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似たようなものに、パフォーマンスアートのものまねがある生身か機械かの差しかないその間に境界線を引くことは不可能ではない気持悪い、という主張はOKだが、倫理的に許されないと主張するには、倫理学の難しい議論を踏まえる必要があるどうせそんなことするやつはほとんどいないと思うが
モノマネは「本人ではない」という体裁をとっているから面白いでもこれは「美空ひばり」として扱われてるので気持ち悪い
顔がメタリックでビスがついてるような「メカミソラヒバリ」とか「ボーカロイドひばり」という別のキャラクターなら許されたのではないか
あれを本物の美空ひばりだと思っていた人はいるのでしょうかもしかしてあなたはそうですか?
単に、似すぎて気持ち悪いんじゃないですか?生身のモノマネでも、似すぎてると気持ち悪いですよ
生身によるモノマネはOKだが、機械によるモノマネは侮辱、ということは「ありうる」たとえば、霊魂の実在を信じている人であれば、前者は死者の霊魂が乗り移ったと考え、後者は霊魂を侮辱したと考えるかもしれない死体を損壊することは一般的に死者への侮辱だと考えられているし、 死体損壊罪・遺棄罪 [wikipedia.org]というものもある> 本罪の保護法益は公衆の敬虔感情[1]、死者に対する敬虔感情を保護法益とする[2]とされている。これに死者が生前に有していた人格権の事後的な効果を含める説もある[1]。こういうものがある以上
ちょっと面倒くさい話だけどさ…その手の事を言い過ぎると、今度は既存のボカロファンが怒るよ…。
そうすると「歌」とは何か、ということを考える必然性がでてくるこれはもしかすると、生きている人が歌う歌についても、なにか実りある考えがでてくるかもしれないたとえば、歌というのは人間にとって特別なパフォーマンスで、ロートレックのタッチやモーツァルトの旋律といっしょにはできない、など
# 思想信条は複雑怪奇…。
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
これはメディアアート (スコア:0)
似たようなものに、パフォーマンスアートのものまねがある
生身か機械かの差しかない
その間に境界線を引くことは不可能ではない
気持悪い、という主張はOKだが、倫理的に許されないと主張するには、倫理学の難しい議論を踏まえる必要がある
どうせそんなことするやつはほとんどいないと思うが
Re:これはメディアアート (スコア:2)
モノマネは「本人ではない」という体裁をとっているから面白い
でもこれは「美空ひばり」として扱われてるので気持ち悪い
顔がメタリックでビスがついてるような「メカミソラヒバリ」とか「ボーカロイドひばり」という別のキャラクターなら許されたのではないか
Re: (スコア:0)
あれを本物の美空ひばりだと思っていた人はいるのでしょうか
もしかしてあなたはそうですか?
単に、似すぎて気持ち悪いんじゃないですか?
生身のモノマネでも、似すぎてると気持ち悪いですよ
Re: (スコア:0)
生身によるモノマネはOKだが、機械によるモノマネは侮辱、ということは「ありうる」
たとえば、霊魂の実在を信じている人であれば、前者は死者の霊魂が乗り移ったと考え、後者は霊魂を侮辱したと考えるかもしれない
死体を損壊することは一般的に死者への侮辱だと考えられているし、 死体損壊罪・遺棄罪 [wikipedia.org]というものもある
> 本罪の保護法益は公衆の敬虔感情[1]、死者に対する敬虔感情を保護法益とする[2]とされている。これに死者が生前に有していた人格権の事後的な効果を含める説もある[1]。
こういうものがある以上
Re: (スコア:0)
ちょっと面倒くさい話だけどさ…その手の事を言い過ぎると、今度は既存のボカロファンが怒るよ…。
そうすると「歌」とは何か、ということを考える必然性がでてくる
これはもしかすると、生きている人が歌う歌についても、なにか実りある考えがでてくるかもしれない
たとえば、歌というのは人間にとって特別なパフォーマンスで、ロートレックのタッチやモーツァルトの旋律といっしょにはできない、など
# 思想信条は複雑怪奇…。