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回答します。理由は動詞だから。自信はまったくなし。国文法の参考書は買ってありますが、いつ読み始めることやら…
毎日、ひとりぼっちで教室にいる。
「毎日、」が「いる」に係るとすると、かなりナンセンスな文になりますね。
「毎日、いる。」そんなにナンセンスな文ではないと思ってしまう。ナンセンスなSF小説を読みすぎなせいかもしれませんね。
「毎日、」を異なる頻度の修飾句に替えてみると分かり易いかな。例えば「三日に一度、」と変えてみると「走る」に係るのが一番自然な感じがしますね。でも、毎日走っていて全部の状況がそろうのが三日に一度なのかもしれません。そう思うと安岡さんの言われる通りなのかも。
まあ、この文の曖昧性を際立たせる手としては、たとえば「もう一人ぼっちじゃない。」という一文を後に置いてみる、というのもアリだったりします。あるいは「もう僕の足は大丈夫だ。」も面白いかな。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
エと (スコア:1)
回答します。理由は動詞だから。自信はまったくなし。国文法の参考書は買ってありますが、いつ読み始めることやら…
Re:エと (スコア:2)
毎日、ひとりぼっちで教室にいる。
「毎日、」が「いる」に係るとすると、かなりナンセンスな文になりますね。
Re:エと (スコア:2)
「毎日、いる。」そんなにナンセンスな文ではないと思ってしまう。
ナンセンスなSF小説を読みすぎなせいかもしれませんね。
「毎日、」を異なる頻度の修飾句に替えてみると分かり易いかな。
例えば「三日に一度、」と変えてみると「走る」に係るのが一番自然な感じがしますね。
でも、毎日走っていて全部の状況がそろうのが三日に一度なのかもしれません。
そう思うと安岡さんの言われる通りなのかも。
Re:エと (スコア:3)
まあ、この文の曖昧性を際立たせる手としては、たとえば「もう一人ぼっちじゃない。」という一文を後に置いてみる、というのもアリだったりします。あるいは「もう僕の足は大丈夫だ。」も面白いかな。