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不確実なものであっても教育者がそれが科学であると思う限り、教育として教えることができる。
いずれ科学的に実証されるであろう現在未確認の仮説であっても、一種の宗教的な考え方と似たようなところがあるから不確実なものを科学というのは決して悪くはないが、それをあたかも事実のように教えることが手来てしまうのはなかなか恐ろしいような。
宗教的なことに利用されそうだナー
>いずれ科学的に実証されるであろう現在未確認の仮説であっても、一種の宗教的な考え方と似たようなところがあるから不確実なものを科学という
すでにそれ、科学じゃないから。
科学もある種の宗教ですよ。
水がH2Oだっていってるのだって水素をHだ酸素をOだって「科学で定義」したのであってそれを信じるかどうかは科学教かどうかでしかないですよ別に水は水だでも何の問題もなく、神によって与えられたデモ問題はないでしょ飲めない水は呪われた水だ、水銀汚染されているから飲めない水だようするに、科学、医学で共に表される結果はある種の奇跡と考える事も出来るので。
繰り返しますが「科学もある種の宗教」です
「科学」を基にした宗教的思考が残念ながらこの世の中には蔓延っており、うっかりすると自分達も無意識的にその考え方に陥りがちである
…みたいな路線で攻めれば有る程度同意も得られただろうに、分かってない物を分かったように語るのはスジが悪すぎる
そうそう。
科学という学問自体は常に疑われることを許し、また「これは確かだ」という時も根っこには「○○という前提を置くと」という限定を担保した上での話。他の枝で論理学は云々みたいな話もでているが、(そもそも論理学は科学にとっては道具であって教条ではないというのは置いといて、)数学・哲学をひもとけば論理を弄ったり疑ったりする学問すらある。論理を利用する科学者は「とりあえず論理ってのが正しいなら」という前提で色々語ってる(べき)のであって、論理を踏み込めない神秘の霧の向こうだと思っているわけではない。
一方宗教は、仮に確からしさ
人間が猿から進化したことは「検証して再現性があること」の確認ができないですよね。あ、ということは、「人間が猿から進化した」という学説も科学じゃなかったんですね!!
「進化論」は「ある生物の形質が変化して、別な種になる」ということ。で、それは確認されており、自然界でも人為的にも再現可能。そのメカニズムも確認済み。人為的な操作で起こせるし、自然界に存在しない遺伝子を作ることも出来ている。
では、地球の生物の歴史で実際にそういうことが起きたか、が問題。それは化石や遺伝子の変化、痕跡器官などで確認する。
その結果、少なくとも聖書に載っているような「お話」とは矛盾する「事実」が多数見つかっており、逆に、聖書の「お話」を肯定するものは見つかっていない。(生命の誕生どころか、数千年程度の有史レベルでも「聖書のイベントってフィク
>「生物は進化してきた。人間は猿と共通の先祖から生まれた」と考えることが現時点で妥当、ということ。その通りです。でもそれは、>人間が猿から進化したことは「検証して再現性があること」の確認ができないという点に対する反論にはなってないのですよ。なお、ヒトと現在のサルの共通祖先を猿と表現しちゃってましたんで、そこの不完全さはお詫びして訂正します。
まあ、結局、>「生物は進化してきた。人間は猿と共通の先祖から生まれた」と考えることと考えることも科学であるとするのであれば、>科学は「検証して再現性があること」の確認が必要だは捨てるべき誤った考え方なんです。反証されたら説を廃棄するという原則に立てばですけどね。
「再現性」の意味に誤解があるように見受けられます。そもそも「再現性」とは「その歴史を繰り返す」という意味ではありません。これは、雷は「神の怒り」か「放電現象」か、で論じられたことです。
「昨日、雷が落ちた」ことは、タイムマシンでもない限り厳密な意味で再現することは出来ません。
そこで、雷の正体を検証するために、・電気で雷と同じ現象を起こせるか(青白い火花が飛ぶ、など)・雷で電気と同じ現象が起きるか(「フランクリンの凧」が有名)を確かめます。これが「再現性」です。
その結果をもって「雷は放電現象である」という仮説を検証し、さらには避雷針によって
>「再現性」の意味に誤解があるように見受けられます。ああ、あなたの中で「再現性」の意味は、通常の意味(後述)とは違うのですね・・・>そこで、雷の正体を検証するために、>・電気で雷と同じ現象を起こせるか(青白い火花が飛ぶ、など)>・雷で電気と同じ現象が起きるか(「フランクリンの凧」が有名)>を確かめます。これが「再現性」です。何を言いたいのかよくわかりませんが、「意味に誤解があるようだ」というのであれば、例示(いやその例示もよくわからないんだけど)ではなく、まず定義を示してほしかったです。#あるいは「意味」を「意義」の意味で使っているんだろうか?#うーん、それでも理解できない部分があるし・・・
>そ
