほうがコストが低いというのは、小学校教育においてはまず間違い。たとえば、算数の理解度が低いからといって、算数の能力不足なのか、それとも国語の能力不足なのか、あるいは科学的興味が不十分なのか、あるいは特定の科目の苦手意識から勉強嫌いに陥っているのか、友人関係の中になんらかのかけひきがあるのか、というのは、小学生においてはただちに言えるものではない。
これを切り離して考えること自体極めて難しいが、むりやり実行するとすれば、それぞれの教科担当者が生徒1人1人をとりあげて議論を行う時間を別途設けないといけなくなる。一ヶ月に一度児童ひとりあたりわずか5分間の議論をするとしても、300人いたら25時間必要になる。そして現状以上に断片的な観察とわずか5分の議論で子供の特性を見いだせるほどコミュニケーション能力のある教員がどれだけ存在するのか、という問題になる。そんな余裕は今の教育現場にはない。仮に数年掛けて業務フローがうまくいくように改善されていったとしても、その数年間の過渡期において、数十万人の子供達が犠牲になるだろう。
測定不能な「負荷軽減」じゃなくて、とりあえず負荷を適切に測定できるようにするべき。民間企業であれば、まずは残業代が支払われるべきで、残業代のコストが上昇してしまえば、新しい職員を雇わなければならない、そのとき財源が存在するのか、他の選択肢はないのか、という話になる。それでようやく責任範囲が明確になっていくわけだ。とりあえず労働者側に負担を押しつけて「負荷軽減」を試みられたんじゃ、教師も子供達も親もたまらない。