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>一方、集団的自衛権を認めると、米国の戦争に加担させられてしまう、と考える人達もいる。>そう言う人達の多くは、所謂護憲派である。>護憲派の多くは、自衛隊などなくても、日本が侵略されることはない、と言っている。
>この日記は、護憲派の中に存在する一部の極愚かな人々を論うためのものだ。
「所謂護憲派」「護憲派の多く」と「護憲派の中に存在する一部」のどちらでしょうか?一部の護憲派の主張を以って、護憲派の多くを非難しているように見えてしまいます。
「自衛隊などなくても、日本が侵略されることはない、と考える人達」とは、具体的には誰を想定しているのでしょうか。一昔前の左翼思想に取り憑かれた人達がいて、その人達を非難するのは理解できるのですが、それを「所謂護憲派」と呼ぶのはアンフェアに思えます。
ちなみに、共産党ですら、「アジアの平和情勢の成熟と国民の合意の成熟」が自衛隊の解消の前提になるとしています。http://www.jcp.or.jp/jcp/21th-kaigi/21-7tyuso/201001_n_fuwa.html [jcp.or.jp]
一部の護憲派の主張を以って、護憲派の多くを非難しているように見えてしまいます。
そんなつもりはない。護憲葉の中にも、現実的な人達はいる。
しかしながら彼らは、現時点の論理矛盾を無視するという不誠実な人達だ。あるいは、無視する代わりに、難解な理屈をこねくり回して誤魔化している。私はそんな不誠実な態度を、理解はするが、認めない。
逆に、戦争をしないためなら、他国から侵略されても構わない、という人達の方がずっと誠実だ。私はその誠実さを認める。賛成はしないが。
そもそも、九条の非武装平和主義という理想が、本当に正しいのなら(私は正しいと考えている)、今九条を武装平和主義に改正して、条件が整った時点で、非武装平和主義に戻すことだって充分可能だろう。これを誠実な態度という。
自衛隊を違憲としながらも、その状態を容認するなどというのは、どんな理屈をこねくり回そうと、不誠実としか言いようがない。
そもそもが、護憲派・改憲派といいつつ第九条の話に矮小化している時点でどっちもアレなんですけど。
論理矛盾だろうが屁理屈だろうが、国益を守れる解釈がいい解釈なんだ。ってことではないですか。憲法に限らず法律は現状追認(否定的な場合も含む)で制定されるけれど、現実は法の制定を待たずに進むので、法律ってのは原理的に時代遅れであり、そのギャップをいかに埋めるかが【解釈】の腕の見せ所でしょ。
誠実とか不誠実とかは関係ありません。判断基準はあくまで有益か無益かですよ。
「有益か無益か」が重要なのはもちろん認めます。しかし、不誠実でいいとは考えません。日本は、国益さえ守れれば後はどうでもいいと言う不誠実な恥ずかしい国ではありません。
そこを選べる余裕があるなら、国益にかないかつ誠実な落としどころに持っていけばいいでしょう。
ただし、誠実・不誠実ってのは必ずしも【公正】な判断軸ではありませんから、不誠実を即、恥ずかしいなどという価値判断と直結させるのは好ましいことではないと考えます。
やっとそこにたどり着きましたか。最初からそういう話ですよ。
「【公正】」を明らかにしないかぎり、意味不明な言説ですね。
失礼しました。余計なワードを挟んでしまいましたが、要は【誠実】自体が意味不明じゃないのってことです。
【誠実な落としどころ】って、文化ベースが違う者同士で共有できるものなんでしょうか。定性的に「契約は守る」くらいまでなら共通認識にできそうだと思えますが、どこまで従えば「守った」と言えるのかは、結局わからんのですよ。
要は【誠実】自体が意味不明じゃないのってことです。
私の言う「誠実」は、理解できないほど難しいですか?私は、子供に説明して恥ずかしくないことを「誠実」と言っています。
