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新幹線内で焼身自殺し、乗客の一人を巻き添えで死なせた事件がありました。報告書 [mlit.go.jp]を見ると、せっかく当該車両から避難した客がデッキにとどまり、ドアも閉鎖せずにスマホで撮影していたという記述があります。報告書P.7
列の中から複数の乗客が、 デッキに立ち止まり、1両目の客室内 を見たり、荷物を整理したりしてい る。その後、避難する列に戻る乗客も いるが、スマートフォン等で客室内の 様子を撮影しようとしたり、デッキへ 避難後にデッキに停滞したり、逆行し たりする乗客もいる。 これにより、デッキで滞留ができた り、避難する乗客の動きが遅くなった りする。また、内妻引戸(以下「貫通 扉」という。)は開いたままとなる
それが巻き添えの一人の死につながったのかは知りませんが、集団行動が(間接的だが)本来の原因となる事ってあるとおもいます。
たとえば、福知山線の事故とか、根本は無理な乗車の方に原因があると思いますし。
この平和で先進国な日本に住んでると、なかなか死を意識することはないし、噴火で死ぬ、ということも考えなさそうな気がする。「うわ、珍しいもの撮れそう」という意識の方が強そう。津波もみんな甘く見てたしね。
自撮りというより「記録に残したい欲」かな。事故や火事などあると集まって撮影したりなんかする野次馬みたいなもんじゃないかな。命の危険感じてない。
人間って、どこまでいくと命の危険を感じた行動に移るんだろう。噴火の場合、マグマや大きな落石が迫ってきたら確実に逃げるけど、噴煙だと逃げる人すくなそう。
「正常性バイアス」ってやつですね。これを回避するのは難しいらしい。
「九死に一生の場面」ってのも後から検証したらそれくらい危険な場面だったのが分かるわけで、当事者が現場で「これは九死に一生の場面だ!」って考えてたとは限らないんだよね。
このへんはちゃんと時系列に基づいて状況判断を類推する考え方をしないとミスリードにつながりやすい。
「九死に一生の場面」と思って撮るのと、あとから「九死に一生の場面」だったのかでは意味合いが変わってきますが今回の話は前者の話ですよね
あとから「九死に一生の場面」だったのか的な自撮りでは「生き延びようとする」気持ちで撮るようなことは無いでしょ(年がら年中誰かから命を狙われているのなら別ですが)バカッターで地下鉄の高圧ケーブル跨いでるような自撮り見ても「ただ目立ちたい」という本能というか煩悩しか感じ取れませんからね
「九死に一生の場面」と思って撮るケースってのがあるのかイマイチ懐疑的。
危険な場所でも自己責任の元で解放してやった方が独創的なことが出てくるんだよね。それで死んだとしても「死んじまってしょうがねーなー」くらいの命の価値なのかも知れない。周りにとっては迷惑でしかないけど、自由であることを保つために許容してるのかと思う。
安全を重視して命の価値を高くするのも大事だけど、あまり行き過ぎると思い切ったことは出来なくなるというジレンマ。
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
噴煙見たらすぐ逃げて (スコア:2)
写真なんか撮っている暇があったら、さっさと逃げれば命が助かったのか、
助かりそうもないので、せめて写真に記録しておこうと覚悟を決めたのか、
真相はわかりませんが。
最近だとインスタとかYouTubeに投稿して自慢したいという名誉欲みたいのが勝って、
命の危険を顧みない人も多いかもしれません。
Re:噴煙見たらすぐ逃げて (スコア:1)
新幹線内で焼身自殺し、乗客の一人を巻き添えで死なせた事件がありました。
報告書 [mlit.go.jp]を見ると、せっかく当該車両から避難した客がデッキにとどまり、ドアも閉鎖せずにスマホで撮影していたという記述があります。
報告書P.7
列の中から複数の乗客が、 デッキに立ち止まり、1両目の客室内 を見たり、荷物を整理したりしてい る。その後、避難する列に戻る乗客も いるが、スマートフォン等で客室内の 様子を撮影しようとしたり、デッキへ 避難後にデッキに停滞したり、逆行し たりする乗客もいる。 これにより、デッキで滞留ができた り、避難する乗客の動きが遅くなった りする。また、内妻引戸(以下「貫通 扉」という。)は開いたままとなる
Re: (スコア:0)
それが巻き添えの一人の死につながったのかは知りませんが、
集団行動が(間接的だが)本来の原因となる事ってあるとおもいます。
たとえば、福知山線の事故とか、根本は無理な乗車の方に原因があると思いますし。
Re: (スコア:0)
この平和で先進国な日本に住んでると、なかなか死を意識することはないし、
噴火で死ぬ、ということも考えなさそうな気がする。「うわ、珍しいもの撮れそう」という意識の方が強そう。
津波もみんな甘く見てたしね。
自撮りというより「記録に残したい欲」かな。
事故や火事などあると集まって撮影したりなんかする野次馬みたいなもんじゃないかな。命の危険感じてない。
人間って、どこまでいくと命の危険を感じた行動に移るんだろう。
噴火の場合、マグマや大きな落石が迫ってきたら確実に逃げるけど、噴煙だと逃げる人すくなそう。
Re:噴煙見たらすぐ逃げて (スコア:2)
「正常性バイアス」ってやつですね。
これを回避するのは難しいらしい。
Re: (スコア:0)
「九死に一生の場面」ってのも後から検証したらそれくらい危険な場面だったのが分かるわけで、当事者が現場で「これは九死に一生の場面だ!」って考えてたとは限らないんだよね。
このへんはちゃんと時系列に基づいて状況判断を類推する考え方をしないとミスリードにつながりやすい。
Re: (スコア:0)
「九死に一生の場面」と思って撮るのと、あとから「九死に一生の場面」だったのかでは意味合いが変わってきますが
今回の話は前者の話ですよね
あとから「九死に一生の場面」だったのか的な自撮りでは「生き延びようとする」気持ちで撮るようなことは無いでしょ(年がら年中誰かから命を狙われているのなら別ですが)
バカッターで地下鉄の高圧ケーブル跨いでるような自撮り見ても「ただ目立ちたい」という本能というか煩悩しか感じ取れませんからね
Re: (スコア:0)
「九死に一生の場面」と思って撮るケースってのがあるのかイマイチ懐疑的。
Re: (スコア:0)
危険な場所でも自己責任の元で解放してやった方が独創的なことが出てくるんだよね。それで死んだとしても「死んじまってしょうがねーなー」くらいの命の価値なのかも知れない。周りにとっては迷惑でしかないけど、自由であることを保つために許容してるのかと思う。
安全を重視して命の価値を高くするのも大事だけど、あまり行き過ぎると思い切ったことは出来なくなるというジレンマ。