>私の理解では「前提条件を揃えれば結果が同じになること」が、実際の世界において「前提条件」は無数にあるため、それを簡略化したモデルで実験をおこなうのです。そして、その前提条件として「温度が重要」とか「特定の物質が原因」という因果関係を見つけるのです。それが自然科学の作法です。それを無視して、歴史的な事象の「前提条件を揃えれば」と考えるのは無意味です。
あなたが「通常の自然科学の文脈」を間違って理解しているだけのことです。
「再現性の定義」を示してほしい、ということですので。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E7%8F%BE%E6%80%A7 [wikipedia.org]をよく読んでください。
あなたが求めているのは「一回性」の事象であり、それは科学の範疇ではない、と説明されています。これが理解できないようであれば、もっと詳しく説明しますよ。
返信がないので、ご自身の理解不足を知ることができたか不明ですが、念のため続きです。
「一回性の事象は科学の範疇ではない」とはいえ、その事象に対する解釈が「妥当であるか」を判断する助けになるのが科学です。
「雷は放電である」から「昨日の雷も神罰ではない」「落雷を防ぐため、祈るのではなく避雷針を立てよう」と判断できます。「肺炎は病原菌が原因」だから「去年の病気も唾の誤飲による肺炎だ」「祈るのではなく抗生物質を飲もう」と判断できます。同じように「生物は進化によって変化する」から「人類の誕生も、神の御業ではなく、進化の結果だ」というのが「妥当だ」ということです。
>「一回性の事象は科学の範疇ではない」なるほど、その立場を取られるならわかりました。結局、>科学は「検証して再現性があること」の確認が必要だを前提とした上で、>人間が猿から進化したことは「検証して再現性があること」の確認ができないですよね。>あ、ということは、「人間が猿から進化した」という学説も科学じゃなかったんですね!!に対する反論はない、と。
>に対する反論はない、と。
あなたはそもそも「何を確認するのか」について誤解しています。
「学説」は「科学」ではなく「科学によって(妥当性が)確認されるもの」です。だから私は「「生物は進化してきた。人間は猿と共通の先祖から生まれた」と考えることが現時点で妥当、ということ」としています。
「一回性の出来事」は「再現性」の対象ではなく、その出来事に対する「妥当な解釈」を得るための部品・ツールとして「再現可能な出来事」を確認するわけです。そして、「科学」の対象である「再現性」を通じて導かれた「妥当な解釈(学説)」は「進化の結果である」またその比較として「創造論は妥当ではない」と言っているわけです。
もう一つ、念のため。
科学はある事柄に対して「再現性がある」ということを"それなりの"確度で言えます。(100万回実験を繰り返しても「その都度、悪魔が意地悪した」という可能性もありますからね)そして、その結果から、「妥当である」とする仮説を、これまた"それなりの"確度で言えます。
しかし、「ある人が妥当な推論を受け入れるか否か」は、科学の範疇ではありません。「一回性」の人生ですから。実際、いわゆる「定説」を疑って、新たな学説を打ち立てる道を選んでいる科学者も多いのです。
ですから、「妥当ではない」創造論を「信じる」ことについては、科学は何も言いませ
「ここから先は疑ってはいけない」は科学もやっちゃってるので、できればそこは
宗教は信じることが第一で、科学は疑うことが第一
っていう最初の段落の内容ぐらいにしておいた方がいいような気がするなあ…
>一方宗教は、仮に確からしさを確認する術があろうとも、どこかで「ここから先は疑ってはならない」と明確に一線を引くところに特徴がある。
オーム真理教が社会を騒がせていた頃に、神道方面の人が朝日新聞のコラムに書いていたのですが、「宗教はひとにぎりの修行者と、大勢の信者によって成り立っている。」「信者は信じる人。」「修行者は修行によって深める人。仏に会ったら仏を殺せ、という言葉があるように、時には教義そのものを疑い、自分の頭で考えることによって、より深めていく人。」みたいな内容でした。
世の中のいろんな場面でありそうだと思いました。
# 自分には信じるだけってのはムリっぽい
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
実証されていない仮説 (スコア:0)
不確実なものであっても教育者がそれが科学であると思う限り、教育として教えることができる。
いずれ科学的に実証されるであろう現在未確認の仮説であっても、一種の宗教的な考え方と似たようなところがあるから不確実なものを科学というのは決して悪くはないが、それをあたかも事実のように教えることが手来てしまうのはなかなか恐ろしいような。
宗教的なことに利用されそうだナー
Re: (スコア:1)
>いずれ科学的に実証されるであろう現在未確認の仮説であっても、一種の宗教的な考え方と似たようなところがあるから不確実なものを科学という
すでにそれ、科学じゃないから。
Re: (スコア:-1)
科学もある種の宗教ですよ。
水がH2Oだっていってるのだって水素をHだ酸素をOだって
