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「平等は絶対善」というのは正しいのか
「悪平等」 [goo.ne.jp]と言う言葉があります。 人は一人として同じ能力を持ってはいません。 おそらく(大抵の人は)理屈としてはそれを理解してる筈です。 しかし「見掛けの平等感」にとらわれて,それを忘れてしまいます。 この手の話でよく聞く「かけっこで手を繋いでゴール」てな話は正にそれが表された事例です。 「足が遅い子が可哀想」だって? 「勉強が出来ない子が可哀想」だから受験制度廃止しましょう なんて話に・・・なりませんよね?(^_^;
起業する機会に不平等が発生
その場合に「資金」の差が存在する事は否定しないけど かならずしも金持ちが単純に成功するとは限らない。 企業活動ってのは,社会のニーズを捉えられなきゃ意味が無い。 それらを判断するのは「資金」じゃなく「人間」なので。 それこそ「暴力的なゲームが売れる」からって「金持ちが作ったゲームが売れる」とは限らない。 まぁ,宣伝は大きく打てるだろうけどネ :-)
子供を親に育てさせないこと
ポル・ポト政権の事を指してるのでしょうが その結果「経済競争力」においてかなり出遅れたのも事実でわ? つまり「機会・結
機会の平等さえ実現されれば、それがよい平等である、と主張するのは欺瞞です。
現実問題として「完璧な」機会の平等の実現は難しいでしょう。考えるまでもなく生物学的な個人差は解消できません。
しかし、いわゆる「機会の平等」が妥協を含む努力目標であることは、性差/疾病/障害の有無などによる機会の不平等を法廷に訴える場合が少からずある、そして社会(日本だけでなく)もそのような不平等に敏感になり、できる限り排除しようとしてきていることからも明白です。が、誰も完全に平等を実現できるとは主張していないし、現在
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海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい -- Steven Paul Jobs
法で規制されなくとも (スコア:1)
そこには言論の自由も表現の自由も存在しないのであった。
# '小人'で引っかかったときは激しく脱力した
# "'ノーム'ならOK?"とか顔色うかがいながらの対応
# でもその割に'チビ'が通ってたりすんのよね…なんか理不尽
やるなら、パソゲ(ソフ倫
--
Ath'r'onならfloatあたりに自信が持てます
Re:法で規制されなくとも (スコア:2, 興味深い)
>そこには言論の自由も表現の自由も存在しないのであった。
キャラクターの指がちゃんと5本見えていないのでNGが来た [doga.co.jp]って話もありますね。
こちらのページ [so-net.ne.jp]で言われて
Re:法で規制されなくとも (スコア:3, 興味深い)
私もこの問題に対して何らかの解決策を持っているわけではありません。しかし、私は上で言う問題が本質だとは思いません。それは、本質から派生したものでしかないと思います。
この問題の本質とは、次のようなことではないでしょうか?私たちは、差別を問題にするとき、差別の反対の概念として平等を持ってきます。現代
Re:法で規制されなくとも (スコア:2, すばらしい洞察)
「悪平等」 [goo.ne.jp]と言う言葉があります。
人は一人として同じ能力を持ってはいません。
おそらく(大抵の人は)理屈としてはそれを理解してる筈です。
しかし「見掛けの平等感」にとらわれて,それを忘れてしまいます。
この手の話でよく聞く「かけっこで手を繋いでゴール」てな話は正にそれが表された事例です。
「足が遅い子が可哀想」だって?
「勉強が出来ない子が可哀想」だから受験制度廃止しましょう
なんて話に・・・なりませんよね?(^_^;
Re:法で規制されなくとも (スコア:1)
では、「よい平等」ってなんでしょう?その反対は、「差別」(あるいは、「悪い差別」)になるんでしょうか?
そろそろ、平等主義(あるいは、人権主義)を考え直す時期に来ているのかもしれません。
Re:法で規制されなくとも (スコア:1)
悪い平等 : 結果平等
というのが、ある程度コンセンサスを得られるのではないかと思われ。
Re:法で規制されなくとも (スコア:1)
しかし、もう一歩考えると、それは欺瞞でしかないことがわかるはずです。結果の平等は、次の機会の不平等を生みます。真に機会の平等を目指すなら、結果の平等も目指さざるを得ません。わかりやすい例を挙げましょう。ある世代の人々が真に機会の平等を得て、競争したとします。結果の平等は保証されませんから、機会が平等であるにもかかわらず、結果は不平等です。例えば、金持ちと貧乏人が発生します。ここまでは言うまでもないですね。
では、彼らの次の世代、つまり、子供の世代になったとしましょう。この子供の世代において、機会の平等は
Re:法で規制されなくとも (スコア:1)
その場合に「資金」の差が存在する事は否定しないけど
かならずしも金持ちが単純に成功するとは限らない。
企業活動ってのは,社会のニーズを捉えられなきゃ意味が無い。
それらを判断するのは「資金」じゃなく「人間」なので。
それこそ「暴力的なゲームが売れる」からって「金持ちが作ったゲームが売れる」とは限らない。
まぁ,宣伝は大きく打てるだろうけどネ :-)
ポル・ポト政権の事を指してるのでしょうが
その結果「経済競争力」においてかなり出遅れたのも事実でわ?
