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まず、G型大学とやらに優秀な人材が集まっているという勘違いを前提にしている時点でお察しある集団において、優秀な人材と言うものは一定の割合存在する愚か者と言わざるをえない
親コメに強く同意します。日本における現状の大学の入試システムによって選定される学生は、「その大学の偏差値」を平均値としてある程度の分散をもって能力が分布するものだと思います。また、その分布は標準分布にほぼ従っているように私は感じており、平均値のみをもって能力を語ることは本質で無いように感じます。上位大学においては平均値が高く、かつ分散も小さいと思うのですが、下位大学(失礼)においては平均値が低いものの分散も大きく、絶対数では少ないですが、確実に優秀な人材は存在するはずです。そのために、各界における「優秀な人材」が東大・京大と
さらに言えば、東大であろうと一定の割合で能力の低い人間が現れる人間の能力が任意の集団において、正規分布となるのは、現地現物(トヨタ用語)で確認したのならば、自明のはずたしかに、大学ごとで中央値ズレ程度の差は現れるが、決定的な差ではない
学生の上澄みを掬って一箇所に集めても、能力の再分配がなされるだけ研究者と同列ではない、完成した人材では無いのだ
そして、職業訓練云々という部分は、中学卒業程度の知識があれば2日ほど学べば習得できる内容がほとんどその程度の訓練すら、企業はコストカットするのか?また、そのために高等教育を犠牲にする価値があるのか?
人が新しい物を発見する時、現象を観察し、大系をまとめ、法則を見だすこれは、ある種の検索作業であり、並列化する方が効率的はたして、エリート主義における人材のみでこれを成せるか?自分達が何によって、ささえられ、気付きをあたえられているのかを一度でも考えてみればわかる発見は時代が生む つまり、多くの他の発見や考察があって、はじめて新しい概念が発見されるその結果、同じ時期には、同じ発見が見られる
日本人は歴史的に学問好きなこともある職業のためだけというのは、日本人には向いていないどんな人間であれ、文字が読める寒村の寺子屋に集まった農民が数学を楽しむそういった国
優秀な人材が新しい発見や、開発を行うことをさらに考えてみるどんなに認識能力が高い人間であろうと、集中しなければ、気付きは得られないより多くの知識人に対して、少数エリートは無力なぜなら、人が集中できる範囲は限られるからだ優秀な人材が集中すれば、その他の人間より発見を得やすいのは否定しない優秀な人材が時間を無限に分割して使用し、思考を行えることも否定しないただ、集中対象を多く持つことはできない高等教育を受けた人間(集中すべき対象を認識できる人間)の数こそが大事になる
次に、意思決定において、優秀であることは、人材の能力による部分が小さい成功と失敗の経験を経て、最適化した人材が優秀なのだ正しい決定は、無限にある事象から正しい選択をすることなので、能力が高くても必ず良い結果が得られるわけではないテストの点数が優秀でも、実際には使えない人間がかなりの数いるのはこのことによるその上、エリート主義によりプライドだけが増長すると、失敗を恐れるため、最適化の機会を逃し、より大きな失敗を犯す
学問と実際の会社や社会で必要とされる能力の差はここで生まれる繰り返して言えば、知識人の層の厚さこそが大事になる
以下は自分への戒めと、まとめ意見
懐古趣味で昔の成功を参考にするのは考えものです昔成功した人間でも、ほとんどの人間は現代では通用しないのでは無いでしょうか=勉強しなくても成功できる は現代においては限りなく嘘だと感じます高等教育などしなくても、幸せになれる成功できる普通に生活できる というのも、単純労働で他国と競えば簡単に嘘になるでしょう心配しなくても、今の延長線上で、新しいパラダイムシフトは起きますそうした時、職業訓練で学んだ知識はまったく役に立ちません
そもそも、進んだ教育システムにまとめ上げるには、実作業と高等教育の相互作用がかかせないのでは?元の資料には何も書かれていないように見えるなぁ・・・
真にG型と呼ばれている人材は、たまたま一分野において成功に辿り着いた人間ではないでしょうか能力に関係の無いG型L型分類も怪しい物です
冗長な長文を書き連ねても、想いが伝わるわけではないのです、残念ながら。
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
