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> オープンソースソフトウェアを使用する多くの企業や政府がセキュリティ向上のための資金を援助するようになることを望んでいるとのことだ
その企業や政府が金を出しくれていれば問題なかったのにね。フリーソフトウェアはこれが現実だよオープンソースはフリーソフトと決別すべき時なのかも
> その企業や政府が金を出しくれていれば問題なかったのにね。フリーソフトウェアはこれが現実だよ> オープンソースはフリーソフトと決別すべき時なのかも
企業は、フリーソフトウェアには金を出さないが、オープンソースには金を出すということでしょうか?
「オープンソース」は、対企業マーケティングのために、左翼っぽいイメージを持つフリーという言葉を使わないで、同じ物を言い換えただけの言葉です。同じものを、名前だけを変えて売ることができたのなら、マーケティングとして大成功ですね。
オープンソースとストールマンの言うフリーソフトの間には断絶があるが。オープンソースなら実態はともあれソースコードの使用や改変を制限できるからな。
オープンソースなら実態はともあれソースコードの使用や改変を制限できるからな。
Open Source Initiativeによるオープンソースの定義によれば、「ソースコードの使用や改変を制限」するような配布形態は、オープンソースとして認められません。
以下該当箇所:
3. 派生的著作物オープンソースライセンスは改変と派生的著作物を許容しなければならない。また、派生的著作物が元のソフトウェアと同じ条項において配付されることを許容しなければならない。(略)6. 使用領域に関する差別の禁止オープンソースライセンスは、誰かが特定の領域でプログラムを利用することを制限してはならない。たとえば、商用利用や、
3. 派生的著作物
オープンソースライセンスは改変と派生的著作物を許容しなければならない。また、派生的著作物が元のソフトウェアと同じ条項において配付されることを許容しなければならない。
(略)
6. 使用領域に関する差別の禁止
オープンソースライセンスは、誰かが特定の領域でプログラムを利用することを制限してはならない。たとえば、商用利用や、
その定義はOpen Source Initiativeによるオープンソースの定義に過ぎないんだよね。オープンソースは多種多様な組織と人物に好き勝手に使われているからオープンソースソフトウェアという単語にはソースコードが公開されたソフトウェアという程度の意味しかない。左翼っぽいイメージを持つフリーという言葉を使わないで、同じ物を言い換えただけの言葉として発明されたオープンソースという単語はいまでは発案者の意図を超えて使われてしまっている。
>その定義はOpen Source Initiativeによるオープンソースの定義に過ぎないんだよね
オープンソースという用語を考案し広めたEric Raymondが設立した団体です。Eric RaymondおよびOSIがオープンソースに関する思想を打ち立てて広め成功させたた功績は大きいですし、オープンソースに携わる人ならOSIが提唱する定義に反対する人はまずいないと思いますが。
>左翼っぽいイメージを持つフリーという言葉を使わないで、同じ物を言い換えただけの言葉として発明されたオープンソースという単語はいまでは発案者の意図を超えて使われてしまっている。
そんな使われ方は知らないし、あったとしても誤用です。言葉の定義は、あるていどはきちっと決まっていないと、意思疎通に支障をきたします。
フリーソフトを言い出したストールマンはOpen Source Initiativeがオープンソースと定義しているmitライセンスを非自由ソフトウェアとして批判している。オープンソースという単語は同じ物を言い換えただけの言葉ではなく自由ソフトウェアの(少なくとも考案者にとって)必要な要素を抜き取ったものです。そしこの抜き取られた要素が営利企業にとって邪魔なものでもある。企業以外にとってもコピーレフトの強制は面倒なんだが。
フリーソフトを言い出したストールマンはOpen Source Initiativeがオープンソースと定義しているmitライセンスを非自由ソフトウェアとして批判している。
GNUは(≒RMSは)MITライセンス(X 11ライセンス)をフリーソフトウェアライセンスのひとつに数えていますし、「小さなプログラムのための優れたライセンス」とまで言っています。したがって「mitライセンスを非自由ソフトウェアとして批判している」は誤りです。
フリーソフトウェアの定義は、MITライセンスのようにコピーレフトでないpermissiveなライセンスを排除しません。
