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次は「SIビジネスに長く関わっているとズルするようになる」という実験結果はよ。
#「できました!」とバグだらけのソースを遺していった前任者とか、#「できました!」と矛盾だらけの仕様書を遺していった設計者とか……
「何でもできます」「お安くできます」と客に言うだけ言って丸投げする営業とか…
「できます」と言うこと自体は嘘ではないから、ズルじゃないじゃないかな。「できました」と言って動いてない、破たんしているは嘘になるから、ズルだと思うけど。
営業のズルさの本質は、適当なことを言ってもそれで通せる内部力にあると思う。
ピンはねするだけの元受け会社とか
営業は元々そういうものという話も。
「出来ない!!」と地雷プロジェクトから毎回逃げる奴が結果として無難なプロジェクト完了時にその場に居合わせる事が多く、成果として評価される。そして、その逃げた奴の穴埋めの火消しをして回る人たちは、無理筋をどうにか形にするのだが、元々無理筋なのでイマイチの結果となり、成果として評価は成されない。
なんてのが、成果主義って看板の元に幾らでも有ったからな。
「出来ない」とちゃんと言えることは、評価して良いのでは。もっとも評価されるべきではないのは、地雷プロジェクトを受注した営業であることは間違いないけど。
最近の流行は、「できない理由を探さずに、できる方法を考えろ」らしいよ元から無理筋でもこれを言ってくる管理職っているからなあ
>「できない理由を探さずに、できる方法を考えろ」らしいよ
部下「納期と費用を3倍にすればできます」上司「そんなこと、お客さんと交渉できるわけないだろう!」部下「できない理由を探さずに、できる方法を考えろ」
>クライアント「赤い線を、緑と透明のインクで描いてほしい」「えっ……??」http://logmi.jp/10032 [logmi.jp]https://www.youtube.com/watch?v=BKorP55Aqvg [youtube.com]
「PM:そんなに急いで結論に飛びつく必要はないよ、アンダーソン! タスクは設定されたから今日の終わりまでに決まればいい。君が専門家なんだから。」
結局、本質的に、よりよくできる/できる/できないという評価軸が利益に直結しない人売り屋が多すぎる。プロジェクトは真っ黒焦げに炎上したが、工数をたくさん請求できたので売り上げはあがったとか。
逆の例もあるね。序盤に大ポカこいてあとでリカバリーするので、全体としてはたいした成果にならないんだけど、リカバリーだけ評価されるってパターン。
>他人と差をつけたければズルするしかないでしょう。
差をつけるつもりで、ミスコン全員同じ顔にしてしまう国はちょと違うか。
努力しても報われないとは限らないんですよ旧ソ連ではものすごく能力の高い労働者に対しては平均月収の4倍以上の報酬を与えていたそうですもっとも、4倍以上の報酬をもらえるのはトップクラスの人だけなので、大半の人にとっては努力=無駄ですが
http://rodo.info/oldsite/bulletin/bn/0311/soviet2.html [rodo.info]> それから、スタハーノフ労働者というのは非常に優遇されるわけです。賃金、ボーナス、別荘、休暇、配給の特権的供与などがあります。一般の労働者の待遇とそれほど違わない、一~二割の割増ならいいですが、相当の格差になると労働者のなかに「励み」という感情よりも、露骨に「そねみ」「ねたみ」感情が生じます。> 一部のスタハーノフ労働者を非常に優遇するということは、その他の労働者が非常に貧しかったということです。『資本論』にもでてきますが、出来高賃金というのは、賃金の全体の水準を低く抑えたまま、ごく一部の労働者にとびぬけた待遇をあたえることによって、労働者の生産意欲を刺激せんとするものであって、資本家にとって一石二鳥である。スタハーノフ運動というのはこっちの方を拡大再生産するものでありました。> 本当に自発的な労働を発揚するためには、物質的な刺激というものが必要です。ただし、物質的な刺激というものは、極度に制限されたごく一部の労働者だけにいきわたるものであっては効果がないどころか、逆効果になる。本当に労働の刺激と、それにこたえる報酬が組み合わされていませんと、一方ではものすごい不平等、その一方では、それと矛盾するようですけれど、「悪平等」が存在する。つまり、一握りのスタハーノフ労働者は潤うけれども、その他の労働者は「どっちでもいいや」という存在として処遇される。あるいはそのように労働者が意識する。それが、労働者の立場からすると、「働いても、働かなくてもいいや」ということにもなります。もっと極端にいうと、「社会主義的に働いて、資本主義的に稼ぐ」という言葉が出てきます。社会主義的に働くというのは、「適当にはたらいとけ」ということ、「資本主義的に稼ぐ」というのは、ほかでアルバイトをするということです。
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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
建前平等な社会 (スコア:5, すばらしい洞察)
他人と差をつけたければズルするしかないでしょう。
Re:建前平等な社会 (スコア:2, おもしろおかしい)
次は「SIビジネスに長く関わっているとズルするようになる」という実験結果はよ。
#「できました!」とバグだらけのソースを遺していった前任者とか、
