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当局は、パロディ宗教だということを分かってて認可してるのだろうか。。。それとも、申請書が形式を満たしていたら拒否できないのだろうか。。。
そもそもインテリジェントなデザイナーだよ神じゃないよと言い張っている連中への皮肉として考え出されたのに正式に宗教としなすというのはなんか違う気がする。
単なる皮肉やパロディーならブログにでも書き散らしておしまいでしょう。相手も無視すれば済みます。実際にID説に対抗する手段として運用してるのだから、本気で宗教運動としてやらないと無意味。つまりこれは純然たる宗教闘争ですよ。
ID論への対抗は分かるんだけど、あまりやりすぎると、すべての宗教を敵に回しかねないという気もします。
最終的にはそうなんじゃない?宗教家が教育にでしゃぱってくんじゃねーよ!お前らのその大切な宗教を教えるのなら、まったく同じプロセスで出来たこのFSMも教育の場で教えろよ! な! な! なーっ!!!
という感じですので(えー
世の大部分の宗教家は、教育に出しゃばるようなことをしていません。やるとしても、自分たちで私立の学校を設立してやってます。公教育に口を出したりしません。
世界の人々の多くは何らかの宗教を信じている(日本人が例外的)ので、すべての宗教を敵に回すというのはつまり、世界の多くの人々を敵に回すことになります。
また、世界の宗教信者の多くは穏健で社会性がある人たちであり、ID論者のような科学に敵対するような人々やイスラム原理主義のような宗教を理由に戦争するような人々はごく一部ですから、世界の多くの宗教信者を敵に回す正当性もありません。
敵に廻すというか既存の宗教が敵視する理由がわからない。
敵に廻すということは否定的とはいえFSMを認めていることになりますがそんなことしないで堂々と構えてりゃいいんですよ。なんだったら無視しとけゃいい。
それを敵に廻すという表現を使うということは、FSMに既存宗教の存在意義を揺るがす何かがあるからなの?脅威なの?ジオン脅威のメカニズムなの?
「敵に回す」というのは脅威に感じなきゃ使えない表現なんでしょうか。
既存宗教の立場から見れば、FSMによって自らの存立が脅かされることはありませんが、既存宗教の一般的な信者から見れば、FSMはまじめに信仰するようなものではないにもかかわらず宗教を名乗り、まじめな宗教を茶化すふざけた野郎だと思うかも知れません。
FSMの立場から見れば、世界の多くの人々からふざけた野郎だと思われてしまえばパロディとしてID論を批判する説得力も低下するわけで、十分脅威ですよ。
こういう状況を、FSMが既存宗教を敵に回すと表現しました。真意が伝われば、「敵に回す」という語句の使用にこだわるつもりはありません。
ふざけた宗教がいくら出てこようが、信者は自分の信仰する宗教を信じていれば別に関わる必要も無いでしょう。「敵」という言葉は相手を最終的には排除する存在として認識したときに使いませんか? いずれにせよFSMで乱されるようでは信仰が足りませんね(えーw
FSMの立場からすれば、ふざけた野郎と思われることがよりFSMの趣旨に合致してきますから、むしろウェルカムですよ。
日本にはもともと、「鰯の頭も信心から」という諺も有りますからね…。
ふざけた科学がいくら出てこようが、科学者は自分の修める分野を追い求めていれば別に関わる必要も無いでしょうか?FSMの立場はそうじゃないようですが。ふざけた科学であるID論は容認できないのに、ふざけた宗教が容認できるのでしょう。
何を科学として何を宗教とするか。疑う事が根底にある科学と、信じる事が根底にある宗教、ID論はどちらかというと宗教でしょう。
ふざけた科学がいくら出てこようが、科学者は自分の修める分野を追い求めていれば別に関わる必要も無いでしょうか?
科学に携わる人はほとんど無視してますよ。その姿勢もよろしくないんですけどね。だからちゃんと教育しなきゃならんというのに、その現場にID論なんて持ち出すからこりゃいかんって事でFSMが生まれてきたんですよ。
※反論性や検証性では科学である! とドヤ顔できないです
科学のエッセンスからしたら「分かってる(推定できる)とこまでは分かった、その先は分からん」ってちゃんと分離できなきゃダメだから、「ここまでは科学で理解できた。ここから先は比喩ではなく神の領域だ」っていう理解は有り得る(不確定性とか、高度な複雑系とか)んで、共存可能なはずなんだけどね。(科学が宗教の範囲にケンカ売ってるからだ、というのは分かってるけども)宗教家兼科学者ってのも居たわけだし。
んー。人は「たとえ科学的に説明可能っぽくても、あえて神秘を選ぶ」(薬剤師が水素水やゲルマローラーやマイナスイオンドライヤーにハマる、みたいな)って場合がある以上、教育の方も「割り切れ」とか「こっちだけ」とかでなく、「ああいうのもこういうのもある。その上で、こういうのは露骨な詐欺」って教えるべきなんだろうか。
教えるべきだと思いますよ。科学って何かを課外授業で科学館あたりに見学に行く程度で子供達が興味を持ってくれたら良いなあ(はぁとみたいなえらく消極的な姿勢だからダメなんですよ。
…いいか、貴様らが高校までに学ぶ科学というのは実は嘘だ。本当の事が知りたければ大学に行け。真実…そう、真実はそこにある!!