勘違いを前提としている (スコア:0)
まず、G型大学とやらに優秀な人材が集まっている
という勘違いを前提にしている時点でお察し
ある集団において、優秀な人材と言うものは一定の割合存在する
愚か者と言わざるをえない
高等教育のありかた (スコア:1)
親コメに強く同意します。
日本における現状の大学の入試システムによって選定される学生は、「その大学の偏差値」を平均値としてある程度の分散をもって能力が分布するものだと思います。
また、その分布は標準分布にほぼ従っているように私は感じており、平均値のみをもって能力を語ることは本質で無いように感じます。
上位大学においては平均値が高く、かつ分散も小さいと思うのですが、下位大学(失礼)においては平均値が低いものの分散も大きく、
絶対数では少ないですが、確実に優秀な人材は存在するはずです。
そのために、各界における「優秀な人材」が東大・京大と
Re:高等教育のありかた (スコア:0)
さらに言えば、東大であろうと一定の割合で能力の低い人間が現れる
人間の能力が任意の集団において、正規分布となるのは、現地現物(トヨタ用語)で確認したのならば、自明のはず
たしかに、大学ごとで中央値ズレ程度の差は現れるが、決定的な差ではない
学生の上澄みを掬って一箇所に集めても、能力の再分配がなされるだけ
研究者と同列ではない、完成した人材では無いのだ
そして、職業訓練云々という部分は、中学卒業程度の知識があれば2日ほど学べば習得できる内容がほとんど
その程度の訓練すら、企業はコストカットするのか?また、そのために高等教育を犠牲にする価値があるのか?
人が新しい物を発見する時、現象を観察し、大系をまとめ、法則を見だす
これは、ある種の検索作業であり、並列化する方が効率的
はたして、エリート主義における人材のみでこれを成せるか?
自分達が何によって、ささえられ、気付きをあたえられているのかを一度でも考えてみればわかる
発見は時代が生む つまり、多くの他の発見や考察があって、はじめて新しい概念が発見される
その結果、同じ時期には、同じ発見が見られる
日本人は歴史的に学問好きなこともある
職業のためだけというのは、日本人には向いていない
どんな人間であれ、文字が読める
寒村の寺子屋に集まった農民が数学を楽しむ
そういった国
優秀な人材が新しい発見や、開発を行うことをさらに考えてみる
どんなに認識能力が高い人間であろうと、集中しなければ、気付きは得られない
より多くの知識人に対して、少数エリートは無力
なぜなら、人が集中できる範囲は限られるからだ
優秀な人材が集中すれば、その他の人間より発見を得やすいのは否定しない
優秀な人材が時間を無限に分割して使用し、思考を行えることも否定しない
ただ、集中対象を多く持つことはできない
高等教育を受けた人間(集中すべき対象を認識できる人間)の数こそが大事になる
次に、意思決定において、優秀であることは、人材の能力による部分が小さい
成功と失敗の経験を経て、最適化した人材が優秀なのだ
正しい決定は、無限にある事象から正しい選択をすることなので、能力が高くても必ず良い結果が得られるわけではない
テストの点数が優秀でも、実際には使えない人間がかなりの数いるのはこのことによる
その上、エリート主義によりプライドだけが増長すると、失敗を恐れるため、最適化の機会を逃し、より大きな失敗を犯す
学問と実際の会社や社会で必要とされる能力の差はここで生まれる
繰り返して言えば、知識人の層の厚さこそが大事になる
以下は自分への戒めと、まとめ意見
懐古趣味で昔の成功を参考にするのは考えものです
昔成功した人間でも、ほとんどの人間は現代では通用しないのでは無いでしょうか=勉強しなくても成功できる は現代においては限りなく嘘だと感じます
高等教育などしなくても、幸せになれる成功できる普通に生活できる というのも、単純労働で他国と競えば簡単に嘘になるでしょう
心配しなくても、今の延長線上で、新しいパラダイムシフトは起きます
そうした時、職業訓練で学んだ知識はまったく役に立ちません
そもそも、進んだ教育システムにまとめ上げるには、実作業と高等教育の相互作用がかかせないのでは?元の資料には何も書かれていないように見えるなぁ・・・
真にG型と呼ばれている人材は、たまたま一分野において成功に辿り着いた人間ではないでしょうか
能力に関係の無いG型L型分類も怪しい物です
Re: (スコア:0)
冗長な長文を書き連ねても、想いが伝わるわけではないのです、残念ながら。