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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
私のプチ体験と差別の微妙な再生・保存 (スコア:2, 参考になる)
が乏しかったこともあってか、部落差別に関し私が直接体験したのは
「○○さんは部落の出身者なんだってよ。」
とこっそり教えてくれた祖母(故人)の一言だけです。
約30年前の私の小学生時代の学級会ではすでに
「今時部落差別なんて聞いたことない」
「具体的にどこが被差別部落なのか?」
「差別を知らなかったのだから、わざわざ教えないでほしかった」
といった意見が出てました。(いうまでもなく小学生の意見です。)
その後、被差別地区名鑑?のようなモノを出版販売している業者が摘発されるの
をたびたび新聞で目にすることとなり、身近には感じないまでも差別の根深さ
を知ることとなりました。
まあ、それはともかく、教師側も同和教育にはかなり神経を使っていたと思
います。が、いかんせん抽象的な授業になりがちなため、教師の方もそれとな
く身近に被差別部落があった(ある)ことを教えてくれます。
「"昔は"○○(他の校区)のほうに部落があった。」←さすがに自校区のことは言えない
「江戸時代に○○を生業とされていたため、現在は○○などを仕事としている
ひとが多い。」
「補助をしているので、突然家がきれいになったり、山中に立派な道路ができ
たりする。」
とか。
もちろん住民の移動や就業の自由があることは小学生でも分かるので、教師
が語った地区の住民全員が被差別部落の末裔とは思わなかったですし、「ばい
菌タッチ!!」「バリアー」とかやって遊んでいても同和に関するおふざけは全く
しなかったです。中学高校と進級して他の校区の友達ができると情報を突き合
わすことができ、より正確な情報を知ることとなりましたが、すでに耐性は十
分できてました。
被差別の「○○地区」や「○○さん」が何所で誰か、ということは今でも
はっきり覚えています。子供心に衝撃を受けたんでしょう。でも一番純粋な子
供の時に教育するといことはやっぱり間違っていない、と大人になった今は思
います。
で私も具体的な人名や地名を挙げて次世代に語り継ぐつもりは毛頭ないのだ
けど、死んだ祖母のようにいつかぽろっと言ってしまうかもしれない、という
不安はのこります。あと二三世代もすれば風化してしまうとは思いますが。
ネットで情報が蓄積されない限りね!!
あ、あと私のところでも集落を「部落」と呼んでいます。はじめは自分も被
差別側かと思ってたです。(笑)
↑こういうところにほのかな差別意識が現れますね。自分が被差別側でない
と思っているからなんですけど、単に祖父母や父母が自分の出自を教えなかっ
ただけかもしれない。
Re:私のプチ体験と差別の微妙な再生・保存 (スコア:2, すばらしい洞察)
ただ、それによる経済効果が無ければいいのだと思います。
そうなれば、只の「歴史上の出来事」になるわけですな。
Re:私のプチ体験と差別の微妙な再生・保存 (スコア:1)
同和教育ってあったのでしょうか?
ただ、小学校6年ぐらいで「橋のない川」を読んだ記憶があります。
体験があまり無いので、
自分の中の体験としては、この読書ぐらいです。
縁があったら読み返してみようか、、、