http://internet.watch.impress.co.jp/www/article/2003/0425/stallman.htm [impress.co.jp] ストールマン氏の理想である自由を守るための方法の1つが、Copyleftという考え方だ。これは、「GNU GPL」という形でライセンス供与されている。Copyleftは、著作権(Copyright)を元にした考え方だ。GNU GPLでは、ある条件に基づいてソフトウェアを自由に改変し、配布し、コピーする権利を認めている。その条件とは、改変したソフトウェアを公開する場合、そのソフトウェアも“自由”が保障されていなくてはならないというものだ。
この考え方は、MITの「Xwindow」の失敗を教訓にしている。MITがリリースしたオリジナルのXwindowは、自由を保障したものだった。ところがそれをUNIXに組み込んだベンダーは、そのソースコードを独占してしまった。ストールマン氏は、「その結果、開発者はXwindowをフリーソフトといい、ユーザーはそれをノンフリーソフトという混乱が起きてしまった。MITのライセンスでは、再配布にあたってノンフリーソフトウェアとして配布することさえも自由にしてしまったのだ。我々はこの失敗から学ばなくてはならない」と振り返る。
もちろんRMSはソフトウェアを使う自由のためにコピーレフトが重要だと主張しています。
しかし、GNUプロジェクトはコピーレフトでないライセンスをフリーソフトウェアと認めていますし(*1)、GNUプロジェクトは実際にコピーレフトでないライセンスをフリーソフトウェアライセンスとしてリストアップしています(*2)。したがって「mitライセンスを非自由ソフトウェアとして批判している」は誤りです。
*1について。What is free software? [gnu.org]よりGNUによるフリーソフトウェアライセンスの定義の一部を引用します。
Freedom 3 (引用車註: 改変物を配布する自由)は、フリーソフトウェアを改変して、それをリリースする自由です。フリーライセンスは他のリリース方法を許容することもできます。つまり、フリーライセンスはコピーレフトライセンスでなくても構いません。ただし、改変されたバージョンが非自由であることを要求するライセンスはフリーライセンスではありません。
*2については、Various Licenses and Comments about Them [gnu.org]の中で、“permisive”とされているものを見てください。
念のため、いくつかの対立軸について雑駁に整理します。
フリーソフトウェア 対 オープンソース・ソフトウェア:
定義の文面は違えど実質的には同じものであり、「使用、配布、改変、改変物の配布が自由にできること」がその主な内容です。
フリーソフトウェア運動 対 オープンソース運動:
フリーソフトウェア運動はソフトウェアにおける自由を推し進める運動であり、主要なアクターはFSF、その設立者であるRMSです。これに対してオープンソース運動は、自由なソフトウェアの技術的な優位性に力点を置いた運動であり、主要なアクターはOSIです。
オープンソース運動はフリーソフトウェア運動の分派とみなすことができます。RMSはオープンソース運動を、自由を軽視するものであるとして批判しています。
コピーレフト 対 permissive:
改変物がフリーソフトウェアあるいはオープンソースであることを要求する配布形態がコピーレフトであり、改変物が非自由であることを許容する配布形態がpermissiveです。フリーソフトウェア=オープンソースのライセンスのうち、コピーレフトな物にはGPL, LGPL, AGPLなどがあり、permissiveな物にはBSDライセンス、MITライセンス、Apacheライセンスなどがあります。
RMSは自由を推し進めるための武器として、コピーレフトの重要性を主張しています。このため、FSFが推進するGNUプロジェクトでは、主としてコピーレフトライセンスであるGPLが採用されています。
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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
根本は (スコア:1)
> オープンソースソフトウェアを使用する多くの企業や政府がセキュリティ向上のための資金を援助するようになることを望んでいるとのことだ
その企業や政府が金を出しくれていれば問題なかったのにね。フリーソフトウェアはこれが現実だよ
オープンソースはフリーソフトと決別すべき時なのかも
Re: (スコア:0)
> その企業や政府が金を出しくれていれば問題なかったのにね。フリーソフトウェアはこれが現実だよ
> オープンソースはフリーソフトと決別すべき時なのかも
企業は、フリーソフトウェアには金を出さないが、オープンソースには金を出すということでしょうか?
