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差別を合法化するとして批判されたアーカンソー州とインディアナ州の「信教の自由回復法」、法案を修正して成立」記事へのコメント

  • by Anonymous Coward

    たとえば宗教的に同性婚を一切認めていない宗教の人からしたら、同性婚をしているカップルは道徳的に許容できない。
    んでそういう相手を非難したり否定すれば、それは差別に繋がる。
    でもそういった否定や非難を禁じるのは、同性婚を認めないという宗教の教義への否定に繋がる。

    結局さ、価値観が複数あれば両立できるわけなくて。
    信教の自由と同性婚等の問題は「どっちかを完全に淘汰する」という差別の究極形を用いない限りは、皮肉な話だけど根絶できない。

    今回の件で「同性婚が認められる社会にしてほしい」と願う人たちは「差別から解放された」と思うだろうけど、「同性婚なんて不道徳だ」と信じる人たちは「自分たちの道徳を否定された」と感じるだろうね。
    どっちも感覚や感性の問題だから、科学のようにどちらが正しいか白黒はっきりさせることなんてできない。
    今回の法律が成立したからって、特定の思想がある程度有利になって、それとは反対の思想がある程度不利になった、というだけのことで、特別な意味があることじゃないと思うよ。

    • by Anonymous Coward

      同性愛者を否定する宗教と、それを否定する宗教の衝突だよね。
      でもコレ看板が同性愛者なだけで異教徒に対しても適用できる問題の筈で、ふつーに宗教的衝突でもあるはず。

      > 特定の思想がある程度有利になって、それとは反対の思想がある程度不利になった、というだけのこと
      特定の宗教をある程度有利にする法律とか政教分離原則に反した結構面倒な話だと思う。
      「というだけのこと」とかさらっと流して良いのかな?

      政教分離原則に反するのも宗教的衝突が起きるのも、よくある日常の光景的な意味では「それだけの話」だけど。

アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家

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