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Severinghaus 博士が青柳卓雄氏のパルスオキシメーターの開発について書いた論文を読むと,日本光電工業に在籍していた青柳氏がパルスオキシメーターを開発して特許を申請したのが1974年の3月29日,ミノルタのグループが同様の技術の特許を申請したのが同年4月24日。その後,日本光電工業は青柳氏を異動させてパルスオキシメーターの開発を打ち切ったが,ミノルタは特許申請の却下にもかかわらず開発を続けたことで技術が埋もれずにすんだと青柳氏は感謝していたとのこと。
>日本光電工業に在籍していた青柳氏がパルスオキシメーターを開発して特許を申請したのが1974年の3月29日,ミノルタのグループが同様の技術の特許を申請したのが同年4月24日。
これはミノルタの中の人はびっくりだったそうです。先行出願がありまさかの却下。特許出したことある人は判ると思うけど、公開されるまでのタイムラグが数カ月あります。先行調査していて大丈夫だと判断したの出願してもわずか20日ほどの違いで駄目だったのですから。
>ミノルタは特許申請の却下にもかかわらず開発を続けたことで技術が埋もれずにすんだと青柳氏は感謝していたとのこと。
パルスオキシメータの父 [jst.go.jp]にも書いてありますね。最初のパルスオキシメータOLV-5100 [google.com]はハロゲンランプを使い光学フィルタとフォトトランジスタを使っています。今のLEDとフォトダイオードを使った構成とはだいぶ違います。1974年当時の日本では今ほどLEDが一般的でなく、そのような構成だったと聞きます。1974年4月26日に日本ME学会大会で発表、1975年に発売はしましたが大々的に販売はせず十数台作り、学会での発表や特注に近い程度で終わったようです。
青柳先生の論文 [jst.go.jp]には、心拍出量を計測するための色素希釈法の耳センサの考えていた際に、脈を打つノイズを除去するための手法として、そのノイズを消すための比が動脈血の酸素飽和度を示していることに気づいたようです。「こんな旨い話がこんなて手近なところにあるとは信じがたいことだった」と。
1977年にミノルタがOXIMETを発売し、これがアメリカに持ち込まれ、感銘を受けたDr.Newがネルコア/Biox社を創業。この時にLEDとマイコンを使った今日の原型が1982年に発売されたNellcor N100。アメリカで急速に普及した要因と、日本でなぜ最初に普及できなかったことの直接の理由(医療事故に対する日米の違い)、間接の理由(医療Mと工学Eの協力体制)について青柳先生なりの解釈もありますのでご一読あれ。
そしてそのミノルタ、現コニカミノルタはパルスオキシメーターの製造を辞めましたね。
Nellcoreが小児でうまく検出できるようにしたり末梢低灌流の患者でもSpO2を検出できるように検出感度の向上させ、Masimoは得られる脈波から各種パラメータ(SpHb/SpOc/SpCO/SpMet,PVI,ORI等)をモニタリングできるようにしたりと色々発展させてきたんだが、この分野では日本光電は各社からチップ提供を受けて生体モニターを作るだけに成り下がってしまった。
いいえ、日本光電は他社製使いたいユーザー向けにNellcoreやmasimoのモジュールも出していますが殆どが自社製です。
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企業の先見性 (スコア:4, 興味深い)
Severinghaus 博士が青柳卓雄氏のパルスオキシメーターの開発について書いた論文を読むと,
日本光電工業に在籍していた青柳氏がパルスオキシメーターを開発して特許を申請したのが
1974年の3月29日,ミノルタのグループが同様の技術の特許を申請したのが同年4月24日。
その後,日本光電工業は青柳氏を異動させてパルスオキシメーターの開発を打ち切ったが,
ミノルタは特許申請の却下にもかかわらず開発を続けたことで技術が埋もれずにすんだと
青柳氏は感謝していたとのこと。
Re:企業の先見性 (スコア:5, 参考になる)
>日本光電工業に在籍していた青柳氏がパルスオキシメーターを開発して特許を申請したのが1974年の3月29日,ミノルタのグループが同様の技術の特許を申請したのが同年4月24日。
これはミノルタの中の人はびっくりだったそうです。先行出願がありまさかの却下。
特許出したことある人は判ると思うけど、公開されるまでのタイムラグが数カ月あります。
先行調査していて大丈夫だと判断したの出願してもわずか20日ほどの違いで駄目だったのですから。
>ミノルタは特許申請の却下にもかかわらず開発を続けたことで技術が埋もれずにすんだと青柳氏は感謝していたとのこと。
パルスオキシメータの父 [jst.go.jp]にも書いてありますね。
最初のパルスオキシメータOLV-5100 [google.com]はハロゲンランプを使い光学フィルタとフォトトランジスタを使っています。今のLEDとフォトダイオードを使った構成とはだいぶ違います。1974年当時の日本では今ほどLEDが一般的でなく、そのような構成だったと聞きます。1974年4月26日に日本ME学会大会で発表、1975年に発売はしましたが大々的に販売はせず十数台作り、学会での発表や特注に近い程度で終わったようです。
青柳先生の論文 [jst.go.jp]には、心拍出量を計測するための色素希釈法の耳センサの考えていた際に、脈を打つノイズを除去するための手法として、そのノイズを消すための比が動脈血の酸素飽和度を示していることに気づいたようです。「こんな旨い話がこんなて手近なところにあるとは信じがたいことだった」と。
1977年にミノルタがOXIMETを発売し、これがアメリカに持ち込まれ、感銘を受けたDr.Newがネルコア/Biox社を創業。この時にLEDとマイコンを使った今日の原型が1982年に発売されたNellcor N100。アメリカで急速に普及した要因と、日本でなぜ最初に普及できなかったことの直接の理由(医療事故に対する日米の違い)、間接の理由(医療Mと工学Eの協力体制)について青柳先生なりの解釈もありますのでご一読あれ。
Re:企業の先見性 (スコア:1)
そしてそのミノルタ、現コニカミノルタはパルスオキシメーターの製造を辞めましたね。
Re: (スコア:0)
Nellcoreが小児でうまく検出できるようにしたり末梢低灌流の患者でもSpO2を検出できるように検出感度の向上させ、Masimoは得られる脈波から各種パラメータ(SpHb/SpOc/SpCO/SpMet,PVI,ORI等)をモニタリングできるようにしたりと色々発展させてきたんだが、この分野では日本光電は各社からチップ提供を受けて生体モニターを作るだけに成り下がってしまった。
Re: (スコア:0)
いいえ、日本光電は他社製使いたいユーザー向けにNellcoreやmasimoのモジュールも出していますが殆どが自社製です。