「オープンソース」は、対企業マーケティングのために、左翼っぽいイメージを持つフリーという言葉を
使わないで、同じ物を言い換えただけの言葉です。同じものを、名前だけを変えて売ることができたのなら、
マーケティングとして大成功ですね。
Re: (スコア:0)
オープンソースとストールマンの言うフリーソフトの間には断絶があるが。
オープンソースなら実態はともあれソースコードの使用や改変を制限できるからな。
Re: (スコア:1)
Open Source Initiativeによるオープンソースの定義によれば、「ソースコードの使用や改変を制限」するような配布形態は、オープンソースとして認められません。
以下該当箇所:
Re: (スコア:0)
Open Source Initiativeによるオープンソースの定義によれば、「ソースコードの使用や改変を制限」するような配布形態は、オープンソースとして認められません。
その定義はOpen Source Initiativeによるオープンソースの定義に過ぎないんだよね。オープンソースは多種多様な組織と人物に好き勝手に使われているからオープンソースソフトウェアという単語にはソースコードが公開されたソフトウェアという程度の意味しかない。
左翼っぽいイメージを持つフリーという言葉を使わないで、同じ物を言い換えただけの言葉として発明されたオープンソースという単語はいまでは発案者の意図を超えて使われてしまっている。
Re: (スコア:0)
>その定義はOpen Source Initiativeによるオープンソースの定義に過ぎないんだよね
オープンソースという用語を考案し広めたEric Raymondが設立した団体です。
Eric RaymondおよびOSIがオープンソースに関する思想を打ち立てて広め成功させたた功績は大きいですし、
オープンソースに携わる人ならOSIが提唱する定義に反対する人はまずいないと思いますが。
>左翼っぽいイメージを持つフリーという言葉を使わないで、同じ物を言い換えただけの言葉として発明されたオープンソースという単語はいまでは発案者の意図を超えて使われてしまっている。
そんな使われ方は知らないし、あったとしても誤用です。
言葉の定義は、あるていどはきちっと決まっていないと、意思疎通に支障をきたします。
Re: (スコア:0)
フリーソフトを言い出したストールマンはOpen Source Initiativeがオープンソースと定義しているmitライセンスを非自由ソフトウェアとして批判している。オープンソースという単語は同じ物を言い換えただけの言葉ではなく自由ソフトウェアの(少なくとも考案者にとって)必要な要素を抜き取ったものです。そしこの抜き取られた要素が営利企業にとって邪魔なものでもある。企業以外にとってもコピーレフトの強制は面倒なんだが。
Re: (スコア:1)
GNUは(≒RMSは)MITライセンス(X 11ライセンス)をフリーソフトウェアライセンスのひとつに数えていますし、「小さなプログラムのための優れたライセンス」とまで言っています。したがって「mitライセンスを非自由ソフトウェアとして批判している」は誤りです。
フリーソフトウェアの定義は、MITライセンスのようにコピーレフトでないpermissiveなライセンスを排除しません。
Re:根本は (スコア:0)
http://internet.watch.impress.co.jp/www/article/2003/0425/stallman.htm [impress.co.jp]
ストールマン氏の理想である自由を守るための方法の1つが、Copyleftという考え方だ。これは、「GNU GPL」という形でライセンス供与されている。Copyleftは、著作権(Copyright)を元にした考え方だ。GNU GPLでは、ある条件に基づいてソフトウェアを自由に改変し、配布し、コピーする権利を認めている。その条件とは、改変したソフトウェアを公開する場合、そのソフトウェアも“自由”が保障されていなくてはならないというものだ。
この考え方は、MITの「Xwindow」の失敗を教訓にしている。MITがリリースしたオリジナルのXwindowは、自由を保障したものだった。ところがそれをUNIXに組み込んだベンダーは、そのソースコードを独占してしまった。ストールマン氏は、「その結果、開発者はXwindowをフリーソフトといい、ユーザーはそれをノンフリーソフトという混乱が起きてしまった。MITのライセンスでは、再配布にあたってノンフリーソフトウェアとして配布することさえも自由にしてしまったのだ。我々はこの失敗から学ばなくてはならない」と振り返る。
Re:根本は (スコア:1)
もちろんRMSはソフトウェアを使う自由のためにコピーレフトが重要だと主張しています。
しかし、GNUプロジェクトはコピーレフトでないライセンスをフリーソフトウェアと認めていますし(*1)、GNUプロジェクトは実際にコピーレフトでないライセンスをフリーソフトウェアライセンスとしてリストアップしています(*2)。したがって「mitライセンスを非自由ソフトウェアとして批判している」は誤りです。
*1について。What is free software? [gnu.org]よりGNUによるフリーソフトウェアライセンスの定義の一部を引用します。
*2については、Various Licenses and Comments about Them [gnu.org]の中で、“permisive”とされているものを見てください。
Re:根本は (スコア:1)
念のため、いくつかの対立軸について雑駁に整理します。
フリーソフトウェア 対 オープンソース・ソフトウェア:
定義の文面は違えど実質的には同じものであり、「使用、配布、改変、改変物の配布が自由にできること」がその主な内容です。
フリーソフトウェア運動 対 オープンソース運動:
フリーソフトウェア運動はソフトウェアにおける自由を推し進める運動であり、主要なアクターはFSF、その設立者であるRMSです。これに対してオープンソース運動は、自由なソフトウェアの技術的な優位性に力点を置いた運動であり、主要なアクターはOSIです。
オープンソース運動はフリーソフトウェア運動の分派とみなすことができます。RMSはオープンソース運動を、自由を軽視するものであるとして批判しています。
コピーレフト 対 permissive:
改変物がフリーソフトウェアあるいはオープンソースであることを要求する配布形態がコピーレフトであり、改変物が非自由であることを許容する配布形態がpermissiveです。フリーソフトウェア=オープンソースのライセンスのうち、コピーレフトな物にはGPL, LGPL, AGPLなどがあり、permissiveな物にはBSDライセンス、MITライセンス、Apacheライセンスなどがあります。
RMSは自由を推し進めるための武器として、コピーレフトの重要性を主張しています。このため、FSFが推進するGNUプロジェクトでは、主としてコピーレフトライセンスであるGPLが採用されています。