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仏教の寺では食器を重ねて渡し箸にするのがマナーという派閥があるから、気になってたんだよな。いくらなんでも寺と市井でマナーが衝突することはないだろうと。
箸のマナーとタブー [hyozaemon.co.jp]ここにあるのが伝統的・文化的見地から正しいのか、出所不明なマナーなのかは判断できないが、ページの最初にある、
たくさんあって縮こまってしまうかもしれませんが、細かい禁止事項にとらわれず、同席している人とおいしく楽しく食事ができるよう、頭の片隅に入れておきましょう。
これに尽きると思う。それに中には衛生面や相手に与える印象なんかを考えると合理的なものもあるのも確かで、まあこんな話もあるよ程度には知っておいて、TPOに応じて使えばいいと思う。# いろいろと突っ込みを入れたいものもあるが、面倒くさくなったので他の人お願いします。
じゃあクチャラーはオッケーだな
同席している人がおいしく食事でき、まわりの人も気にしないならな。# 世の中にはいろいろな考えの人がおりますので、クチャラーどうしで個室で食事したほうが無難だと思われます。
クチャラーでも自分以外のクチャラーは許せないという我儘な存在がいます。まあ、ぼっち飯しててもらいたいですが。
いやいや、それを言い出すと食事中の会話はほぼどの宗派もダメだし。禅宗でやる「茶碗に茶を注ぎ、たくあんで茶碗についたご飯粒を取って綺麗にしてから飲む」とか、普通に外でやると引かれる。
禅宗でやる「茶碗に茶を注ぎ、たくあんで茶碗についたご飯粒を取って綺麗にしてから飲む」とか、普通に外でやると引かれる。
奈良出身なもので、実家暮らしの時は普通にやってましたね。子供のころなんでよく覚えてないですが、おそらく奈良県民は外でもやってる。 実家を離れてからはしなくなりましたが、会社に入ったばっかりの時、同期の京都出身のやつが社食でやってて、懐かしく思った覚えがあります。 全国的に一般的でないことは承知していますが、そうか、引くんか。
食器洗い楽になってよさそうなのに。
昔は少女漫画のヒロインも弁当箱にお茶を注いでた [google.com]ようですよ。
渡し箸はもっと昔かららしい [livedoor.com]
武家の作法を記した室町時代の『今川大双紙』には、『汁碗(しるわん)の上に箸を置事(置くこと)努々(ゆめゆめ)あるべからず』とあります。
渡し箸には「もういりません」という意味があるそうなので、修行中の僧だと物足りなくとも「もういりません」と内外に表明する意図があったのかもしれませんね。それが市井に広まると「口にあわない」意味にとられかねないと変化したのかも。
日本だと残さず食べるのが礼儀みたいなところがありますが、中国やタイなどでは「客人を腹いっぱいにさせられなかった」とみられた風潮があったように、所と場合が変わればマナーも違ってくるでしょう。
>中国やタイなどでは「客人を腹いっぱいにさせられなかった」とみられた風潮そういやこれっていつ頃からの話なんですかね?飢饉があればこんなこと言ってられませんから、比較的最近でしょうか。日本だと江戸時代には大飢饉がありました。
>>中国やタイなどでは「客人を腹いっぱいにさせられなかった」とみられた風潮>そういやこれっていつ頃からの話なんですかね?>飢饉があればこんなこと言ってられませんから、比較的最近でしょうか。
宴会時の料理を「持ち帰り用に残す」というところからきているので唐の時代以前からあります。そこから転じて「食べ切れる=持ち帰ることができる量が出せない」ということで、主催者側が十分に用意できなかったことが恥であることに変節し、今に至るという感じです。招かれた側もそこは承知しているので、飢饉とかあった時はそもそも食べる量自体を減らすことで解決できますし、そもそも論として「史実に残る=裕福な勝者」なので、記録にあまり悪い部分は残らないというのもあります。
寺と市井でルールが違うのだからマナーが違っても不思議ではないだろ…
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海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい -- Steven Paul Jobs