つまり「機会・結
Re:法で規制されなくとも (スコア:1)
> その場合に「資金」の差が存在する事は否定しないけど
> かならずしも金持ちが単純に成功するとは限らない。
つまり、結果が不平等になると言うことですよね。その不平等な結果が、資金の差と言う次の機会の不平等を生みます。私の主張を否定するものではありませんよね。
> それこそ「暴力的なゲームが売れる」からって「金持ちが
> 作ったゲームが売れる」とは限らない。
> まぁ,宣伝は大きく打てるだろうけどネ :-)
その通りですね。しかしこれまた、不平等な結果が、宣伝を打てるか否かと言う、次の機会の不平等を生む、と言うことで、私の主張を微塵も否定していませんね。
> > 子供を親に育てさせないこと
> ポル・ポト政権の事を指してるのでしょうが
<<略>>
> 「理屈」にとらわれ過ぎると,結果が「屁理屈」になっちま
> いますよ(笑)
何か勘違いしていませんか?私は共産主義が正しいと言っているわけではありませんよ。機会の平等と結果の平等を分けて考えるのは欺瞞だ、と言っているだけです。実際には分けられないものを、分けて考える事のほうが、よっぽど屁理屈でしょう。
全体的に論旨がハッキリしませんね。機会の平等と結果の平等を分けられるのですか?分けられないのですか?どっちなんです?
Re:法で規制されなくとも (スコア:0)
Re:法で規制されなくとも (スコア:1)
機会の平等さえ実現されれば、それがよい平等である、と主張するのは欺瞞です。機会の平等は結果の平等を保障しませんが、結果の不平等は次の機会の不平等を生みます。結果の平等を保障せずに、機会の平等だけを実現するのは無理なのに、結果の平等だけを主張するのは欺瞞だ、と言うことです。
お解りですか?
平等至上主義者にとっては、いずれの平等も実現されなければ欺瞞だ、という結論にならざるを得ないでしょう。しかし私は、平等至上主義の立場を採りませんので、そう言う結論にはなりません。
Re:法で規制されなくとも (スコア:0)
なぜですか?
#そもそも、平等至上主義者って何?
ほっとけば結果の不平等が生じるのは確実です。
そこから、機会の不平等も発生します。
で、機会の不平
Re:法で規制されなくとも (スコア:1)
機会の平等を整備するなどして、ほっとかなくても、結果の不平等が生じますね。言葉は正確に。
> で、機会の不平等の格差をなるべく小さくしよう(特に、「負」の
> 部分を少なくしよう)というのがなぜ欺瞞なのでしょうか?
機会の平等は実現不可能なのに、それさえ実現すれば良い、というような主張をするからです。
もちろん、結果の不平等が機会の平等を阻害するから、そもそも機会の平等など実現不可能なのだ、と主張するなら、欺瞞でも何でもありません。
> 平等至上主義者は完璧主義者でないといけないのでしょうか?
至上主義者は完璧主義者でなければならないでしょう。
平等が至上価値でないというのなら、平等は相対的な価値でしかないこと認めることであって、それは平等至上主義ではありませんね。それが実際的な考え方というものですが、現代日本においては、意識的にあるいは無意識的に平等を至上価値のように思い込みがちです。それは、現代日本のイデオロギーに原因があるのです。そのイデオロギーとは、人権思想です。
念のために言っておきますが、だからと言って人権思想が全くダメだとか、良いところは何も無いなどとは言いませんよ。良いところも有れば悪いところも有る。その正しさは、他のイデオロギーと同じで、相対的なものでしかない、と言うことです。
#人権だけは別だ、なんて言い出す人もいますけどね...
> #それとも、ただ言葉遊びをしたいだけなのかな?
そういうことにしたいのですね?(笑)
Re:法で規制されなくとも (スコア:0)
それとも、仮想敵ですか?
Re:法で規制されなくとも (スコア:1)
Re:法で規制されなくとも (スコア:0)
仮想敵である。
ということでいいですか?
Re:法で規制されなくとも (スコア:0, 余計なもの)
Re:法で規制されなくとも (スコア:0)
現実問題として「完璧な」機会の平等の実現は難しいでしょう。考えるまでもなく生物学的な個人差は解消できません。
しかし、いわゆる「機会の平等」が妥協を含む努力目標であることは、性差/疾病/障害の有無などによる機会の不平等を法廷に訴える場合が少からずある、そして社会(日本だけでなく)もそのような不平等に敏感になり、できる限り排除しようとしてきていることからも明白です。が、誰も完全に平等を実現できるとは主張していないし、現在
Re:法で規制されなくとも (スコア:1)
> それがなければ機会を奪われていただろう人たちにとって福音で
> ある、という意味で以前よりまし、という主張には何ら欺瞞はあ
> りません。
誰がそんなことが欺瞞だと言いましたか?
> 「機会の平等」とひと口に言うだけで、それが完全なものでな
> ければならない、という意味不明で根拠のない前提が暗黙のう
> ちにあなたの主張に含まれています。
「『機会の平等』とひと口に言うだけで」なんていう前提は置いていませんよ。真に平等を目指すなら(これが私が置いた前提ですね)、結果の平等だって目指さざるを得ない、と言っているだけです。
また、機会の平等を目指せば平等なのだ、と言うのは欺瞞に過ぎない、とも言いました。機会の平等は実現できないし、結果は不平等であるし、結果の不平等は次の機会の不平等に繋がるのだから。
しかしながら、平等は人権イデオロギーの根幹を成していて、建前としては真の平等を目指さざるを得ない(平等至上主義ですね)、というところに問題の本質があるのでしょう。
Re:法で規制されなくとも (スコア:0)