#「できました!」と矛盾だらけの仕様書を遺していった設計者とか……
Re:建前平等な社会 (スコア:1)
Re: (スコア:0)
「何でもできます」「お安くできます」と客に言うだけ言って丸投げする営業とか…
Re: (スコア:0)
「できます」と言うこと自体は嘘ではないから、ズルじゃないじゃないかな。
「できました」と言って動いてない、破たんしているは嘘になるから、ズルだと思うけど。
営業のズルさの本質は、適当なことを言ってもそれで通せる内部力にあると思う。
Re: (スコア:0)
ピンはねするだけの元受け会社とか
Re: (スコア:0)
営業は元々そういうものという話も。
Re: (スコア:0)
「出来ない!!」と地雷プロジェクトから毎回逃げる奴が結果として無難なプロジェクト完了時にその場に居合わせる事が多く、成果として評価される。
そして、その逃げた奴の穴埋めの火消しをして回る人たちは、無理筋をどうにか形にするのだが、元々無理筋なのでイマイチの結果となり、成果として評価は成されない。
なんてのが、成果主義って看板の元に幾らでも有ったからな。
Re: (スコア:0)
「出来ない」とちゃんと言えることは、評価して良いのでは。
もっとも評価されるべきではないのは、地雷プロジェクトを受注した営業であることは間違いないけど。
Re: (スコア:0)
最近の流行は、「できない理由を探さずに、できる方法を考えろ」らしいよ
元から無理筋でもこれを言ってくる管理職っているからなあ
Re:建前平等な社会 (スコア:5, 参考になる)
>「できない理由を探さずに、できる方法を考えろ」らしいよ
部下「納期と費用を3倍にすればできます」
上司「そんなこと、お客さんと交渉できるわけないだろう!」
部下「できない理由を探さずに、できる方法を考えろ」
Re: (スコア:0)
要望には全く応えていなくても、最終的にうまくまるめこんで客が喜べばそれでOKという。
「発想の転換」とか便利な言葉はそのためにある。
「赤い線を、緑と透明のインクで描いてほしい」「えっ……??」 (スコア:0)
>クライアント「赤い線を、緑と透明のインクで描いてほしい」「えっ……??」
http://logmi.jp/10032 [logmi.jp]
https://www.youtube.com/watch?v=BKorP55Aqvg [youtube.com]
「PM:そんなに急いで結論に飛びつく必要はないよ、アンダーソン!
タスクは設定されたから今日の終わりまでに決まればいい。
君が専門家なんだから。」
Re: (スコア:0)
#しかし経営判断的には地雷を踏み続けてでも稼がなきゃいけない場面はあるんだよな・・・
Re: (スコア:0)
結局、本質的に、よりよくできる/できる/できないという評価軸が利益に直結しない人売り屋が多すぎる。
プロジェクトは真っ黒焦げに炎上したが、工数をたくさん請求できたので売り上げはあがったとか。
Re: (スコア:0)
逆の例もあるね。
序盤に大ポカこいてあとでリカバリーするので、全体としてはたいした成果にならないんだけど、リカバリーだけ評価されるってパターン。
Re:建前平等な社会 (スコア:1)
>他人と差をつけたければズルするしかないでしょう。
差をつけるつもりで、ミスコン全員同じ顔にしてしまう国はちょと違うか。
必ずしも平等じゃねえぞ (スコア:1)
努力しても報われないとは限らないんですよ
旧ソ連ではものすごく能力の高い労働者に対しては平均月収の4倍以上の報酬を与えていたそうです
もっとも、4倍以上の報酬をもらえるのはトップクラスの人だけなので、大半の人にとっては努力=無駄ですが
http://rodo.info/oldsite/bulletin/bn/0311/soviet2.html [rodo.info]
> それから、スタハーノフ労働者というのは非常に優遇されるわけです。賃金、ボーナス、別荘、休暇、配給の特権的供与などがあります。一般の労働者の待遇とそれほど違わない、一~二割の割増ならいいですが、相当の格差になると労働者のなかに「励み」という感情よりも、露骨に「そねみ」「ねたみ」感情が生じます。
> 一部のスタハーノフ労働者を非常に優遇するということは、その他の労働者が非常に貧しかったということです。『資本論』にもでてきますが、出来高賃金というのは、賃金の全体の水準を低く抑えたまま、ごく一部の労働者にとびぬけた待遇をあたえることによって、労働者の生産意欲を刺激せんとするものであって、資本家にとって一石二鳥である。スタハーノフ運動というのはこっちの方を拡大再生産するものでありました。
> 本当に自発的な労働を発揚するためには、物質的な刺激というものが必要です。ただし、物質的な刺激というものは、極度に制限されたごく一部の労働者だけにいきわたるものであっては効果がないどころか、逆効果になる。本当に労働の刺激と、それにこたえる報酬が組み合わされていませんと、一方ではものすごい不平等、その一方では、それと矛盾するようですけれど、「悪平等」が存在する。つまり、一握りのスタハーノフ労働者は潤うけれども、その他の労働者は「どっちでもいいや」という存在として処遇される。あるいはそのように労働者が意識する。それが、労働者の立場からすると、「働いても、働かなくてもいいや」ということにもなります。もっと極端にいうと、「社会主義的に働いて、資本主義的に稼ぐ」という言葉が出てきます。社会主義的に働くというのは、「適当にはたらいとけ」ということ、「資本主義的に稼ぐ」というのは、ほかでアルバイトをするということです。