渡し橋 (スコア:1)
仏教の寺では食器を重ねて渡し箸にするのがマナーという派閥があるから、気になってたんだよな。
いくらなんでも寺と市井でマナーが衝突することはないだろうと。
Re:渡し橋 (スコア:1)
箸のマナーとタブー [hyozaemon.co.jp]
ここにあるのが伝統的・文化的見地から正しいのか、出所不明なマナーなのかは判断できないが、ページの最初にある、
これに尽きると思う。
それに中には衛生面や相手に与える印象なんかを考えると合理的なものもあるのも確かで、まあこんな話もあるよ程度には知っておいて、TPOに応じて使えばいいと思う。
# いろいろと突っ込みを入れたいものもあるが、面倒くさくなったので他の人お願いします。
Re: (スコア:0)
じゃあクチャラーはオッケーだな
Re: (スコア:0)
同席している人がおいしく食事でき、まわりの人も気にしないならな。
# 世の中にはいろいろな考えの人がおりますので、クチャラーどうしで個室で食事したほうが無難だと思われます。
Re: (スコア:0)
クチャラーでも自分以外のクチャラーは許せないという我儘な存在がいます。
まあ、ぼっち飯しててもらいたいですが。
Re: (スコア:0)
いやいや、それを言い出すと食事中の会話はほぼどの宗派もダメだし。
禅宗でやる「茶碗に茶を注ぎ、たくあんで茶碗についたご飯粒を取って綺麗にしてから飲む」とか、普通に外でやると引かれる。
Re: (スコア:0)
禅宗でやる「茶碗に茶を注ぎ、たくあんで茶碗についたご飯粒を取って綺麗にしてから飲む」とか、普通に外でやると引かれる。
奈良出身なもので、実家暮らしの時は普通にやってましたね。子供のころなんでよく覚えてないですが、おそらく奈良県民は外でもやってる。
実家を離れてからはしなくなりましたが、会社に入ったばっかりの時、同期の京都出身のやつが社食でやってて、懐かしく思った覚えがあります。
全国的に一般的でないことは承知していますが、そうか、引くんか。
Re: (スコア:0)
食器洗い楽になってよさそうなのに。
Re: (スコア:0)
昔は少女漫画のヒロインも弁当箱にお茶を注いでた [google.com]ようですよ。
Re: (スコア:0)
渡し箸はもっと昔かららしい [livedoor.com]
武家の作法を記した室町時代の『今川大双紙』には、『汁碗(しるわん)の上に箸を置事(置くこと)努々(ゆめゆめ)あるべからず』とあります。
渡し箸には「もういりません」という意味があるそうなので、修行中の僧だと物足りなくとも「もういりません」と内外に表明する意図があったのかもしれませんね。それが市井に広まると「口にあわない」意味にとられかねないと変化したのかも。
日本だと残さず食べるのが礼儀みたいなところがありますが、中国やタイなどでは「客人を腹いっぱいにさせられなかった」とみられた風潮があったように、所と場合が変わればマナーも違ってくるでしょう。
Re:渡し橋 (スコア:1)
>中国やタイなどでは「客人を腹いっぱいにさせられなかった」とみられた風潮
そういやこれっていつ頃からの話なんですかね?
飢饉があればこんなこと言ってられませんから、比較的最近でしょうか。
日本だと江戸時代には大飢饉がありました。
-- う~ん、バッドノウハウ?
Re: (スコア:0)
>>中国やタイなどでは「客人を腹いっぱいにさせられなかった」とみられた風潮
>そういやこれっていつ頃からの話なんですかね?
>飢饉があればこんなこと言ってられませんから、比較的最近でしょうか。
宴会時の料理を「持ち帰り用に残す」というところからきているので唐の時代以前からあります。
そこから転じて「食べ切れる=持ち帰ることができる量が出せない」ということで、主催者側が十分に用意できなかったことが恥であることに変節し、今に至るという感じです。
招かれた側もそこは承知しているので、飢饉とかあった時はそもそも食べる量自体を減らすことで解決できますし、
そもそも論として「史実に残る=裕福な勝者」なので、記録にあまり悪い部分は残らないというのもあります。
Re: (スコア:0)
寺と市井でルールが違うのだからマナーが違っても不思議ではないだろ…