「科学で定義」したのであってそれを信じるかどうかは科学教かどうかでしかないですよ
別に水は水だでも何の問題もなく、神によって与えられたデモ問題はないでしょ
飲めない水は呪われた水だ、水銀汚染されているから飲めない水だ
ようするに、科学、医学で共に表される結果はある種の奇跡と考える事も出来るので。
繰り返しますが「科学もある種の宗教」です
Re:実証されていない仮説 (スコア:2)
「科学」を基にした宗教的思考が残念ながらこの世の中には蔓延っており、
うっかりすると自分達も無意識的にその考え方に陥りがちである
…みたいな路線で攻めれば有る程度同意も得られただろうに、
分かってない物を分かったように語るのはスジが悪すぎる
Re: (スコア:0)
そうそう。
科学という学問自体は常に疑われることを許し、また「これは確かだ」という時も根っこには「○○という前提を置くと」という限定を担保した上での話。
他の枝で論理学は云々みたいな話もでているが、(そもそも論理学は科学にとっては道具であって教条ではないというのは置いといて、)数学・哲学をひもとけば論理を弄ったり疑ったりする学問すらある。
論理を利用する科学者は「とりあえず論理ってのが正しいなら」という前提で色々語ってる(べき)のであって、論理を踏み込めない神秘の霧の向こうだと思っているわけではない。
一方宗教は、仮に確からしさ
Re:実証されていない仮説 (スコア:1)
宗教は「神を試みてはいけない」と言うくらいだから、少なくとも「宗教は科学ではない」ですよね。
--
記事にあったWikipediaの内容では
ID論者は「神を【偉大なる知性】に置き換えて宗教色を薄めようとしている」ってあるけど
それはそれで神を否定しかねないのでカトリック教会などからは受け入れられていないってのがなんともまた。
--
#ところで、ID論が実は正しかったんだけど その Intelligent が特定の宗教の神で
#その宗教の信者にしか確認・再現出来ないとなった場合
#それは科学なのだろうか?
Re: (スコア:0)
人間が猿から進化したことは「検証して再現性があること」の確認ができないですよね。
あ、ということは、「人間が猿から進化した」という学説も科学じゃなかったんですね!!
Re: (スコア:0)
「進化論」は「ある生物の形質が変化して、別な種になる」ということ。
で、それは確認されており、自然界でも人為的にも再現可能。
そのメカニズムも確認済み。人為的な操作で起こせるし、自然界に存在しない遺伝子を作ることも出来ている。
では、地球の生物の歴史で実際にそういうことが起きたか、が問題。
それは化石や遺伝子の変化、痕跡器官などで確認する。
その結果、少なくとも聖書に載っているような「お話」とは矛盾する「事実」が多数見つかっており、
逆に、聖書の「お話」を肯定するものは見つかっていない。
(生命の誕生どころか、数千年程度の有史レベルでも「聖書のイベントってフィク
Re: (スコア:0)
>「生物は進化してきた。人間は猿と共通の先祖から生まれた」と考えることが現時点で妥当、ということ。
その通りです。でもそれは、
>人間が猿から進化したことは「検証して再現性があること」の確認ができない
という点に対する反論にはなってないのですよ。
なお、ヒトと現在のサルの共通祖先を猿と表現しちゃってましたんで、
そこの不完全さはお詫びして訂正します。
まあ、結局、
>「生物は進化してきた。人間は猿と共通の先祖から生まれた」と考えること
と考えることも科学であるとするのであれば、
>科学は「検証して再現性があること」の確認が必要だ
は捨てるべき誤った考え方なんです。
反証されたら説を廃棄するという原則に立てばですけどね。
Re: (スコア:0)
「再現性」の意味に誤解があるように見受けられます。
そもそも「再現性」とは「その歴史を繰り返す」という意味ではありません。
これは、雷は「神の怒り」か「放電現象」か、で論じられたことです。
「昨日、雷が落ちた」ことは、タイムマシンでもない限り厳密な意味で再現することは出来ません。
そこで、雷の正体を検証するために、
・電気で雷と同じ現象を起こせるか(青白い火花が飛ぶ、など)
・雷で電気と同じ現象が起きるか(「フランクリンの凧」が有名)
を確かめます。これが「再現性」です。
その結果をもって「雷は放電現象である」という仮説を検証し、
さらには避雷針によって
Re: (スコア:0)
>「再現性」の意味に誤解があるように見受けられます。
ああ、あなたの中で「再現性」の意味は、通常の意味(後述)とは違うのですね・・・
>そこで、雷の正体を検証するために、
>・電気で雷と同じ現象を起こせるか(青白い火花が飛ぶ、など)
>・雷で電気と同じ現象が起きるか(「フランクリンの凧」が有名)
>を確かめます。これが「再現性」です。
何を言いたいのかよくわかりませんが、
「意味に誤解があるようだ」というのであれば、
例示(いやその例示もよくわからないんだけど)ではなく、まず定義を示してほしかったです。
#あるいは「意味」を「意義」の意味で使っているんだろうか?