なんだってー!? ΩΩΩ
というのでもいいと思うけどねぇ…
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
当局 (スコア:0)
当局は、パロディ宗教だということを分かってて認可してるのだろうか。。。
それとも、申請書が形式を満たしていたら拒否できないのだろうか。。。
Re: (スコア:1)
そもそもインテリジェントなデザイナーだよ神じゃないよと言い張っている連中への皮肉として考え出されたのに正式に宗教としなすというのはなんか違う気がする。
Re: (スコア:1)
単なる皮肉やパロディーならブログにでも書き散らしておしまいでしょう。相手も無視すれば済みます。
実際にID説に対抗する手段として運用してるのだから、本気で宗教運動としてやらないと無意味。
つまりこれは純然たる宗教闘争ですよ。
Re: (スコア:1)
ID論への対抗は分かるんだけど、あまりやりすぎると、すべての宗教を敵に回しかねないという気もします。
Re: (スコア:1)
最終的にはそうなんじゃない?宗教家が教育にでしゃぱってくんじゃねーよ!
お前らのその大切な宗教を教えるのなら、まったく同じプロセスで出来た
このFSMも教育の場で教えろよ! な! な! なーっ!!!
という感じですので(えー
Re: (スコア:0)
世の大部分の宗教家は、教育に出しゃばるようなことをしていません。
やるとしても、自分たちで私立の学校を設立してやってます。公教育に口を出したりしません。
世界の人々の多くは何らかの宗教を信じている(日本人が例外的)ので、すべての宗教を敵に回す
というのはつまり、世界の多くの人々を敵に回すことになります。
また、世界の宗教信者の多くは穏健で社会性がある人たちであり、ID論者のような科学に敵対する
ような人々やイスラム原理主義のような宗教を理由に戦争するような人々はごく一部ですから、
世界の多くの宗教信者を敵に回す正当性もありません。
Re: (スコア:1)
敵に廻すというか既存の宗教が敵視する理由がわからない。
敵に廻すということは否定的とはいえFSMを認めていることになりますが
そんなことしないで堂々と構えてりゃいいんですよ。なんだったら無視しとけゃいい。
それを敵に廻すという表現を使うということは、FSMに既存宗教の存在意義を揺るがす
何かがあるからなの?脅威なの?ジオン脅威のメカニズムなの?
Re: (スコア:0)
「敵に回す」というのは脅威に感じなきゃ使えない表現なんでしょうか。
既存宗教の立場から見れば、FSMによって自らの存立が脅かされることはありませんが、
既存宗教の一般的な信者から見れば、FSMはまじめに信仰するようなものではないにも
かかわらず宗教を名乗り、まじめな宗教を茶化すふざけた野郎だと思うかも知れません。
FSMの立場から見れば、世界の多くの人々からふざけた野郎だと思われてしまえば
パロディとしてID論を批判する説得力も低下するわけで、十分脅威ですよ。
こういう状況を、FSMが既存宗教を敵に回すと表現しました。真意が伝われば、
「敵に回す」という語句の使用にこだわるつもりはありません。
Re:当局 (スコア:1)
ふざけた宗教がいくら出てこようが、信者は自分の信仰する宗教を信じていれば
別に関わる必要も無いでしょう。「敵」という言葉は相手を最終的には排除する
存在として認識したときに使いませんか? いずれにせよFSMで乱されるようでは
信仰が足りませんね(えーw
FSMの立場からすれば、ふざけた野郎と思われることがよりFSMの趣旨に合致
してきますから、むしろウェルカムですよ。
Re: (スコア:0)
日本にはもともと、「鰯の頭も信心から」という諺も有りますからね…。
Re: (スコア:0)
ふざけた科学がいくら出てこようが、科学者は自分の修める分野を追い求めていれば別に関わる必要も無いでしょうか?
FSMの立場はそうじゃないようですが。
ふざけた科学であるID論は容認できないのに、ふざけた宗教が容認できるのでしょう。
Re:当局 (スコア:1)
何を科学として何を宗教とするか。疑う事が根底にある科学と、信じる事が根底にある宗教、
ID論はどちらかというと宗教でしょう。
ふざけた科学がいくら出てこようが、科学者は自分の修める分野を追い求めていれば別に関わる必要も無いでしょうか?
科学に携わる人はほとんど無視してますよ。その姿勢もよろしくないんですけどね。
だからちゃんと教育しなきゃならんというのに、その現場にID論なんて持ち出すから
こりゃいかんって事でFSMが生まれてきたんですよ。
※反論性や検証性では科学である! とドヤ顔できないです
Re:当局 (スコア:1)
科学のエッセンスからしたら「分かってる(推定できる)とこまでは分かった、その先は分からん」ってちゃんと分離できなきゃダメだから、
「ここまでは科学で理解できた。ここから先は比喩ではなく神の領域だ」っていう理解は有り得る(不確定性とか、高度な複雑系とか)んで、
共存可能なはずなんだけどね。
(科学が宗教の範囲にケンカ売ってるからだ、というのは分かってるけども)
宗教家兼科学者ってのも居たわけだし。
んー。
人は「たとえ科学的に説明可能っぽくても、あえて神秘を選ぶ」(薬剤師が水素水やゲルマローラーやマイナスイオンドライヤーにハマる、みたいな)って場合がある以上、教育の方も「割り切れ」とか「こっちだけ」とかでなく、「ああいうのもこういうのもある。その上で、こういうのは露骨な詐欺」って教えるべきなんだろうか。
Re:当局 (スコア:1)
教えるべきだと思いますよ。科学って何かを課外授業で科学館あたりに
見学に行く程度で子供達が興味を持ってくれたら良いなあ(はぁと
みたいなえらく消極的な姿勢だからダメなんですよ。
…いいか、貴様らが高校までに学ぶ科学というのは実は嘘だ。
本当の事が知りたければ大学に行け。真実…そう、真実はそこにある!!
なんだってー!? ΩΩΩ
というのでもいいと思うけどねぇ…