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どこからが「自己責任」?」記事へのコメント

  • 日本人というだけで十分に広い選択肢があるはずなんですが、それは。

    • 社会としては、そのとおりだと思います。それは、(充分かどうかはともかく)多様性という言葉に置き換えられるものですね。

      ただ今回はそういう話ではなくて、個々人の内面においては選択肢なんてない(いつの時代のどんな場所でも)よね、というものです。

      • 個々人の内面においては選択肢なんてない

        ていうことは、哲学の決定論 [wikipedia.org]的な考え方ってことでしょうか?
        本当に自由意思はないとお考えですか?
        極端な例ですが、殺人を犯した人が「自分が選んだわけではない」ゆえに「自分の罪ではない」と主張してそれを認める考えとか。
        認めないならそれこそ自分が許せるか許せないかに基づいて線引きしていて自己欺瞞だと思います。

        まぁ、個々人の内面も独立ではないので外からの干渉があり完全な『自由意思』もないと思いますが。人間は良くも悪くも社会的な生物ってことでしょう。

        • by aruto250 (21874) on 2016年05月19日 0時01分 (#3015003) 日記

          ああ、確かに決定論的なことを言ってしまっていました。
          しかし粒子の玉突きほどシンプルではないかもしれないにせよ、人間の思考も物理的現象でしかないとの思いから、やはり「決定論的な」感じになるだろうなあと思います。

          極端な例ですが、殺人を犯した人が「自分が選んだわけではない」ゆえに「自分の罪ではない」と主張してそれを認める考えとか。

          実際のところ、こういうものをどうすればよいのか考えることがよくありますが、今のところの自分の考えとしては、「罪ではない」です。
          とは言え適切なフィードバックがなければ集団(社会)の崩壊につながりますから、「罪でないが、マイナスの報酬を与える」というところに落ち着くかと思います。
          (しかしもはや「道徳」の屋根の下から出てしまっているので、「罪」とか「罰」とか「裁く」という考え方ではカバーできないし余計な色が付き過ぎている感じです)

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