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の元ネタってあるのだろうか?
『文藝春秋』文藝春秋,1956.02掲載の文章を用いたタイトルと仮定すると、当時の経済企画庁(現内閣府)の調査課長、後藤誉之助の筆になる同『報告』(通称『経済白書』 [ismedia.jp]を参照していたものだと示されているのではないかと思う。元ネタはそれ。https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source... [google.com]
中野氏が書いた1956.02掲載の文章のタイトルの元ネタを聞いているのに、1956.07発行の経済白書の話をされても困るんじゃないかたしかに人口に膾炙したのは白書のほうがきっかけだろうというのは、その二本の参考記事から知ることができるが
それはそうと、さらに遡って「もはや××ではない」ってフレーズの元ネタがあるなら興味深いしかしあまりに一般的すぎるフレーズだから、筆者当人が言及した資料でもなければその時たまたま生まれた表現なんじゃないか
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
「もはや『戦後』ではない」(中野好夫) (スコア:0)
の元ネタってあるのだろうか?
Re:「もはや『戦後』ではない」(中野好夫) (スコア:1)
『文藝春秋』文藝春秋,1956.02掲載の文章を用いたタイトルと仮定すると、
当時の経済企画庁(現内閣府)の調査課長、後藤誉之助の筆になる同『報告』(通称『経済白書』 [ismedia.jp]
を参照していたものだと示されているのではないかと思う。元ネタはそれ。
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source... [google.com]
Re: (スコア:0)
中野氏が書いた1956.02掲載の文章のタイトルの元ネタを聞いているのに、
1956.07発行の経済白書の話をされても困るんじゃないか
たしかに人口に膾炙したのは白書のほうがきっかけだろうというのは、その二本の参考記事から知ることができるが
それはそうと、さらに遡って「もはや××ではない」ってフレーズの元ネタがあるなら興味深い
しかしあまりに一般的すぎるフレーズだから、筆者当人が言及した資料でもなければその時たまたま生まれた表現なんじゃないか