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ザハ最後の作品になりそうな建築物
規制と制約で無難なスタジアムになりそうだった新国立競技場よりは、ザハらしい建築物になりそう。
日本で唯一、ザハのデザインを見ることができた
国立競技場ですが、たしかに、シュリンク無しでザハ案がそのまんま実現していたら、ザハ氏の最後の代表作となったんでしょうねえ。
今の日本国民には、そこまでの器が無かったということですね。で、無理を通そうとした責任者のはずの安藤忠雄氏も、問題視されると、抗弁すること無く、僕しーらない、って逃げ出したし。これが現実。
思いの外、たくさんの返信があったので、補足します。
恥ずかしながら、ザハ案の問題は予算だけだと思っていたので、物理的に無理なのだとしたらザハ案はナンセンスとなりますが、以下、予算だけだと思っていた立場から述べさせていただきます。(地下鉄のコースの微変更ならばやろうと思えばやれますよね)
また、実は、私も一連の騒動でザハ案が却下されたのを歓迎した一人です。しかし、出てきた代案の中途半端さを思うと、高くついたとしても、ザハ案のほうが個性的で良いように思えてきました。ザハ案はザハ案で魅力があったのです。
ザハ案の問題点は審査委
さらに考えてみました。
建設費が高く付いた公共投資として、瀬戸大橋、明石海峡大橋、東京湾アクアラインなどが挙げられます。これらは、当初は、高すぎる建設費が災いして、通行料が高く設定され、利用者が少なかったのですが、ここ最近は料金も値下げされて利用者が増えてます。今となったら、これらを「無駄な公共投資」という人は少ないんじゃないかと思います。これは、 建設費を利用者にまるまるかぶせる → 利用者が減る → 施設が活用されないという本末転倒な事態に陥るより、 (税金から持ち出しが生じてでも)利用料金を下る → 利用者を増やす → 施設が生み出す効果を最大化するほうが、長い目で見て優れているということを示唆しているように感じます。
新国立競技場は、当初はサッカーやラグビーの国際大会まで対応した、あれもできる、これもできる、という欲張りな設計でした。それがコスト増につながり、国民に反発され、仕様の縮退につながり、結果として、あれもできない、これもできない、スタジアムになってしまいました。しかし、新国立競技場は都内の一等地に位置することを考えると、活用しないこと自体が無駄、に思えてきました。立地条件を活かし、使えば使うほど、スポーツや文化の振興に貢献できます。つまり、(コスト増になって税金から大量の持ち出しが発生したとしても)当初案のように多目的化して施設の稼働率を高めるやりかたのほうが正しかったように思えてきました。なんといっても、スポーツや文化の振興といったメリットはプライスレスですから。
(しつこいようですが)このように発想しなかったのが、現在の日本人の「器」なのだと思います。
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
最後の作品 (スコア:3, 参考になる)
ザハ最後の作品になりそうな建築物
規制と制約で無難なスタジアムになりそうだった新国立競技場よりは、ザハらしい建築物になりそう。
日本で唯一、ザハのデザインを見ることができた
Re: (スコア:1)
国立競技場ですが、たしかに、シュリンク無しでザハ案がそのまんま実現していたら、
ザハ氏の最後の代表作となったんでしょうねえ。
今の日本国民には、そこまでの器が無かったということですね。
で、無理を通そうとした責任者のはずの安藤忠雄氏も、
問題視されると、抗弁すること無く、僕しーらない、って逃げ出したし。
これが現実。
Re: (スコア:1)
思いの外、たくさんの返信があったので、補足します。
恥ずかしながら、ザハ案の問題は予算だけだと思っていたので、物理的に無理なのだとしたらザハ案はナンセンスとなりますが、以下、予算だけだと思っていた立場から述べさせていただきます。(地下鉄のコースの微変更ならばやろうと思えばやれますよね)
また、実は、私も一連の騒動でザハ案が却下されたのを歓迎した一人です。しかし、出てきた代案の中途半端さを思うと、高くついたとしても、ザハ案のほうが個性的で良いように思えてきました。ザハ案はザハ案で魅力があったのです。
ザハ案の問題点は審査委
Re:最後の作品 (スコア:1)
さらに考えてみました。
建設費が高く付いた公共投資として、瀬戸大橋、明石海峡大橋、東京湾アクアラインなどが挙げられます。これらは、当初は、高すぎる建設費が災いして、通行料が高く設定され、利用者が少なかったのですが、ここ最近は料金も値下げされて利用者が増えてます。今となったら、これらを「無駄な公共投資」という人は少ないんじゃないかと思います。これは、
建設費を利用者にまるまるかぶせる → 利用者が減る → 施設が活用されない
という本末転倒な事態に陥るより、
(税金から持ち出しが生じてでも)利用料金を下る → 利用者を増やす → 施設が生み出す効果を最大化する
ほうが、長い目で見て優れているということを示唆しているように感じます。
新国立競技場は、当初はサッカーやラグビーの国際大会まで対応した、あれもできる、これもできる、という欲張りな設計でした。それがコスト増につながり、国民に反発され、仕様の縮退につながり、結果として、あれもできない、これもできない、スタジアムになってしまいました。しかし、新国立競技場は都内の一等地に位置することを考えると、活用しないこと自体が無駄、に思えてきました。立地条件を活かし、使えば使うほど、スポーツや文化の振興に貢献できます。つまり、(コスト増になって税金から大量の持ち出しが発生したとしても)当初案のように多目的化して施設の稼働率を高めるやりかたのほうが正しかったように思えてきました。なんといっても、スポーツや文化の振興といったメリットはプライスレスですから。
(しつこいようですが)このように発想しなかったのが、現在の日本人の「器」なのだと思います。