#うーん、それでも理解できない部分があるし・・・
>そ
Re: (スコア:0)
>私の理解では「前提条件を揃えれば結果が同じになること」が、
実際の世界において「前提条件」は無数にあるため、それを簡略化したモデルで実験をおこなうのです。
そして、その前提条件として「温度が重要」とか「特定の物質が原因」という因果関係を見つけるのです。
それが自然科学の作法です。
それを無視して、歴史的な事象の「前提条件を揃えれば」と考えるのは無意味です。
あなたが「通常の自然科学の文脈」を間違って理解しているだけのことです。
Re: (スコア:0)
「再現性の定義」を示してほしい、ということですので。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E7%8F%BE%E6%80%A7 [wikipedia.org]
をよく読んでください。
あなたが求めているのは「一回性」の事象であり、それは科学の範疇ではない、と説明されています。
これが理解できないようであれば、もっと詳しく説明しますよ。
Re: (スコア:0)
返信がないので、ご自身の理解不足を知ることができたか不明ですが、念のため続きです。
「一回性の事象は科学の範疇ではない」とはいえ、その事象に対する解釈が「妥当であるか」を判断する助けになるのが科学です。
「雷は放電である」から「昨日の雷も神罰ではない」「落雷を防ぐため、祈るのではなく避雷針を立てよう」と判断できます。
「肺炎は病原菌が原因」だから「去年の病気も唾の誤飲による肺炎だ」「祈るのではなく抗生物質を飲もう」と判断できます。
同じように
「生物は進化によって変化する」から「人類の誕生も、神の御業ではなく、進化の結果だ」というのが「妥当だ」ということです。
Re: (スコア:0)
>「一回性の事象は科学の範疇ではない」
なるほど、その立場を取られるならわかりました。結局、
>科学は「検証して再現性があること」の確認が必要だ
を前提とした上で、
>人間が猿から進化したことは「検証して再現性があること」の確認ができないですよね。
>あ、ということは、「人間が猿から進化した」という学説も科学じゃなかったんですね!!
に対する反論はない、と。
Re: (スコア:0)
>に対する反論はない、と。
あなたはそもそも「何を確認するのか」について誤解しています。
「学説」は「科学」ではなく「科学によって(妥当性が)確認されるもの」です。
だから私は「「生物は進化してきた。人間は猿と共通の先祖から生まれた」と考えることが現時点で妥当、ということ」としています。
「一回性の出来事」は「再現性」の対象ではなく、その出来事に対する「妥当な解釈」を得るための部品・ツールとして「再現可能な出来事」を確認するわけです。
そして、「科学」の対象である「再現性」を通じて導かれた「妥当な解釈(学説)」は「進化の結果である」またその比較として「創造論は妥当ではない」と言っているわけです。
Re: (スコア:0)
もう一つ、念のため。
科学はある事柄に対して「再現性がある」ということを"それなりの"確度で言えます。
(100万回実験を繰り返しても「その都度、悪魔が意地悪した」という可能性もありますからね)
そして、その結果から、「妥当である」とする仮説を、これまた"それなりの"確度で言えます。
しかし、「ある人が妥当な推論を受け入れるか否か」は、科学の範疇ではありません。「一回性」の人生ですから。
実際、いわゆる「定説」を疑って、新たな学説を打ち立てる道を選んでいる科学者も多いのです。
ですから、「妥当ではない」創造論を「信じる」ことについては、科学は何も言いませ
Re:実証されていない仮説 (スコア:1)
「ここから先は疑ってはいけない」は科学もやっちゃってるので、できればそこは
宗教は信じることが第一で、科学は疑うことが第一
っていう最初の段落の内容ぐらいにしておいた方がいいような気がするなあ…
Re: (スコア:0)
>一方宗教は、仮に確からしさを確認する術があろうとも、どこかで「ここから先は疑ってはならない」と明確に一線を引くところに特徴がある。
オーム真理教が社会を騒がせていた頃に、神道方面の人が朝日新聞のコラムに書いていたのですが、
「宗教はひとにぎりの修行者と、大勢の信者によって成り立っている。」
「信者は信じる人。」
「修行者は修行によって深める人。仏に会ったら仏を殺せ、という言葉があるように、時には教義そのものを疑い、
自分の頭で考えることによって、より深めていく人。」
みたいな内容でした。
世の中のいろんな場面でありそうだと思いました。
# 自分には信じるだけってのはムリっぽい