例えば、自衛隊は違憲だが現時点で必要、と考えている場合、改憲を目指すのが「誠実」です。一方、改憲を目指さないのは「誠実」ではありません。
どちらにせよ、自衛隊は存続するでしょうから、国を防衛する、という国益は守られます。しかし、「誠実」か否かの差は大きいと考えています。子供に説明できませんから。
もちろん、国益の概念をすべて子供に理解させることは困難です。従って、必ずしも「誠実」だけで判断できるわけでもありません。
文化ベースが違う者同士で共有できるものなんでしょうか。
文化ベースが違う程度で共有できないほど難解な話はしていません。
ふむふむ、誠実であるかどうかは実はたいした問題ではありません。日本語には方便という言葉があります。 そして自衛隊は合憲です。何故なら、自衛権は、不磨の大典として、自然権として、憲法の規定如何に関わらず存在するからです。然もこの国の憲法では、前文に於いて、明らかに明確に、この国の生存権を宣言しています。 自衛隊は全くの疑いようもなく合憲、合法な存在です。 つまり自衛隊が違憲であるから改憲せよと言うという主張は、取りも直さず改憲して国防軍を持てと言うに等しいのです。そしてそれは、政府をして国民に、国防の義務を課すことを義務づける主張なのです。 国にの憲法の前文と9条は、この国を守る最強の武器たり得るのです。その説明はもうしてしまいましたがね。 この国は、憲法の前文と9条と自衛隊によって、世界で最も誠実な、平和主義を貫こうとする唯一の国です。
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藁人形論法? (スコア:1)
>一方、集団的自衛権を認めると、米国の戦争に加担させられてしまう、と考える人達もいる。
>そう言う人達の多くは、所謂護憲派である。
>護憲派の多くは、自衛隊などなくても、日本が侵略されることはない、と言っている。
>この日記は、護憲派の中に存在する一部の極愚かな人々を論うためのものだ。
「所謂護憲派」「護憲派の多く」と「護憲派の中に存在する一部」のどちらでしょうか?
一部の護憲派の主張を以って、護憲派の多くを非難しているように見えてしまいます。
「自衛隊などなくても、日本が侵略されることはない、と考える人達」とは、具体的には誰を想定しているのでしょうか。
一昔前の左翼思想に取り憑かれた人達がいて、その人達を非難するのは理解できるのですが、それを「所謂護憲派」と呼ぶのはアンフェアに思えます。
ちなみに、共産党ですら、「アジアの平和情勢の成熟と国民の合意の成熟」が自衛隊の解消の前提になるとしています。
http://www.jcp.or.jp/jcp/21th-kaigi/21-7tyuso/201001_n_fuwa.html [jcp.or.jp]
Re:藁人形論法? (スコア:1)
一部の護憲派の主張を以って、護憲派の多くを非難しているように見えてしまいます。
そんなつもりはない。
護憲葉の中にも、現実的な人達はいる。
しかしながら彼らは、現時点の論理矛盾を無視するという不誠実な人達だ。
あるいは、無視する代わりに、難解な理屈をこねくり回して誤魔化している。
私はそんな不誠実な態度を、理解はするが、認めない。
逆に、戦争をしないためなら、他国から侵略されても構わない、という人達の方がずっと誠実だ。
私はその誠実さを認める。
賛成はしないが。
そもそも、九条の非武装平和主義という理想が、本当に正しいのなら(私は正しいと考えている)、今九条を武装平和主義に改正して、条件が整った時点で、非武装平和主義に戻すことだって充分可能だろう。
これを誠実な態度という。
自衛隊を違憲としながらも、その状態を容認するなどというのは、どんな理屈をこねくり回そうと、不誠実としか言いようがない。
Re:藁人形論法? (スコア:1)
そもそもが、護憲派・改憲派といいつつ第九条の話に矮小化している時点でどっちもアレなんですけど。
論理矛盾だろうが屁理屈だろうが、国益を守れる解釈がいい解釈なんだ。ってことではないですか。
憲法に限らず法律は現状追認(否定的な場合も含む)で制定されるけれど、現実は法の制定を待たずに進むので、
法律ってのは原理的に時代遅れであり、そのギャップをいかに埋めるかが【解釈】の腕の見せ所でしょ。
誠実とか不誠実とかは関係ありません。判断基準はあくまで有益か無益かですよ。
Re:藁人形論法? (スコア:1)
誠実とか不誠実とかは関係ありません。判断基準はあくまで有益か無益かですよ。
「有益か無益か」が重要なのはもちろん認めます。
しかし、不誠実でいいとは考えません。
日本は、国益さえ守れれば後はどうでもいいと言う不誠実な恥ずかしい国ではありません。
Re:藁人形論法? (スコア:1)
そこを選べる余裕があるなら、国益にかないかつ誠実な落としどころに持っていけばいいでしょう。
ただし、誠実・不誠実ってのは必ずしも【公正】な判断軸ではありませんから、
不誠実を即、恥ずかしいなどという価値判断と直結させるのは好ましいことではないと考えます。
Re:藁人形論法? (スコア:1)
そこを選べる余裕があるなら、国益にかないかつ誠実な落としどころに持っていけばいいでしょう。
やっとそこにたどり着きましたか。最初からそういう話ですよ。
ただし、誠実・不誠実ってのは必ずしも【公正】な判断軸ではありませんから、不誠実を即、恥ずかしいなどという価値判断と直結させるのは好ましいことではないと考えます。
「【公正】」を明らかにしないかぎり、意味不明な言説ですね。
Re:藁人形論法? (スコア:1)
失礼しました。余計なワードを挟んでしまいましたが、要は【誠実】自体が意味不明じゃないのってことです。
【誠実な落としどころ】って、文化ベースが違う者同士で共有できるものなんでしょうか。
定性的に「契約は守る」くらいまでなら共通認識にできそうだと思えますが、
どこまで従えば「守った」と言えるのかは、結局わからんのですよ。
Re:藁人形論法? (スコア:1)
要は【誠実】自体が意味不明じゃないのってことです。
私の言う「誠実」は、理解できないほど難しいですか?
私は、子供に説明して恥ずかしくないことを「誠実」と言っています。
例えば、自衛隊は違憲だが現時点で必要、と考えている場合、改憲を目指すのが「誠実」です。
一方、改憲を目指さないのは「誠実」ではありません。
どちらにせよ、自衛隊は存続するでしょうから、国を防衛する、という国益は守られます。
しかし、「誠実」か否かの差は大きいと考えています。
子供に説明できませんから。
もちろん、国益の概念をすべて子供に理解させることは困難です。
従って、必ずしも「誠実」だけで判断できるわけでもありません。
文化ベースが違う者同士で共有できるものなんでしょうか。
文化ベースが違う程度で共有できないほど難解な話はしていません。
Re: (スコア:0)
ふむふむ、誠実であるかどうかは実はたいした問題ではありません。日本語には方便という言葉があります。
そして自衛隊は合憲です。何故なら、自衛権は、不磨の大典として、自然権として、憲法の規定如何に関わらず存在するからです。然もこの国の憲法では、前文に於いて、明らかに明確に、この国の生存権を宣言しています。
自衛隊は全くの疑いようもなく合憲、合法な存在です。
つまり自衛隊が違憲であるから改憲せよと言うという主張は、取りも直さず改憲して国防軍を持てと言うに等しいのです。そしてそれは、政府をして国民に、国防の義務を課すことを義務づける主張なのです。
国にの憲法の前文と9条は、この国を守る最強の武器たり得るのです。その説明はもうしてしまいましたがね。
この国は、憲法の前文と9条と自衛隊によって、世界で最も誠実な、平和主義を貫こうとする唯一の国です。